少年Tの家出事件2
聞けば原因は母親代わりの叔母さんがテトの給料を当てにして働かなくなったことらしい。テトより幼い実子がふたりいるというのに。
テトたちの給料は月給で金貨三枚。まだ幼い子供に法外過ぎる金額だと思うかもしれないが、そこには待機時間も含まれている。特殊技能に対する対価と、様々な諸経費も含まれている。おまけにテトは棟梁と一緒に船の造船にも参加している。船に故障が起きたとき、修理できるようになるために。テトほどの頑張り屋はいない。
そんなテトが完全に打ちのめされている。
困ったことになった。
「家にいくら入れていたんだい?」
「口座はおばさんが管理してるから」
子供じゃ口座が作れないからな。保護者がどうしても介在することになる。僕は用意された口座に振り込むだけだったからな。こんな事態になるとは思わなかった。
「長老に相談したか?」
頷いたが、よい返事は聞けていないようだった。
テーブルにケーキと紅茶が運ばれてきた。
「どうしたい?」
黙ってしまう。たぶん、自分の稼ぎを当てにして欲しくないだけなのだと思う。少なくともテトは叔母さんの子供たちとは仲がいいし、叔母さんとだって決して仲が悪いわけじゃない。恐らくいつか家を出る決意をしているテトにとって、完全に寄り掛かられては困るという思いがあるのだろう。
「テト、空飛ぶか?」
顔を上げた。
そして大きく頷いて笑った。
商会に戻って、棟梁に船を発進させる許可を貰った。急ぎ館に連絡をやり、町の障壁解除の申請を出す。
「三十分後に解除して貰えるぞ」
「すいません、忙しいときに」
「気にするな、場所が空くだけでも有り難い」
僕とテトは船を上げた。いつも通り館の鐘楼の鐘が鳴るのを待って外に出た。
「操舵感覚は変わんないね」
「さあ、どこに行こうかね」
僕たちは西に進路を取った。スノボーのコース予定地を目指した。『神様の腰掛け』でも見て気分を変えようかと思って。
「思いっきり飛ばしていいぞ」
「うん」
僕たちはふたり操縦席に座って、かっ飛ばした。
「凄い、凄い」
急上昇しては急降下、左右に旋回、スラロームを決める。船体が大きく傾くも制御は安定している。
「このまま急降下」
船が傾きながら落ちていく。
「うわぁあああああ」
船は旋回を止めて正常位置へ。
「あはははははっ」
僕たちは笑った。
これだけ無茶苦茶にとんでもテトは進路を見失わない。
今度は限界まで高度を上げる。随分高いところまで登った。これ以上は帆による操船になる。
「流されてみるか?」
テトは頷いた。
僕はバラスト水を抜き始めた。
船は上昇し始め、ただ流されるままに雲を突き抜ける。
「わあっ」
雲の上に出た僕たちは強烈な日差しに照り返された真っ白な雲海を見た。
「まぶしいな……」
しばし絶景を堪能していると突然、テトが叫んだ。
「大変だ!」
「どうした?」
「流されてる! 凄い速度で西に流されてるよ!」
「高度を落とそう」
僕はバラストに魔法で水を補充する。
すると徐々にではあるが高度が下がり始める。
「何か来る?」
「こんなときに?」
大変不味い状況であった。まだ『浮遊魔法陣』が効く高度ではない。おまけにおかしな気流に流されている真っ最中だ。
兎に角、船首を下げて降下速度を稼ぎつつ、その風を利用して方向舵で姿勢制御するしかない。
「ここは任せた」
僕は魔力の補充を魔石ボックスの回路に変更して席を立った。
急ぎ後部の狙撃室に向かった。位置が若干変わっていた。船倉にあった小部屋は格納庫の尻に移動していた。
伝声管を開けた。
「後部狙撃室に入った」
『了解! このまま降下します』
突然溶岩のような炎の弾が飛んできた。
展開する結界が炎の塊を弾いた。
「よし、結界は機能してる!」
アイシャさん謹製、新型複合結界だ。この船にしか搭載していない魔力消費を最大限に抑えた最上級多機能結界だ。城壁の結界にも劣らない。
『魔力消費二十分の一ぐらいです』
テトが知らせてきた。
思った以上に魔力消費が少ないのか、攻撃に威力がなかったのか?
「ライフルだけでも持ってくるんだったな」
『魔弾』なしで戦うのは正直心許ない。
『粘着弾ならあります』
「そうか、その手があった! 筒と弾はどこだ?」
『格納庫の備品ロッカーのなかです』
僕は飛んでいって、ロッカーを開け、抱えるほど大きな弾を取りだした。五発分がリュックのような担ぎ袋に収まっていた。
僕はそれを担ぐと筒を持って、船尾に戻った。
「船尾に戻った。セッティングする」
『了解』
僕は射出口の蓋を開けて、筒をセッティングする。
固定が完了すると、背負い袋のなかから粘着弾を取り出し、筒にセッティングする。
「よし、準備できた!」
『速度落とします』
敵の第二射が船の横をすり抜けた。
「捕まえた!」
視認した。いつか見たあいつであった。
「火竜だ!」
『火竜?』
テトも驚いた。そりゃそうだ、僕も驚いている。
スプレコーン周辺では火竜は確認されていない。火竜が好むような活火山がないからだ。
だが、現に見えるのは真っ赤な炎を纏った火竜だった。
ドラゴンだったら泣いちゃうけどね。
テトが船を安定させてこちらが狙撃しやすいように速度を調整している。
「試してみるか」
僕は安普請の照準器を覗き込む。距離ごとに、射出角度が変わってくる。
「目測で距離なんてわかんないよな」
『一発撃てば分かります』
それもそうだな。さすがテト。
僕は一発目を発射した。
弾は放物線を描いて飛んでいったが遙か目標前方を素通りして落ちていった。全然関係ない所で破裂した。
「なんとなく分かった」
この筒の射程にはまだ遠いということだ。
無駄弾を撃つのも勿体ないので、代わりに『魔弾』を使って、射撃練習を始めた。
角度を調節して発射する。『魔弾』も放物線を描いて飛んでいく。
イメージしろ! 一緒の射程のわけないだろ! もっと遠くまで、『魔弾』なら飛ばせるはずだ。ぼた餅爆弾じゃないんだからな。臨機応変に!
『魔弾』の二発目を撃つ。
お! 射程が伸びた。火竜の目の前で炸裂した。
射速が遅いせいで避けられてしまった。
「駄目だ」
今は粘着弾の練習だった。射程も射速も変えたら練習にならない。
思い直して射撃練習を繰り返す。
距離と射出角度の関係が大体分かってきた。
「テト、次で仕留める!」
『速度緩めます』
見る見るうちに敵の影が大きくなっていく。同時に炎の塊の直撃を受ける。
「向こうの方が射撃の腕は上かな?」
ライフル持参ならとっくにけりが付いている。
「粘着弾発射ッ!」
ほぼ直線状に弾丸は飛んでいった。というより落ちていった。急上昇して敵より高高度を飛べば、射程も射速もアップする。更に上昇時、敵の機動性は落ちるというものだ。
僕は念のために『魔弾』を装填。
だが、無駄になった。
粘着弾を避けようとして姿勢を変えようとしたところで、弾は炸裂して粘液が火竜に命中した。火竜は数回羽を羽ばたかせると突然姿勢を失い錐揉みしながら落ちていった。
「効果覿面だ」
『追い掛けますか?』
「そうだな。頼む」
僕が操縦席に戻ると、『浮遊魔法陣』が使えるまで船の高度は落ちていた。
フロントガラスに地面の陥没に埋まっている火竜の姿があった。
「死んだか?」
テトは別の地平を見ていた。
身を乗り出して、耳をピンと立てて固まっていた。
「ここ、どこなんですか?」
降り立った場所は密林のど真ん中だった。
「信じられないけど西方の未開の森かな?」




