指名依頼と魔法少年6
僕たちは最寄りの町に着いた。
リュボックという町だ。煉瓦造りの古い町並みだ。
ここから王都に飛んでそこから更に約二日の行程になる。
パスカル少年は町並みを楽しそうに見つめていた。
活気はないが伝統的な様式美を踏襲した建築群は壮観で見ていて飽きることがない。
昼食を町の食堂で済ませ、僕たちはポータルで王都に飛んだ。
観光にしゃれ込もうにも、挙兵の噂が誠しやかにささやかれていて、町は騒然としていた。
「全く情報管理はどうなってるんだ?」
姉さんが怒っていた。
馬車を借りた。今度は正真正銘、魔法の塔の馬車を姉さんががめてきた。
「こんなに大勢の人、見たことありません」
馬車のなかから興奮気味に外の景色を見る彼の姿は初々しかった。
「パスカル君」
「はい」
姉さんがパスカル君を振り向かせた。
「これが入学に必要な書類よ。サインをしてちょうだい」
「あれ? 書類は用意してあったんじゃ?」
僕は書類を覗き込んだ。
「入学金金貨百枚!」
「え?」
僕の声にパスカル君が唖然とした。
「百枚?」
「なんで? これって免除になるんじゃ?」
「普通にことが進んでいれば本妻が喜んで払ってくれたでしょうね。でもこんな事態になったら払えるかしら?」
「姉さん!」
「外野は黙れ!」
怒鳴られた。
「真面目な話よ。事件は解決した。このまま故郷に戻っても、君が家督争いに巻き込まれることはないわ。今のところはね。このままユーターンしても問題ないわ」
姉さんの言葉に少年の心は揺れていた。
家族のいる場所に戻りたい。でも…… 別の答えを必死に探している様子だった。
「このまま帰っても僕はなんの役にも立ちません。魔法だけじゃない。いろんなことが足りないんです」
そう言うと唇を噛みしめ沈黙した。
「もし、将来僕が領主になったって、何もできない……」
少年の目から涙がこぼれた。
「学びたい……」
僕はこのときになってようやく気付いた。
姉さんが余計なことをしたと僕を怒ったわけを。僕は悪党を追い立てるためだけに彼の将来を天秤に掛けたのだ。領主になろうとも、ならずとも、彼には長い人生がある。
母親からの依頼は本妻の実家を貶めることだったのか? 息子を安全に旅立たせることではなかったか……
いつの間にか宰相殿の目的が僕の目的になってしまっていた。
「卒業する気があるのなら、本気でやる気があるなら、入学金だけでなく卒業までの援助をわたしがしてやろう」
「え?」
「え?」
僕たちは姉さんを見返した。
「その書類の後見人の欄に私の名前を書き入れる」
「それって……」
「そんな大金、返済できません!」
「君が卒業できる実力を身に付けたなら、問題なく返せる額よ」
沈黙の後、パスカル少年は深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします」
パスカル君の書類を取り上げると姉さんは書類にサインした。
『王宮筆頭魔導師補佐官。レジーナ・ヴィオネッティー』
「え? 補佐官? 『ヴァンデルフの魔女』?」
少年は赤くなるやら青くなるやら。
「学校まであと二日ある。やる気を見せなさい。ごまかしではなく、実力で編入試験にパスして見せなさい。それができなきゃ、この話はなしよ。いいわね?」
「二日で?」
「昨日の調子であんたが教えてあげればすぐでしょ。あんたじゃないんだから」
どうせ僕は駄目でしたよ。
「はい! 頑張ります」
余りの真っ直ぐさに断る気が失せた。
普通二日でどうにかなる問題じゃないと思うんだけど。
僕たちは御者台に移って、早速練習を始めた。
まずは呪文の暗記。何度も空で唱える。その度に発音の修正。エルフ語の意味の解説。
発音ができたら、イメージで行くか、魔法陣で行くか選ぶ作業。本人はイメージで行きたいと言う。僕も魔法陣を使わないから、そっちの方が教えやすい。
まずは付与付きのステッキを使って、イメージを固めていく。詠唱して、バン! である。
火の玉をひたすらぶっ放す。魔力がなくなったら魔石で補充する。
イメージ、詠唱、発動。イメージ、詠唱、発動……
「あっ!」
その日の夕方だった。少年は御者台で固まった。
「ナーナ?」
ヘモジが不思議そうに見上げる。
「どした?」
「何か来た!」
「どこ?」
僕は周囲を警戒した! 何も見えないぞ!
「違います! なんて言うか、身体のなかからすっと何かが抜けるような」
「それって…… 魔力を消費したってことだよ?」
え? つまり、できちゃったってこと?
語尾が疑問形になってしまった。
「ちょと待って!」
僕は普通のステッキを探した。どこだ? どこ行った?
ヘモジが野菜スティックをパスカル少年に手渡した。
え?
パスカル少年も唖然としている。それでもニンジンスティックを手に取ると、背筋を伸ばし、真顔で前方に構える。
明快な明るい声。手元に集まる魔素の粒。きらきら光る粒の塊。
熱気を帯びた火球が生まれる。
詠唱の終わりと共に飛んでいく火の玉。
ボッと数メルテ先で弾けて消えた。
僕たちはしばし無言で固まった。
馬のひずめの音と馬車の軋む音だけが聞こえる。
「やった…… やった! やった! できたぁ! できたぁあ!」
パスカル少年と抱き合った。
「やったよ! やったよ! 姉さん! パスカル君がやったよ!」
僕は御者台の裏の小窓から姉さんに言った。
目頭が熱くなった。我がこと以上に嬉しかった。自分の失敗を帳消しにしてくれたような、そんな気持ちがした。
「見てたわよ」
短くそう答えると、「冷えるから車輿のなかに戻りなさい」と言った。
僕たちは身体が冷え切っていることに気付いた。
馬を止め、ヘモジを残してなかに入った。
遠くの空に鱗雲。
窓の外、パスカル君はしばらくじっと故郷の空を見上げていた。
三時の休憩を済ませると、彼はまた御者台に座った。
僕も付き合うことになる。
代わりに御者を頑張ったヘモジを車輿のなかに放り込んだ。
恐れを知らないヘモジは姉さんの膝の上に乗っかった。
「ナーナ、ナー?」
姉さんは呆気なく受け入れヘモジの頭を撫でた。
ヘモジは気持ちよさそうにくつろぎ始めた。
それから魔力が切れるまで反復練習をした。限界を知るために。
五回ほど成功して頭がふらつきだした。
本人はまだやる気になっていたが、初日なので止めさせた。無理すればまだ行けただろうが、御者台から落ちられても困るし、次の町がもう丘陵の先に見えてきていた。
僕たちは宿を取り、久しぶりに柔らかいベッドで眠った。
翌朝は早くから馬車を出して、御者台の上で練習を始めた。昨日より一回多く唱えられた。
僕は彼の熱意に免じて、万能薬を進呈した。
それから僕は、変数についての講釈を垂れた。
炎の大きさ、威力を上げるコツ、撃ち出す速度、エルフ語の新たな単語を解説していく。
彼は御者台の上で必死にメモを取る。
僕はこのとき知らなかったのだが、学校では最終学年になるまで変数を教えないのだそうだ。変数を間違うと命に関わるかららしい。そんなことも知らない僕は姉さんの教え通り、上達したければエルフ語を学べと偉そうに講釈を垂れていた。
そして、夕方。巨大な城塞都市が見えてくる。魔法の塔とも見紛うばかりの巨大な塔が町の中央にそびえていた。
「あれが王立魔法学院……」
もし僕が幼い頃、魔法が使えていたら入学していたはずの場所だった。




