西方遠征2
「『神様の椅子』なのです」
リオナも一通り見学が終ったらしく、操縦室に遊びに来ていた。
「それを言うなら『腰掛け』だ」
右手に『神様の腰掛け』が一望できた。
相変わらずの絶景である。
「北に来すぎたかな。どうだろう?」
『もう少し南から入った方がいいかもしれません』
地図で照会をしてくれているチッタの声が伝声管から聞こえてきた。
声がクリアーに聞こえる。
細かい進路の打ち合わせをした後、船首を若干南に向けてミカミ連山の裏手を目指した。
目の前に真っ白な山脈が迫ってきた。
いよいよ山脈越えである。
船は山の傾斜に沿って徐々に高度を上げていく。
風向きに翻弄された。
気球と違って地面から高度が取れない飛空艇は尾根を越える度に風の影響を受けた。
コンテナがなかったら、ここまで神経を使う必要はなかったのに。
船が傾く度に繋ぐジョイントの強度が心配になった。
突然風が収まった。
「安定したです」
風上にそびえる尾根の陰に入ったせいで横風を遮ることができた。
「このまま尾根の下を飛んだほうがよさそうだな」
この高さだと大型の魔物の襲撃もあり得るので、警戒を厳にする。
風除けとしての恩恵を受けつつ、尾根との距離をギリギリまで離す。
雪山は美しいが、その下に何がいるのか分からないところが怖い。特にここから先はヴィオネッティー領、最悪の危険地域である。
上級冒険者の狩り場であるが、季節的にシーズンオフであり、だからこそどこに何がいるのか見当が付かなかった。
「まさかこの危険地帯の上を飛ぶ羽目になるとはね」
かつて、ミコーレの部隊が侵攻してきた奇襲ルートでもある。いくら見つからないルートだと言っても無茶が過ぎた。あのときは結果に助けられたな。
突然、雪崩が起きた。
「なんか出たです!」
「地獄門だ!」
雪の大地が突然陥没して、大穴が空いた。
掘り返され、黒い土肌をさらけ出した、巨大な穴が吹雪いた雪のなかに現れた。
「船が丸呑みにされそうだな」
「ワームの一種か?」
アイシャさんが現れた。
「砂漠のとどっちが強いです?」
リオナが尋ねた。倒しに行くなんて言うなよ。
「こっちの方が断然強いじゃろう。何せ砂じゃなく、土のなかを進む奴じゃからな。皮膚は硬そうじゃな。土を軟らかくするために土魔法まで併用しておる。飲み込まれた方も相当大きかったぞ」
「見えたんですか?」
「たまたま下を見ていたんじゃ。気配は感じなかったの」
アイシャさんでも分からなかったか。
「地上にいれば振動で分かるんじゃないかしら? 逃げられるかどうかは分からないけど」
ロザリアまでやって来た。
「こんな領地抱えてたんじゃ、ヴィオネッティーも強くなるわけじゃな」
「あれはレウコフィラよ」
ナガレが顔を出した。
「レウコフィラ?」
「ワームじゃないわ。あれは植物よ」
「え?」
「そうなのか?」
「そうよ。あれは獲物を捕食する魔樹なのよ。だから発見しにくいのよ」
「地獄門が植物……」
そういや火に弱いとか言ってたな……
「てっきりワーム系だとばかり……」
「元々ワームに擬態してるんだから間違ってもおかしくないわよ」
「今明かされる悠久の謎じゃな」
「戦っていて分からないもんかな?」
「逃げられてたんじゃないですか? 誰も土のなかまでは追い掛けないでしょう」
「みんながワームだと思っていたのは根っこの先端よ。本体は地中深くにあるの。行動半径はその本体から根っこの先までの約千メルテ」
「千……」
「直径にして二千メルテの超巨大生物よ。行動半径内には他の個体は存在しない。というよりできないのよ。地中の魔力が足りなくなるから」
「三日の法則は? 三日間待ってから獲物を襲うっていう」
「それも違うわよ。あいつらは三日掛けなきゃ動けないだけなの。二千メルテもあるような巨体でしょ。いくら頑丈だからと言って四方に根を張り巡らしてる状況じゃ、容易く地中を移動なんてできないのよ。三日掛けて、最寄りの根っこに魔力を集めて、魔法を使って土を緩めるのよ。地面を緩めるのは獲物を引き込むためじゃないわ。自分の根っこを動かすためなのよ」
「ナガレはそんなことよく知っておるな」
「あいつは水脈をぶった切る天敵なのよ。わたしたちの業界では超悪辣有名人なのよ。人じゃないけど。唯一の救いは一度根を張ると動けなくなることね。行動範囲に餌がなくなれば移動することもできずに勝手に消えるわ」
「葉っぱはないですか?」
「完全に地中に埋没してるわね。根っこが地上の獲物を獲るから、太陽の光もいらないみたいよ。因みに捕食担当の根っこの数は八本から十六本ぐらいかな。全部ちょん切れば死ぬけど、一年に一、二本再生するから、やるなら一年以内ね」
「こりゃ、とんでもない情報だな」
棟梁も呆れかえる。
単体の魔物だと思っていた物が全部地中で繋がってたなんてね。
「戦略が変わるの……」
「この件は、向こうに着いてから報告するとして、今はここから抜け出さないと」
「若様、リオナこれすっげー美味し……」
クッキーを頬張ってテトが入ってきた。異様な雰囲気を察して、押し黙ってしまった。
「ちょうどよかった。交替してくれるか?」
僕は操縦をテトに替わって貰った。万が一に備えて、空手にしておかなければ。
「あーっ!」
キャビンの方でオクタヴィアの悲鳴が聞こえた。
「ご愁傷様」
クッキー缶がどうなったか、察するに余り有った。
「食べちゃ駄目だった? ヘモジが出してくれたんだけど……」
「気にするな。そうじゃな。山脈を越えたらお茶にするか」
飼い主は至って平然としていた。
船は揺られながらも難所を通り過ぎた。水量の豊富な渓谷を横切り、緩衝地帯を抜けた。
最後の山の尾根伝いに頑強な要塞が現れる。ミカミ砦だ。唯一西に抜ける谷間を塞ぐように建っている。
その後方、尾根の向こう側にはミカミの町が広がっている。
危険地帯を目指す冒険者たちの最後の拠点。活動期には常時数千人規模の兵士と冒険者が駐屯している町だ。
「若様、なんか外で言ってるよ」
テトが振り返って言った。
砦の見張りが何か叫んでいるようだ。
『用事があるから降りて来いって言ってる』
伝声管からピオトの声が。
「テト、ここで待機。ちょっと行ってくる」
僕はフライングボードを担ぐと、船尾のオープンラウンジに出た。
外套を羽織り、ボードに乗ると砦に降りた。




