閑話 友への手紙1
この手紙が届く頃、君は何をしているだろうか? 新たな人生に目処が立っているだろうか? それともまだ闇の淵を歩いているだろうか? 解放の日の高揚は冷め、冷えた現実が君を押しつぶしてはいまいか?
ご両親は息災かい? 妹さんは笑顔を取り戻したかい? 弟君は将来に思いを馳せることができそうかい?
あの道標の分かれ道で君たち家族と袂を分かってしまったが、もし、もしもうまくいっていないのなら、まだ道が繋がっていることを、君に伝えたい。うまくいっているのなら、そうだな…… いつか見た夢の続きだと思って読んで欲しい。
君の知っての通り、僕は文字が書けないし、読むこともできない。すべてが義姉任せだ。正直、今君が読んでいる手紙に何が書かれているのかすらも、僕には分からない。だが義姉には「一言一句違えずに書いてくれ」と頼んでおいた。だからこの手紙は僕の言葉だと思って読んで欲しい。嘘のようで、夢のような体験を。信じて欲しい。そして君たちの未来のために生きる希望を。僕に少しだけ背中を押させて欲しい。
「町はあったよ」
王都とへ通じる街道と、南部へと続く街道とに道が分かれたときのことだった。
君たち家族は「残りの日数では期限までにスプレコーンに辿り着けないから」と言い、僕たち家族は「それでも進む」と言い張った。
君たちは王都に向かい、僕たちは南を目指した。
国境を越えたとき、アールハイト王国の救難所で貰った難民限定の通行手形の期限が迫っていたのが原因だ。
僕たちには金がなかった。手形がなければ、町に入ることもできなかった。
町に入れなければお金を稼ぐこともできないだろう。
手形の期限が切れたとき、僕たちがどこにいたかで運命が決まる。
ずっと一緒に頑張ってきた僕たち家族同志がこんな形で離れ離れになるなんて思いもしなかった。
君たちと袂を分かち、更に二週間、僕たちは歩き続けた。甥も姪もさぞ苦しかったことだろう。「もうすぐ、もうすぐ」と言い聞かせながら、とうとう最後の日が来てしまった。
僕たちが辿り着いたのはアルガス。期限は残り一日だった。
スプレコーンまで七日。
あとたった七日だというのに!
僕たちのゴールはここなのか? 君たちの判断が正しかったというのか? 僕たちも王都を目指すべきだったのか?
僕たち家族は悲観に暮れた。一度座り込んでしまったら二度と立ち上がれないほどに打ち拉がれた。
そんな時だった。
とてもきれいな猫族の少女に出会った。
少女は商店街の人族と仲良く話しをしていた。
そんな彼女が、よほど見窄らしかったのだろう、広場で沈み込んでいた僕たちを見つけて話し掛けてきた。
そう、奇跡はここから始まったんだ。
「食べるのです。お腹が空いていては元気が出ないのです!」
少女は串焼きの束の入った袋を我々に差し出した。
幼い姪が、少女に言った。
「わたしたちスプレコーンに行くの」
まだ信じている姪の言葉に家族はうろたえ涙した。僕も泣きそうな気分になった。
でも意外な言葉が返ってきた。
「手形の期限は延長されたのです。掲示板をよく見るのです!」
義姉がすっくと立ち上がった。少女の案内でいつもしとやかな義姉さんが駆け出した。僕たちも駆け出した。
義姉は町の広場の掲示板の前に放心したまま立ち尽くした。僕たちはその後ろで彼女の言葉を静かに息を潜めて待った。
「『ラーダ王国の…… 難民に対して…… 発行手形の…… 期限を…… 三ヶ月伸ばすものとする』!」
義姉がその場にしゃがみ込み、号泣した。
「期限がなくなっても捨ててはいけないのです」
そう言って少女は兄の持つ手形を指差した。
少女は友人が迎えにきて、僕たちに与えた分の食料を買い直しに商店街のなかに消えた。
「いい身なりしてたわね、あの子たち」
母さんが呟いた。
生まれた国が違うというだけでこうも違うのだろうか?
その夜は掲示板にあった救護所で一晩お世話になった。町の大きな教会だった。
翌日、僕たちはスプレコーンを目指して旅だった。そしてその日のうちに領境の砦に辿り着いた。
「難民か? 家族全員か?」
門番の兵士が手形を見て言った。兄が頷く。
「仕事だぞ」
脇の詰め所の扉に首だけ突っ込んで兵士はそう言った。
なかから出てきたのは獣人の中年のどこにでもいるような女性だった。
「遠路遙々ようこそ、スプレコーンへ。案内役のアニェラよ。わたしがあなたたちをスプレコーンまで案内します。早速ですが、付いてきてください」
「案内?」
「早くいかんか。後がつかえとる」
僕たちは押し込まれるように砦のなかに入った。
「人数的に狭いけど、ごめんなさいね。一組一部屋なのよ。皆さんには今夜、ここに泊まって頂きます。野宿したければ止めませんが、今夜は雪になりますから、死にたくなければ我慢してください。食事は後ほどお持ちしますからご安心を。救護所みたいなものなのでお金の心配は無用です。ごゆっくりどうぞ。詳しい話は明日、道中で致します。何かありましたらお呼びください」
アニェラはそれだけ言うと、部屋に僕たちだけを残して去って行った。部屋は狭いと言っていたが、以前住んでいた家と変わらなかった。明かりも暖炉もある分だけ、我が家より遙かに快適だった。
一時間ほどして食事が運ばれてきた。家族全員が目を見張った。
出てきたのは救護所のトレーの食事とは違った。
暖かい、陶器の食器に盛られた食事だった。
湯気が目に染みた。子供たちは大喜びだった。親父たちは涙ぐむばかりで食事が喉を通らなかった。
部屋に毛布が配られ、僕たちは暖かい夜を過ごした。
翌朝、鐘の音に起こされた。
朝食が待っていた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「おかげさまで」
さすがに兄は現状を訝しんだ。うまい話には裏があるのが世の理だからだ。そのせいで仲間がどれほど不幸を背負い込んだことか。
「我々に何をさせようというのですか?」
兄が、アニェラに言った。
でも返ってきた答えは「何も」だけだった。
「そんなはずはない!」と兄は食い下がった。
すると彼女は言った。
「何をするかはあなたたちが決めることです。あなたたちはもう自由なのですから。ですが」
「ほら来た」と兄は呟いた。
「道中、森の木を勝手に切ったり、枝を無闇に折ったりはしないでくださいね。森を維持することはスプレコーンにとって大事な約束事ですから、絶対に守ってください。どうしても木を切りたいときは、領主様に許可を頂かなくてはなりません」
「ユニコーンがいるからでしょ?」
子供たちが口を挟んだ。
「その通りです。それより、早く食べちゃってください。我々は前に進まねばなりません」
食事はポテトサラダとパンと紅茶だった。
食事を済ませた僕たちは、スプレコーン領側の門を通過した。
アニェラが馬車を持ってきた。
「移動は馬車で行ないます。皆さん乗ってください。今日中に停泊所まで行かなければなりません」
移動しながら、僕たちはいろいろなことを聞いた。
すべての施しは領主がしているということ。町の獣人たちがアニェラのようにサポートしてくれていること。アニェラの家族が果物売りだと言うこと。最近越してきたと言うこと。それから領地の憲章や、決まりごと等々。
スプレコーンの街道はどの領地の道より真っ直ぐで、広くて、きれいだった。除雪も完璧に施されている。領主の力のほどがうかがい知れた。
僕たちの馬車の横を何台もの辻馬車が通り過ぎた。




