エルーダの迷宮3
人間とは欲深な生き物である。しかも欲が深い人間ほど加減を知らぬ。ほどほどということを知らぬ。僕の怒濤の一ヶ月が始まった。
ギルド登録した日の午後、僕は試しに迷宮に潜ってみることにした。
まずは敵情視察からだ。
村外れの迷宮の入口には数人の番兵がいて、入場者の名前と目的の階数を記録していた。
「フロアごとに決まった期日までに戻ってこないと捜索隊を出しますから、申告日時までには必ず戻ってきてください」と係の兵が先客に念を押していた。ちなみに僕の場合「暗くなる前には戻りなさい」だ。どうせギルドランクFのレベル六ですよ。
ギルドランクとは依頼書ごとに設定された成功報酬の蓄積で評価される指標のようなものだ。レベルは『認識』スキルで見たステータスの総合評価である。生まれてこの方、騎士としての修業をしてきた僕のレベルでもたったの六である。正直うなだれてしまう。近衛騎士で二十台、普通の成人で十台だそうだから、低評価なのも妥当な線なのだろうか?
『認識』スキルの評価は潜在する共通意識のなせる技だといわれている。よって地域によって変動が若干あり、あくまで目安らしい。正確に知りたいときはギルドの『認識計』を用いるらしい。万国共通の基準で設定されているから指標としては確実らしい。
荷車がすれ違っても問題ないほど広い横穴を進むと舗装された通路に出た。通路には煌々と光が灯っていた。それは松明の灯りではなく光の魔石の輝きだった。迷宮から魔素を吸収する術式が施された自動吸い上げ式のようだった。これなら消えることはない。魔素の充満した迷宮ならではの運用方法だ。
壁も床も人工的に四角くい石煉瓦で舗装、整備されていた。湿っぽい洞窟を想像していただけに、恐怖心が薄らいで、僕は内心ほっと胸を撫で下ろしていた。
目的の地下蟹はなかなか見つからなかった。事前調査では地下蟹のレベルは二十ぐらい。見つかったら瞬殺されるレベル差だった。僕は微かな音も逃がすまいと慎重に歩を進めた。へっぴり腰で曲がり角の先を覗き込み、周囲をこれでもかと確認しながら歩を進めた。一階部分には罠はないと聞いていたが、それでも僕はのろのろと歩みが遅かった。十分もすると戦う前から息は絶え絶えになりへとへとになっていた。自前の抜き身の剣を何度も落としそうになった。緊張の極みである。
ポチャリと水の音がした。
右手の部屋からだった。耳を澄ませるとやはり水音が聞こえてくる。壁越しに何かが蠢いている気配を感じた。心臓は破裂しそうなくらい高鳴っていた。鼓動を聞かれたらどうしようかと呼吸を必死に押さえたが無駄だった。
そっと覗きこんだ小部屋の先に青くて足の長い巨大な蟹がいた。天井と壁に身体がつかえて身動きが著しく制限されている。どう見ても出入口より大きな図体だった。
あいつ、どうやってこの部屋に入ったんだ?
足の先には槍のように鋭い爪が生えていた。歩く度に床の煉瓦を穿つ、見るからに硬そうな爪だ。
蟹はこちらに気付く様子もなく壁から垂れる湧き水を舐めていた。探知能力は低そうだ。蟹の頭がときたま天井にぶつかって床に埃を落とした。
いざとなったら簡単に逃げられるな。
僕は鞄から香炉を取り出した。掌サイズの丸い木の実をくりぬいた器にいくつか穴を開けた代物だ。蓋と器の合わさり目には溝と爪があり、はめ込むことでしっかり固定される仕掛けになっていた。真ん中に金網でできた袋があり、そこに一つ銀貨十枚の香を入れるのだ。
僕は『目くらまし香』に火をつけた。
試しに一匹狩ってみることにする。無理なら逃げればいい。
立ち上る細い煙を見つめながら、僕は息を整えた。僕は香炉を小部屋のなかに転がした。
しばらくすると蟹が動き出した。慌てているのか、横歩きしながら右往左往し始めた。壁にぶち当たってはよろけてを繰り返している。
香が効いてきたようだ。僕は魔法剣を鞘から抜くと意を決してやつの前に姿を現した。どうやらこちらが見えていない様子だった。効果ありだ。
僕は擦り寄りながら足の甲羅の関節めがけて剣を突いた。へっぴり腰で、遠くにあるものを棒で突くような情けない格好で。だが次の瞬間、地下蟹は悶え苦しんで、今まで以上に暴れ始めた。やつは僕の胴体ほどもある巨大な鋏を力任せに地面に叩きつけた。僕はとっさに後方に飛んだ。
あれに当たったら潰される!
床の石煉瓦が砕けて周囲に飛び散った。僕は身を低くして回り込み、再接近した。
あれ? なんだか緑色に見える。
蟹の全身が緑色の靄のようなものに包まれているように見えた。
もしかして毒?
そうこうしていると緑色は消えて、蟹は再び落ち着きを取り戻した。
効果が切れたか?
僕は剣先で蟹の脚を突いた。反応がなかった。四、五回繰り返すとまたおかしな行動をとった。口から泡をブクブクと吐き出して突然突っ伏してしまったのだ。
今度はなんの効果があったんだ?
僕は近づいた。身体が黄色く見えた。
これって…… 麻痺?
僕は麻痺が切れるまで接近して魔法剣ではない、自前の剣の方で切りつけた。とにかく切れないけど切りつける。どこか柔らかい場所はないか、確認しながらとにかく切りまくる。というより叩きつける。
「無理だこりゃ」
再び『嫌がらせの剣』に持ち替えて何度も殴りつけた。魔力を何度も補充しながら執拗に。様々な状態異常が蟹を襲った。そして三度目の毒がかかったとき、ついに蟹は沈黙した。
「ええと、回収部位は……」
僕は急いで蟹の肉を回収しようと試みた。脚を必死に切り落とそうと剣を振るった。脚一本で銀貨十枚、臨時収入になる。
でも無理だった。甲羅が硬すぎて分断できなかったのだ。できれば戦闘中にやってるよな。時間切れになった。亡骸はすべて消えて、拳大のマリンブルーの魔石だけが床に残った。
「迷宮の魔物は亡骸を残さない」という噂は本当だった。
どういう仕組みなのだろう。
迷宮の魔物は消滅までの間に、魔石の核となる中心部位からパーツを分離することで、部位の消滅を防ぐと言われている。残念ながら今回その確認はできなかったが。
残った魔石を回収して僕は迷宮を出た。
手応えはあった。依頼期限まで一週間だ。
これならいけるという確信が芽生えていた。
レベルが、八まで一気に上がった。ギルドの『認識計』で自分を計ったら急成長していた。確かに少し丈夫になった気がする。スキルもいくつか身につけていた。『兜割(一)』と『認識(一)』が身についていた。『兜割』って防御無効のアクティブスキルだったような。本来斧用のスキルだったと思ったんだが…… どうやら使うだけなら武器の種類は関係ないみたいだ。これであの硬い甲羅を砕けるはず?
『認識』スキル、これがあれば一々まな板に載せなくて済む。それに敵のステータスも事前に確認できるはずだ。なんだかすごくラッキーだ。必要は発現の母というが、スキルってこんなに簡単に手に入るものなのだろうか?
とりあえず、きょうは宿をとって明日に備えよう。実家からこの村まで歩き通しだったし。成果は上々だ。一時はどうなるかと思ったが結果オーライというやつだな。
僕は意気揚々と宿屋に向かった。
あの大きな脚を回収できたら、一匹に付き脚は十本…… 金貨一枚だ。でも荷車がなきゃ運べないよな。荷車のレンタルっていくらするんだろ? ギルドで確認しておくんだったな。
とらぬ皮算用をしながら僕はその夜、心地よい眠りについた。
あしたもがんばろう。