ピア・カルーゾの信仰3
目が覚めたらコタツにいた。結局あの後大騒ぎになって、酒を…… 誰に勧められたんだったか、いつもなら断っているところを手を付けたのが運の尽き。
「何時だ?」
窓からは明かりが差し込んできていた。
僕は窓を開けて外を見た。
どう見ても朝の景色だった。
今朝もチラホラ雪が降っている。
「むきゅー」
僕のふくらはぎを肉球で押す一匹の猫がいた。
「どう見ても二日酔いだな」
「お水を一杯……」
パタッ。一言弱々しく呟くとその場に倒れた。
僕は水差しの水を小皿に注いでやった。
「んー」
飲ませてくれというポーズだ。
「ほれ」
コクコクコク……
小皿を抱え込み、まるで大きな杯を飲み干しているかのようだった。
「プハー、生き返る」
二本足で踏ん反り返って、濡れた口を手で拭う。
おっさんかよ。
「朝食にはまだ早そうかな? 一っ風呂浴びてこよ」
「オクタヴィアもいく」
僕の腕にすがり付いてきたので抱き抱えた。肩の上に乗らないのは賢明だ。
頭が座ってない。
ちょうどエミリーが起きてきて、家中の窓を開け始めた。
「おはようございます。お風呂ですか?」
「大浴場に行ってくるよ」
「お着替えは?」
「戻ってからにするよ」
渡り廊下を歩きながら景色を楽しむ。
しんしんと降りしきる雪のなか、村のかまどにも火が入ったようだ。煙が棚引いている。
「思い出した」
昨日、この猫とリオナはいたずら心から、僕の酒入りのコップからこっそり盗み飲みしたのだった。
ということは……
振り返り、母屋を見つめる。
「木から落っこちてないだろうな?」
オクタヴィアは顔に冷たい空気を浴びて気持ちよさそうに目を細めた。
大浴場は目的を同じくする人たちでいっぱいだった。
「家の風呂の方がよかったな……」
湯船に浸かると大きな伸びをしてくつろいだ。オクタヴィアには湯船は深すぎるので桶のなかである。
冷えた身体に心地いい。
「オクタヴィアだ」
小さな子供たちがオクタヴィアに寄ってくる。
「肉の匂いが消えるからって、こいつら朝まで風呂、我慢してやがったんですよ。さすがに母ちゃんに尻を叩かれて。な」
子連れの親父が言った。
「若様、きのうの肉すっごくうまかった」
「あれって、ほんとにドラゴンの肉?」
しばし歓談のときを過ごし、たわいのない会話を繰り返した。
「やはり冬の収入が問題か」
話題は次第に最近の村事情に移っていった。
「冬は大人しくしてるのが獣人族の相場なんですがね。人族が働いているのを見ると、なんだか尻尾が疼いちまって」
獣人族は頑張ってると思う。男たちは大体雪掻きで出払っているし、女たちは家事で忙しそうにしてる。子供たちですら小遣い稼ぎに余念がない。
図書館作り、早めに始めるか…… 長老に相談してみよう。
「最近エルーダに行く人増えてきたよ」
子供が言った。
「そうなのか?」
「若様たちにあやかるんだって。でも交通の便が悪いから泊まり込みになっちゃうって。若様たちが羨ましいって言ってた」
そう言われるとそうなのだ。いつの間にか特権が当たり前になっていたようだ。
今の代のアルガス領主となら、建設的な案が出そうな気がするけど。アルガスから飛べたら、投資も何もしなくていいから、一番楽なんだけどな。
「領主様に頼んでみるか」
後日、アルガス領主は自足型転移ポータルという奇妙な転移ゲートを置いた。開発者は我が姉と一番上の兄である。なんでも転移前に魔石や、魔力で一回ずつ補充してから目的地に飛ぶというものらしく、大軍の襲撃に備えることができる仕組みになっている。
既存の物に比べ、明らかに退化した仕様だが、軍事的に問題のある地域に行けるので、今後の需要が期待される。
エルーダに用があるのは大概冒険者である。魔石ぐらいは稼げるだろう。初心者だった頃の僕でもできた。
これによりポータルという巨大なネットワークにエルーダ村が追加されることになった。
因みに自給はエルーダ村を発つときだけ必要になるので、エルーダに向かう分には、普段通りの仕様と変わらない。
帰りは『銀団』特製スプレコーン直通の転移結晶を使うので、僕たちにはメリット以外、何もない。
遂に僕たちの念願は叶ったわけだが、僕たちの往路は変わらず振り子列車だったりする。
どうも朝の小一時間、狭い空間で膝を交えて、その日の予定を相談する時間が妙に心地よかったりするのである。
ほどよく茹で上がった僕とオクタヴィアが家に戻ると、リオナが元気に出迎えた。
「お前、二日酔いは?」
「万能薬があるのです」
言葉を失った。
「その手があったんだ」
僕と猫は顔を見合わせた。僕は着替えをしに自室に戻り、まだ調度品の揃わない自室の寒々しさに震えた。
「広すぎるんだよ」
内装屋と家具屋はエンリエッタさんに仲介を頼んでいるので、今月中にはなんとかしてくれると言っていた。
すっかり日が昇り、雪も収まった。
町も朝市で活気づき始める頃合いである。
「じゃあ、行ってくるのです」
リオナは朝の散歩に出かけた。
「朝食は?」
「帰ったら食べるのです」
寝坊はしたんだな。
「ナガレは?」
「祠の整理をするから、昼まで呼ぶなだって」
「エルネスト、そこにお立ち」
アイシャさんが食堂前で僕を呼び止めた。そして後ろから僕を抱きしめた。
「な、何を!」
何やら呟いている。
「何してるんです? 朝っぱらから」
アンジェラさんが突っ込んだ。
「よし!」
何がよしだ?
「魔力過多は治ったようじゃの」
「え?」
「ドラゴン討伐の前からじゃろ? ちょうど時期的にも収まる頃じゃ。よかったの。これでおかしな夢ともおさらばじゃ」
「そんな…… 馬鹿な……」
「なんじゃ、領主にまた夜這いしたかったのか?」
「違いますよ!」
なんてこった。
山頂の秘密基地が、陸の孤島が、夢とロマンが始まる前に終了してしまった。これから僕のターンだったのに。
「ロザリアは?」
気配がない。誰よりも時間に正確な彼女がいない。
「ロザリアなら、昨日実家に帰ったぞ」
「覚えてないや」
「エルネストが寝てからだからな」
噂をすれば何とやら。ロザリアが玄関から戻って来た。
「ああ、やっぱりこの家は温かいわね」
「お帰り」
「ただいま。探ってきましたよ。教会が何を企んでいたか」
「大儀じゃったな」
コート掛けに外套を掛けると一緒に食堂に入った。
食卓に付くとロザリアは話し始めた。
「教会がピア・カルーゾを野放しにした理由、分かりましたよ」
僕たちは固唾を呑んだ。余程の理由がなければさすがに許せん事態だからな。
「『魔物を従えし悪魔の誘惑』、でしたっけ? 死んだ将軍が持っていたユニークスキル」
僕は頷いた。
「魔物を従えることができるスキルだ」
「それが、将軍殺害の折、彼女に移管されたのか? 知ることが一つ」
「『認識』スキル持ちが覗けばすぐ分かるだろ?」
「覗いた際には何も見つからなかったみたいですよ。もっとも覗いた人物はもうこの世にいませんでした。訪ねてみたんですけど」
「殺された? ピア・カルーゾに?」
「教会かも知れません」
「そんな理由で?」
わざわざ彼女を逃がしたのか?
「希望的観測かしらね」
どういう意味だ?
「教会は何がなんでも『魔物を従えし悪魔の誘惑』が欲しかったみたい。パフォーマンスに使えそうだから。強力な魔物を神の名によって服従させられたら、さぞ素敵な見世物になったでしょうからね」
それが第二の理由か。
「聖騎士がゾロゾロいた理由って」
「適正がありそうなのを見繕ったんですってよ。父さんは私たちとのパイプ役として呼ばれただけだったみたい」
「僕たちの誰かが受け継ぐとは考えなかったのか?」
「『死人がひとり増えるだけのこと』だそうです」
「どう転んでも聖騎士が皆殺しになる結論しか思い浮かばんのだがな」
アイシャさんも呆れ顔だ。
「上層部に多いんですよね。盲目的な馬鹿が。妄想癖が強くて手に負えないんですよ。自分たちの信じるように世界が動くと信じて疑わないんだから」
とても教皇の孫の台詞とは思えんな。
「ユニークスキルがもし使われたらとか考えなかったのかの」
「考えたから、エルーダだったんじゃないですか?」
「だからおあつらい向きの僕らの情報をリークしたのか……」
彼女は分かっていたのかも知れないな…… 最低のシナリオで人生の幕引きがなされようとしていたことに。
自分の手で片を付けるにはあのタイミングしかなかったのかも知れない。
「誰よりも神を渇望していた者は救われず、神の名の下に胡座をかく者が教会を統べる。神は何処におるのやら」
「教会が世俗まみれだってことは理解したよ」
大抵どこかに救いが転がっているものだ。残された者が救われるような、そんなくだりが。
溜め息しか出ない。
「ピア・カルーゾに冥福を」
僕たちは葡萄ジュースを一気に飲み干した。