魔女と王女と獣人と3
アルガスの街の城壁を越えるとすぐに大きな噴水のある広場に出た。
そこはギルドの建物を始め、商店や宿屋が軒を連ねるこの街の玄関口であった。昼時とあって食堂やオープンカフェはどこも混み合っていた。
姉さんたちのいる店はどの辺りだろう?
商店街を抜けると赤い煉瓦屋根と白壁と緑の木々の景色が続いた。
開放的な町並みが僕の頬を緩ませる。
大きな町並みに見ほれていると、やがて大通りの先に銀色に輝く大きな運河が現れた。
「これでまだ街の半分?」
僕たちは運河の上を跨いでいる大きなアーチ橋を渡った。
橋の大きさは元より、両脇にも商店が並んでいる姿は圧巻だった。
馬車は運河沿いの大きな道を迂回して商業ギルドの倉庫裏手に着いた。そこには運河に面した大きな荷揚げ場があった。
僕はバンズさんと別れて街に出た。商店を見て回りたかったが、今は散歩している時間はない。僕は『希望の雌鳥』という名の宿酒場の場所を人足から教えてもらってそこに向かった。
宿酒場はさらに内防壁を上がった上流街のこぎれいな場所にあった。
「お泊まりですか?」
フロントの女性が聞いてきたので「待ち合わせです」と答えた。
食堂に通されると天使と悪魔が酒を酌み交わしながら歓談している姿が見えた。
「待たせましたか?」
僕はシードルを頼んで席に着こうとすると、姉たちは立ち上がり、僕の両腕を担いで出口に向かった。
「今着いたばかりなのに! せめて水を一杯!」
「いいから、いいから」
姉さんに押し出されるようにして店を出された僕は、姉から両手いっぱいの荷物を渡された。姉たちが酔って脱ぎ捨てた鎧や外套、剣や杖である。
「お願いね」
何がお願いねだ。いい女がだらしないな、昼間っから。どうせならシュミーズ一枚でしなだれてみろってんだ。ほんとにもう。嫁のもらい手なくなるからなッ。
「ふたりそろって無駄美人なんだから!」
「何が無駄よ。美人のお姉さんがいる弟やってるだけで幸福度百二十倍でしょ。ほら、お前の永遠のアイドル、ヴァレンティーナ様の残り香のする鎧だぞ。彼女の匂いをかげる男が将来の夫以外にこの世界に一体何人いると思う。わかったら死ぬほど感謝しろ」
「そんな趣味はありませんよ!」
「フッ、この甲斐性なしめ」
それが数年ぶりに再会した弟に言う台詞かよ。この酔っ払い女。
そうは言いつつも放置できない貴重品ばかりなので僕は自分のトランクケースのうえに言われるまま姉たちの荷物をくくりつけていった。
「あーすっきりした」と姉がほざいた。それは手伝いをしたやつが言う台詞だ。
まったく、護衛も連れずに何やってんだよ、政府の要人がふたりして。
「ようこそアルガスへ」
突然、支払いを済ませた王女様が背中に抱きついてきた。うわっ、おっきい、幸せの感触が……
「鎧着てるから、残念でしたー」
だったら僕のトランクの上に載ってるあれは何だ?
「まあ、かわいい。真っ赤になっちゃって」
うら若きふたりの女性が真っ昼間から千鳥足で、肩を抱き合い歩いて行く。
「初なのねぇ、ほんとにあなたの弟なの?」
「どういう意味よ?」
「わたしにちょうだい」
「誰がやるか!」
ふたりに引っ張られるようにして行き着いた先は、庶民と上流階級を分ける内防壁の高台にある一軒家だった。
「ここが今日からあなたの家よ」
ヴァレンティーナ様が甘ったるい声で僕の耳元にささやいた。姉さんさえいなければ、このまま身を任せたくなるくらいの甘ったるさである。
本当に彼女が幼い頃、僕があこがれていたブロマイドのあの清楚なお姫様なのだろうか?
「お帰りなさいませ」
家のなかからメイドさんらしき女性が現れて、僕たちを出迎えた。
またもや美女である。背が高くすらっとした女性だった。本来嬉しいはずなのに、男としてはこの上ない状況のはずなのに、なぜか身がすくむ。あのメイドも手練れだと本能が教えてくれている。王女様の護衛と考えるべきだろう。あの隙のない直立した姿勢はメイドというより軍人のそれだ。
せめて姉さんクラスの猛者でないことを祈ろう。
「彼女はエンリエッタ。わたしと妹の護衛で、本職は近衛騎士団の我が分隊の隊長だ。この屋敷の全てを任せている」
酔い覚ましを口にしながら王女様は言った。
「お初にお目にかかります。エルネスト様。以後よしなに」
殿下の妹? 妹も来ているのか? っていうより、妹いたのか? もしかして国王の隠し種?
僕に一礼すると、彼女はヴァレンティーナ様に肩を貸しながら家のなかに入っていった。
「よくなったわね」
王女様が居間を一望して頷く。今日一日かけて内装を改装していたらしい。
どうやら工事の邪魔になるのでふたりは追い出されていた様だ。
「殿方には雅に思われるでしょうか?」
エンリエッタさんが僕を見る。
この面子で僕に決定権があるとでも思っているんですか?
「明るくていい内装ですね。調度品も派手過ぎず、落ち着いた色調に統一されていて、特にこの絨毯、ふかふかだ。絵画もこの部屋によくあってる」
「喜んでいただけて何よりです」
「こんな立派なお宅に間借りさせてもらえるなんて申し訳ないです」
僕の言葉に周囲が固まった。
「何を言ってる。ここはお前とリオナの家だぞ」
へ? 僕の? リオナって誰?
姉さんの言葉に首を傾げる。
「わたしたちが滞在するとなると護衛やら何やらで大所帯になるでしょ。宿をとるのも一苦労でね。だったら空き家を買ってしまえということになったのよ」
王女様曰く、二階建てのこぢんまりとした屋敷だそうだが、僕には立派なお屋敷に見えた。
井戸のある中庭を囲むように建てられた口型の家屋。二階の各角部屋は大部屋で、王女様とその妹、そして姉さんがすでに寝室として使っていた。にもかかわらず一番日当たりのいい部屋を僕に残しておいてくれたのだから恐縮してしまう。互いの個室と個室の間には自由に使える大部屋があり、王女様は執務室に、姉さんは書斎兼図書室に、妹御はゴミ箱にしていると説明された。
ゴミ箱? まさか片付けられない女子とか? 同居人としては最悪の設定だ。
「本人は根っからのきれい好きよ。でも狩りの度にどうでもいいものを拾って来てね。記念に飾ると言いはって聞かないのよ。正直理解に苦しむものばかりでね。手を焼いているのよ」
ヴァレンティーナ様の手を焼かせるとは、余程の悪趣味と見える。
一階は居間に食堂、大きめの風呂と使用人のスペースだ。使用人の部屋には独立してキッチン、バス、トイレが付いていて、家族で住めるほどのスペースが用意されていた。前の住人は使用人家族と暮らしていたようだ。今はエンリエッタさんを始め、数人の護衛が詰めている。兵舎より快適だと喜んでいるらしい。その他、使用目的の決まっていない空き部屋と、エントランスホールの隣に客室が二つある。
「気にしなくていいわよ」
姉さんに礼を言ったら、しおらしい答えが返ってきた。
「こっちにもいろいろ都合があってな。お互い様だ」
「妹さんにはいつ会えるのかな?」
「部屋に籠ってるけど食事の匂いがしたら降りてくる」
どんなやつだよ。僕は自室で鎧を脱ぎ、身軽になると溜息をついた。
自分のペースで冒険できなくなりつつある現実に若干の失望感を覚えていた。貴族街の一角に家持ちの新人冒険者なんて、締りのない話だと思った。
「緊張感なくすよな」
自分の力がすべての世界。武器を片手に金を稼ぎ、自分だけの城を持つ…… のが夢だった。泥臭いがやりがいのある人生。
トランクを開けて、ベッドの上に全財産をぶちまける。屋敷の大きさに比べて、僕の私物はたったのこれだけだ。姉さんたちに比べたら僕はまだまだひよっこだった。
扉が叩かれた。食事の用意ができたとエンリエッタさんが声をかけてくれた。
僕は汚れていない服に着替えるとそそくさと食堂に向かった。




