魔女と王女と獣人と1
新章に入りました。
ギルド証を受け取った日、僕は初老の行商人バンズさんの荷馬車に乗った。
ギルドの荷揚げ場で「商隊は月初めに来るだけで、来月までもう来ない」と教えられて困っていたところ、気さくな行商人のお爺さんが現れ、話し相手に丁度良いと誘ってくれたのだった。
バンズさんは週に二度、二頭立ての荷馬車で、麓の街アルガスとエルーダを往復していると言った。最近の積荷は専ら蟹の脚だと聞いて僕は思わず笑ってしまった。こんな所にまで縁が転がっていようとは。
手頃な長さにカットされ、氷付けにされた脚がおがくずの入った木の箱に三つ、収められて荷台に縛り付けられていた。麓に持っていくと二倍で買い取られるそうでお爺さんも笑いが止まらないらしい。
この日は大商人とその護衛という大所帯の一行が夜明け前に旅立っていた。南の国境を越えて取引をする名うての大商人だそうだ。
「あいつ等といっしょに行かん方がええ」
バンズさんはそう言って出発をわざわざ遅らせた。バンズさんも例の噂を聞いていたそうだが、結論はマリアさんと真逆だった。一緒にいたら巻き込まれるというのが結論だ。
ちなみにこの老人、地元の盗賊とは長年の縁で顔見知りになってしまっていて、商品の一部と引き替えに見逃して貰っているらしい。「凶作にでもならなければ悪いことはせん」とバンズさんは豪語するが、たまに巻き上げられることは問題ないのか?
「有益な情報をもらえることもある。金持ち喧嘩せずじゃ」
そう言って笑うとんでもない老人である。
だが、老人は言う。今回の盗賊団は違う、地元の盗賊ではないと。
「なんぞ目的があるんじゃろう」とタバコをのんきにくゆらせる。
そんなわけで道程は楽しく順調だった。
月に一度でも商隊が通るとなれば道の整備もしっかりされているから、馬車の揺れも思ったほどひどくない。
「こいつはな、『蟹の道』と呼ばれておるんじゃ」
バンズさんは街道を指して言った。
「この国は海がないじゃろ。だから蟹は人気があってな。昔は貴族の舎弟がよく迷宮に狩りに来たもんなんじゃが。その頃、諸侯に道が悪いとせっつかれてな、当時の領主が渋々作ったのがこの街道というわけじゃ」
「今は?」
「隣国から買っておるな。最近は紛争もないし、関係も安定しておるからの。とはいえ首都から離れたアルガスでは今でもこの通りじゃ」
荷台の上の木箱を見ろと顎をしゃくる。
昼食をとり腹も膨れて眠くなり始めた頃、遠くに馬の暴れ回る蹄の音が聞こえてきた。
バンズさんは馬を止めて、じっと遠くを見つめた。僕には平原の先に棚引いている砂塵しか見えなかった。
「例の盗賊団が今朝の商隊を襲っておるようじゃな」
先行していた大商人の一行が襲われているらしい。
「馬車を隠さねば」
街道をはずれ茂みのなかに馬車を隠すと騒ぎが収まるのを待った。
マイバイブルの勇者なら盗賊に仕掛けるところだが、大地を震わすこの蹄の数に単独で突っ込むのは無謀だ。とは言え、何もしないというのも良心が痛むというか、ただ隠れているのもどうかと思ってしまうのだ。安っぽい正義感と言えばそれまでだが、この手の運命を享受するというのも寝覚めが悪くなる原因になるに違いないのだ。僕は安眠したい。毎日うなされるような人生はまっぴらだ。かといって永眠も御免だ。慎重に行こう。切り札の『魔弾』を勘定に入れつつ、とりあえずは状況確認だ。
僕はバンズさんが止めるのも聞かず襲撃ポイントに向かった。
「影ながら援護ができればいいのだが」
一行の馬車を囲むように疾走する盗賊たちを見ていると、素人っぽさがにじみ出ていた。それに対して防戦一方の護衛は手練であった。盾や木箱のバリケードの影に隠れながらのらりくらりと善戦していた。
それでも商人側の馬はすべて射殺され、数の暴力の前に一行は殺されるのを待つばかりの状況であった。業を煮やして火を掛けられたら終りはさらに早まるだろう。伝令が街に向かっていればやがて応援もくるだろうが、伝令は出たのであろうか、待つ時間は残っているだろうか。盗賊の数は五十騎を超えている。護衛は怪我人を含めてもわずかに十名ほどだ。
弓で標的を狙うために馬の速度を落とし、目の前を通り過ぎる盗賊がいた。
僕はやつの背中めがけて『一撃必殺』のスキルを使って矢を放った。『必中の矢』は回収できなかったら悔しいので使わない。いざとなったら話は別だが。
外周を走っていたその男は誰に知られることなく落馬して息絶えた。主を失った馬は群れから放れて逃げていく。
ウツボカズランを狩ったときの要領を思い出しながら、草原に身を潜めつつ、群れからはぐれた獲物を狙う。矢を番えようと手元を見ている男に僕は標的を定めた。男は弓を構えることなく馬上からずり落ちた。
落ちた男に気づいた後続の男が周囲を見渡し声を上げようとした瞬間、護衛の放った矢が男の頭を射貫いた。弓の腕もさることながら、こちらの存在にもう気付くとは、護衛をしている人物は余程の凄腕かスキル持ちだ。盗賊のなかにも探知系のスキル持ちがいたはずだがおそらく護衛に優先的に始末されたのだろう。おかげでこちらは心置きなく行動できるというものだが。
盗賊が異変に気づいたとき、その数は三割ほど減っていた。それでも護衛の数より倍以上多いのだが。盗賊たちは慌てて周囲を見渡し始めた。そんなとき一人の盗賊が落馬した。全員の視線が一斉に落馬した男に集まった。盗賊のリーダーとおぼしき男は僕の矢を首に受けて絶命したのだった。
盗賊団は慌てて手綱を叩いて一斉に逃げ出した。
一瞬何が起きたのかわからなかった護衛と僕は呆然と盗賊たちの背中を見送った。
「助かった。こちらに参られよ」
草むらに身を潜めている僕に向かって護衛のひとりが弓を振った。僕は射られては堪らないと両手を挙げ草むらから顔を出した。
「その格好は冒険者か?」
護衛の言葉に僕はうなずいた。
「たまたま通りがかったもので」
そう言ってバンズさんの馬車がやってくるのを見つめた。
「とにかく礼を言う」
僕たちが握手を交わしていると、馬車のなかから声が聞こえた。
マイバイブルではどこかの国のお姫様が出てきて恋仲になったりするのだが、顔を出したのは丸々と肥えた親父だった。大商人でしたね、確か。とてもそうは見えないのだが。僕を一瞥して護衛に何やら告げているようだった。
僕がバンズさんに手を振って迎えていると、先ほどの護衛が声を荒げて「傭兵の世界にもルールがあります!」と雇い主に叫んでいた。僕に渡す報酬で揉めているようだった。僕が若いせいで報酬をケチろうとしているようだ。
別にいらないけどね。
なんとなく関わりたくないという本能が働いて、バンズさんが早く来てくれることを願った。でもバンズさんは途中で馬を止めてしまった。バンズさんが凝視している先を見つめると、土埃が舞い上がっているのが見えた。アルガス側の丘の向こうからだった。
「増援?」
僕は剣を抜きかけると護衛が止めた。
「街の衛兵だ。敵じゃない」と言って、出迎えるように馬車の正面に歩み出た。僕はなんとなく嫌な予感がした。
しばらくすると二列縦隊でこちらに向かってくる一団が目に入った。なるほど援軍であった。
馬車のなかの商人が「今頃来おって遅いわ」と癇癪を起こしていたが、周りの者は取り合わなかった。なんとなくかわいそうな御仁であるが同情する気にはなれなかった。でも本当に大商人かと思えるほどの小物振りだ。思わず男の店の心配をしてしまう。
援軍の先頭が後続を遙か彼方に引き離してやってくるのが見えた。逆光のなかローブを翻し、長い髪をなびかせ、片手に大きな杖らしきものを携えて鬼神の如く勢いでやってくる。その影に隠れて付かず離れずもう一騎がマントをなびかせながら付いてくる。
僕の背中から冷汗が吹き出していた。
足は震えだし地面に吸いついたように動かない。シルエットはどんどん大きくなり、やがて、彼女はやってきた。
「なんだ、終わってるじゃないか。ヴァレンティーナ、お前が馬屋との交渉に時間をかけすぎたせいだぞ」
姉さんだった。
主人公の穏やかなときは終わりました。




