エルーダ迷宮狂想曲(ゼンキチ接触編)12
全員を宝箱から下げ、尚且つ結界を張る。さらに万能薬を口にくわえる。
そして鞄のなかに隠してある『迷宮の鍵』をこっそり近づける。
カチッ。音がする。
開いた? 開いたか?
「……」
今、人生最強の結界を発動させている。
震える手で蓋を少し持ち上げる。
突然罠が発動して、心臓にナイフが刺さるんじゃないかとか、箱が爆発して巻き込まれるんじゃないかとか、おかしな色した煙がモクモクと……
開いてる!
鼻から吸い込み、口から大きく息を吐く。
ゆっくりそのまま蓋を持ち上げる。
ここまで来ればもう罠はない…… よな?
宝箱のなかには金貨がぎっしりと詰まっていた。
僕は振り返りアイシャさんを見た。多分、ずぶ濡れになったオクタヴィアみたいな情けない顔をしていたと思う。
アイシャさんの合図で全員が集まった。
数えるのは後にして全員で金貨を頭陀袋に詰め始める。
「開いたのか? わしがあんなに苦労したというのに…… みんな死んでしまったというのに……」
爺さんが雷に打たれたかのように呆然と立ち尽くしていた。
「ようやく思い出したか? ご老体?」
アイシャさんが爺さんの前に立ち塞がった。
「サルヴァトーリ殿、この宝箱を開けようとしたとき一体何があった? そなたはどんな状態異常を貰った?」
何? どういうこと?
全員が背中を振り返り、爺さんと、対峙するアイシャさんを見た。
爺さん、あんたもこの箱開けていたのか?
「わしは名うての一匹狼じゃった。剣は元よりアサシン系の技術にも長けていた。わしに開けられない宝箱などもうこの世にないのではないか、とさえ思っていた。だから成功する自信があった。高々低層にある宝箱じゃないか、とね。じゃが、後一歩! 後一歩のところでわしはミスをした…… 罠が発動してしまった……」
昔の記憶に恐怖するように顔を節のある手で覆った。
「何が起きたか、最初分からなかった。わしは何も変わらなかったから。それより仲間がおかしくなった。気が狂い自分を刺し貫く者。硬直して青ざめていく者。回復薬を必死に飲み干しながら泡を吐いて崩れていく者。全身が毒で膨れあがり溶けて消えてしまった者。気付いたときにはわしひとりが地面に伏していた。わしらが倒してきた食人鬼より無残な死骸が転がっていた」
サルヴァトーリ・ゼンキチは首を振った。
「何が起きたのか未だに分からん」
「『悪魔の叫び』じゃ」
アイシャさんが答えた。
「正しい名前は『運試し』じゃったかな? どこかの阿呆が考えた最悪のトラップじゃ」
「『運試し』じゃと?」
爺さんの声には怒気が含まれていた。
「遙か昔、極悪人を公衆の面前で裁くために考案された拷問の一種だと言われておる。犯罪の重さによって決められた数の箱が置かれ、罪の重さに応じて、それぞれの箱に罠が仕掛けられるのじゃ。人を一人殺すと箱が一つ用意され、ふたり殺せば二つ用意された。初犯なら罠の半分は軽微なもの、重犯なら重い罠が増えた。なかには被害者遺族が選んだものがあったりしたようじゃよ。罪人は用意された箱をすべて開かねばならない。『運がよければ助かるぞ』と甘いことを言われるが、いざやってみると大概途中で音を上げる。目の前に残されたいくつもの箱に耐えられなくなる。すべての箱を開けるまで回復処置がなされることはない。ゆえに『弱い毒で死ねれば幸運』などという言葉が今も残っておる」
「『一撃を持って神の慈愛となす』という言葉もありますね」
ロザリアは淡々と会話に参加している。僕もロメオ君も、リオナもオクタヴィアでさえ、血の気が失せているのに。
「わしが発動させた罠がそれだというのか?」
「罠のレベルも確率も、遙かにひどいものだったようですね。でも、備えていれば死なずに済んだことでもあります。あなたのように」
老人の窪んだ目が見開かれる。
「わしは何もしておらんぞ?」
「あなたが首から下げているのは、『フェニックスの灰』ではないですか?」
「これは、母親がくれたものだ! わしが剣で生きると決めたとき…… 家財一式を売り払って手に入れてくれたものじゃ」
「『フェニックスの灰』を持つ者は死して尚、復活すると言われています。実際確率は低いものらしいのですが」
「母親に感謝することじゃな」
「まさか……」
「罠が発動したとき、そなたは一度死んだのじゃろう。だが『フェニックスの灰』がそなたを救った」
老人が胸の小瓶を握りしめた。
「じゃが、呪いまでは解けなんだようじゃの? いや、罠に改めてかかってしまったのかも知れん」
「呪い?」
「普通の人間がこんな場所で三十年も耐えられると思うか? 普通はそんな見窄らしい姿になる前に地上に出るし、仲間の遺品を遺族に返しもするだろう? 第一これほどの出来事をさっきまで、思い出せなんだじゃろ? 惚けたのかとも思ったが、剣捌きに陰はなかった」
「多分、わたしたちが出会ったあの場所から先に行けなかったのではないですか?」
老人は頭を抱えた。どこまでが自分の意思なのか分からなくなっている。
「地縛か…… それならここから離れたいとは思うまい。さぞかし、この地が心地よかったことであろうの」
「地縛って?」
「地縛霊のあれか?」
僕たちはロザリアに声を掛けると彼女は頷いた。
さすが教会の娘。この手の話は己の領分ということか。
突然、老人の足元が光った。
「本来、呪いは教会に出向いて解いてもらうものじゃが、地縛では仕方がないの」
爺さんはうろたえた。逃げたい衝動に駆られているのだろう。
「動くな! 呪いを解いてやろうというのだ!」
「わしは…… わしは……」
苦しそうである。本能が逃げろと言っているのだろう。
「母親の墓前に花も手向けずに、この地で果てるというのか!」
老人の狼狽はピタリと止まった。
爺さんは地面に腰を下ろして腕を組んだ。
「よろしく頼む」
そう言ってロザリアに一礼する。
ロザリアは簡易教会の結界を張り巡らせて、呪法を朗々と詠唱する。
アイシャさんは僕とロメオ君のところにやって来て、予備の服を寄越せと言った。
僕は野営に備えて用意していた寝間着代わりのローブを取り出した。
「うまい!」
サルヴァトーリ・ゼンキチがなぜか我が家で飯を食っていた。
「お帰りー」
僕は修道院によって戦利品の処分を依頼してきたので、一足遅れて戻って来たのだった。
「買ってきたよ」
テトやピノたちが老人の服を買い漁ってきた様だった。
「おお、すまんな、子供たち」
「なんか別人じゃないか?」
僕は近くにいたロメオ君に話し掛けた。
「お風呂に入ったら、灰汁が抜けちゃったみたいだね」
目の前にいるこの男は、元気な初老の老人にまで復活していた。死人のような老人の姿はもうここにはない。
失われた筋力は鍛え直すしかないが、この人ならなんとかするだろうと思えるほどはつらつとしていた。
チッタとチコがオクタヴィアを抱えてお風呂から戻ってきた。
今日はのぼせなかったようだ。
全員揃ったところで子供たちはテーブルに着く。
僕の座る席はなさそうなので、先に風呂に入ることにする。
「あ、若様」
テトが呼び止める。
「『明日、一番艇がロールアウトするから、出席するように』って棟梁が言ってた」
いよいよ、領主様の飛空艇が完成したのか。
「みんなも一緒か?」
子供たちが全員頷く。
「明日は全員指導員で雇われた」
ピノが言った。
「ここは陸地じゃろ? 湖でもあるのか?」
爺さんが尋ねた。
「空を飛ぶ船だよ、おじいちゃん」
チコが言った。
サルヴァトーリは目を丸くして、こちらを見てから溜め息を付いた。
「三十年か……」
失った時の流れに思いを馳せた。
「わしは百五十年じゃ」
アイシャさんが老人の肩を叩いた。
「今夜はやけ酒に付き合ってやろう。子供相手じゃ、愚痴一つこぼせんじゃろうからの。婿殿も誘おうかと思ったが、明日、お役目では仕方ない」
別に宮使いしてるわけじゃないんだけど。
「ならば、わたしが代わりに付き合おう」
アンジェラさんが珍しく夜更かし宣言である。こちらは恐らく、アイシャさんのためである。
「なんで一番なの?」
オクタヴィアが聞いてきた。
一瞬なんのことかと思ったが、船のナンバリングのことだと気が付いた。
「俺も知りたい!」
子供たちも興味があったようだ。
「大人の事情だよ。二番目に完成した王様への献上品にはナンバリングしなかったろ? 船の性能は変わらないけど、庶民や格下の貴族と一緒にするわけにはいかないから数字は付けなかったんだ」
オクタヴィアが頷いた。
「領主様と僕だとどっちが偉い?」
「ヴァレンティーナ様!」
子供たちが答えた。
「本人は気になさる方ではないが、気にする者もいるだろう? だから領主様が一番だ」
「でも、若様の船が一番最初!」
オクタヴィアが真剣だ。
「だからうちの船はゼロ番なんだ。ゼロは一の前だけど、なんでもないという意味にもなるだろ? うちの船は実験船も兼ねてるからちょうどいいんだよ」
ちっと難しかったかな? 実験船だからゼロというのは理由になってないか?
「悲しい?」
オクタヴィアが呟く。
ああ、そう言うことか。さては番号取られたと思ってるんだな。入れ知恵したのは子供たちか?
僕はオクタヴィアの頭を撫でる。
「零番格好よくないか? 一番より格好いいだろ?」
気に入ってるんだけど、説明の仕様がないんだよな。ゼロだけなんか孤高っぽくない?
「若様嬉しいなら、いい」
「ありがとな、オクタヴィア」
「どうでもいいけど、若様、いつになったら風呂に行くんだい?」
アンジェラさんが突っ込んだ。
「あ、そうだった」
僕は急いで風呂場に向かった。