エルーダ迷宮狂想曲(フェンリル編)3
探知スキル的に言うと、忽然と通路からフェンリルが現れたと言う表現になる。通常、周囲にいる仲間が駆けつけるのだが、別の間抜けがいる場合、『増援』は場当たり的に行なわれるようである。
そんなわけで、僕たちの後方から一匹、前から一匹接近中である。
『フェンリル、レベル三十二、メス』
「そんなところにいると食われるぞ」
意気消沈したオクタヴィアが罠のそばでしゅんとしているので声を掛けた。
「怒ってないからおいで」
僕が手を差し伸べると、オクタヴィアは全力で戻ってきた。
「若様、ごめんなさい」
そう言うと僕の肩に飛び乗った。
「わたしは許してないぞ。オクタヴィア……」
「きゃひっ」
変な声を出して僕の顔の反対側に逃げた。
「ご主人、ごめんなさい」
「今度やったら、食事抜きじゃぞ」
「もうしません」
「まあ、いいじゃろう。退屈しておったしの」
前から一匹のっしのっしとゆっくり威嚇するように姿を現わす。
そして通路の角に差し掛かったところで、膝を突く。
「遅いフェンリルなんて狐以下なのです」
「いつの間に……」
リオナが至近距離から赤柄の方をぶっ放したのだ。
『獣の腕輪』のせいで速さが尋常ではなかった。
ロザリアが呆然としている横で、アイシャさんが「おみごと!」と言って頷く。
そして挟撃するつもりだった相方がいなくなったことにも気付かずに後方からもう一匹が姿を現わす。
「誰がやる?」
アイシャがみんなに尋ねる。
「わたしが。一回も相手したことがないので」
ロザリアが挙手をして一歩前に出た。
そして『グングニル』の柄尻で床を叩いた。
いきなり召喚魔法である。ライトブルーの魔法陣が足元に広がる。
ベンガル登場である。『天使の腕輪』の恩恵か、いつにも増して神々しい輝きを放っていた。
オクタヴィアがびっくりして身を縮める。
「まさか、あんな隠し球を……」
アイシャさんも驚いている。
「やはり只の教会の娘じゃなかったの」
「行きます!」
頭上に光の矢を形成する。こちらも以前と輝きが違う。
複数の矢が形成され、迎撃チャンスを待つ。
そしてフェンリルがこちらものっそりと通路の角に現れる。
ここのフェンリルは通路の地形のせいで、冒険者以上に不利益を被っているようだ。速さが命の魔物にこの入り組んだ地形は不利以外の何物でもない。レベルが若干低くても、地下一階の草原エリアのフェンリルの方が遙かに怖かった。
光の矢が放たれるとフェンリルは眩しさに目を細めた。そして直撃を受ける。
暗がりになれた僕たちの目にも眩しい一撃が見事に炸裂した。だが、これが致命傷ではない。
「終りました」
光が収ると、喉元を食い破られたフェンリルが床に転がった。本命は闇にではなく、光に紛れて止めを刺したベンガルである。
ベンガルは一声吠えると大気に溶け込むように消えた。
「頭が変になりそうじゃ。フェンリルはいつからこんなに弱くなったのかの?」
「このフロアーはフェンリルには不利な地形ですからね」
野生のフェンリルなら間違っても住まない地形だ。
恐らく複数のフェンリルを、冒険者が相手にすることを前提にしたフロアーなのだろう。自由に動かれたら手が付けられなくなるから足枷をしたといったところだ。
足枷がきつすぎるように僕には思えてならない。
一匹目のフェンリルが魔石になった。
「はずれなのです」
風の魔石(中)だったらしい。リオナが腰袋に入れて戻ってきた。
二匹目が魔石になるまでこのまま待機である。
「あちらはまだやっておるの」
数ブロック先の追っかけ連中は苦戦しているようである。一匹を倒して尚、三方面で戦闘を繰り広げていた。さすがに腐っても冒険者である。早々やられはしないようだ。
「とは言え、そろそろスタミナも魔力も切れる頃合いじゃの」
言ってるそばから脱落者が出た。ただし負傷者ではない。逃亡者だ。
「おや? もう撤収か?」
二班あったパーティーのうちの一班がどうやら勝手に離脱したようだった。
残されたパーティーは三対一を強いられることになった。
完全フリーになった一匹がパーティーの後ろから迫り来る。
強制離脱しようにも、二匹ですら全員で対処して均衡をかろうじて保っているのだ、数人抜けただけで、守りは一気に崩れて飲み込まれてしまうだろう。間違いなく殿の数名は助からない。だが、このまま三匹目が加われば、どの道全滅だ。
「誰かが犠牲になるの……」
「行くぞ」
僕たちはフェンリルの結晶化を待たずに、走り出した。
「その角の先に罠!」
ロメオ君の声にリオナが真っ先に反応して罠を飛び越える。
罠の位置がわかったので後続も飛び越える。
角を五つほど曲がり、さらに角を曲がる。
「次の角が最後!」
リオナが加速する。
僕が最後の角を回ったとき、リオナの剣はフェンリルの頭頂を突き刺していた。
僕たちの登場に面食らった一行はただ呆然としている。
フェンリルの横を素通りして左の一匹をロメオ君が瞬殺。右の一匹をロザリアが牽制、アイシャさんが止めを刺した。
九死に一生を得た追っかけ連中は疲れ果てて床に転がった。
「共闘する相手は選ぶべきだったな」
出番のなかった僕はそう言い捨てると、彼らの間を抜けて、そのまま出口へと向かった。
僕たちは何食わぬ顔で合流し、出口へと続く通路に消えた。
アイシャさんもすかした視線を彼らに向ける。
オクタヴィアが一番偉そうに僕の肩の上でふんぞり返る。
角を曲がるにつれて、僕たちの口元が緩む。
そして出口の明かりが見える頃、僕たちは笑い出した。
「見たか? あの間抜け顔を」
「呆然としてましたね」
「あんな雑魚相手に死にかけてはいけないのです」
「さぞ人の善意が骨身に染みたことでしょうね」
「出番がなかった……」
「楽しかった。尻尾がまだゾワゾワする」
「こんなに痛快な思いをしたのは久しぶりだ」
全員が吹き出し、楽しそうに大いに笑った。
「ちょうどいい時間だ。外に出たら昼にしよう」
僕たちは階段を降りると、意気揚々とゲートを潜った。