閑話 複製士と『異世界召喚物語』
新しい町の建設予定地が定まった頃、レジーナは王宮魔法騎士団の詰め所、魔法の塔にやって来ていた。
「おや、珍しい。久方振りですね、レジーナ」
王宮魔道師の制服を着た丸眼鏡の男が分厚い本を抱えながら言った。
「やあ、ジーノ。元気そうで何よりだ」
魔法の塔の次官にして、レジーナの同僚、ジーノ・エゼキエーレ氏である。
「筆頭に会いに来たのかい?」
「まさか!」
「心配しているよ」
「よろしく言っておいてくれ。それより今日はあんたに頼みがあってきたんだ」
「頼み?」
「人を借りたいんだ」
「魔物でも出たのかい?」
「いや、私用だ。複製士を借りたい」
「おや? 希少本でも手に入れたのかい?」
「違うよ。新しい町に弟が新居を構えるんでな。祝いの品を送ろうと思ってな。実家にあるただの英雄譚なんだが、それの複製を頼みたいんだ。一冊五百頁程度で三十巻ある」
「結構な量ですね。期限は?」
「新居の完成は秋の終わりになる。それまでにたのみたい」
「それでしたら余裕ですね。仕事にあぶれている者でも?」
「新人育成も仕事の内だろ? 確実にこなせれば、誰でも構わん。ただ、門外不出でな。うちの実家での作業になる」
「諸経費は?」
「もちろんこちらが持つよ」
「少々お待ちを」
そう言うとジーノは呼び鈴を鳴らした。
「これを複製するんですね?」
「そうだ」
「表紙などはどうなさいますか?」
「弟は派手なものは好まんのでな。余り高級である必要はない。色も落ち着いた色調がよいだろう。劣化防止の魔法陣も本棚の方に入れるので気にしなくていい」
「なかを拝見してもよろしいですか?」
「ああ、構わん」
三人の新人複製士は顔を見合わせた。
「補佐官、これは思ったより時間がかかります」
「そうなのか?」
「この注訳に書かれている暗号のような文字は、何語ですか?」
「問題か?」
「我々の仕事は意味をとらえて複製する方が断然早いのです。ですから我々は必ず数カ国語をマスターすることになっております。特に上級になりますと」
「紋章課はエルフ語、資料管理課は古代語が必須だったか?」
「はい。ですが、この言葉は…… 世界の言語体系のどれとも違うようです。それと、後から書き足された覚え書きや、落書きのような挿絵なども正直困ります」
「その落書きや暗号のような文字が大事なんだが…… 無理か?」
「いえ、時間がかかるということです。文字としてとらえるのではなく、頁全体を一枚の絵としてとらえれば処理に問題はございません。ただ、複製の速度は半分以下になってしまいますが?」
「ひとり一日五十頁。三人で百五十頁。十日で三冊。一月で九冊、約三ヶ月弱を予定しておりましたが、半年は頂くことになるかも知れません」
「こちらは冬になる前に終らせてくれれば構わない。本を収める建物もまだない状況なのでな」
三人はほっと胸を撫で下ろした。無理なら、応援を呼ぶか、自分たちより上級の複製士に仕事を譲らなければならなくなるからだ。どちらにしてももらえる手取りは減ってしまう。
「それなら問題ありません」
一行はヴィオネッティー家の書庫を出た。
「屋敷のなかでは窮屈だろうから、離れを用意した。作業はこちらで行なって貰いたい」
三人は屋敷から少し離れた森のなかにあるゲストハウスを見て息を飲んだ。そこは蔦が絡まった古びた山小屋風の建物だった。お洒落で落ち着いた物件だった。
ここに仕事の名目で、半年もいられることに三人は小躍りした。
「それでだ。給金の方なんだが、聞けば一冊に付き金貨百枚ぐらいになるそうではないか?」
三人が目を見開いた。
「いえいえいえ、違います! 補佐官! そんなには掛かりません! それは希少本の高級魔道書などを写す場合の値段です。各種プロテクト、守秘義務の分も含めた値段です!」
「ではいかほどになる?」
「我々は新人です。先輩方と違って、修行の身です。日当でひとり銀貨五枚ほど頂ければ十分です。後は一冊ごとの成功報酬ですが、我々新人は規定で一冊当り銀貨十枚までしか請求できない決まりになっております」
「少なくはないか?」
「いえ、新人は数をこなすことが大切なんです。それに世のなか、高級な書籍ばかりではありませんから。安く仕事を受ける者も必要なんです」
「副業という奴か…… それであぶれてしまっては生活にも困るであろう?」
「面目次第もございません」
「決まりなら仕方がないな」
「はい」
「ではこうしよう。面倒な依頼のようだし、専属でやって貰うのだ、日当を倍だそう。三人で月に金貨十枚でどうだ?」
「それでは、貰い過ぎです。他の者にやっかまれます」
「やっかみはしないと思うが…… ヴィオネッティーの本宅など堅苦しくて、皆、貧乏くじを引いたと思っているのではないか?」
「我々は雲の上の補佐官殿とこうして話せるだけで役得であります!」
「おだてても何も出んぞ。そうじゃ、給金を三倍に!」
「だからそれは駄目です、補佐官殿!」
真顔で止められた。
「そうか? 仮にも王宮魔法騎士団なんだから、正当な対価は貰わんといかんぞ」
「あの……」
「なんだ?」
「もしよろしければ、本をもう何セットか注文して頂けませんか? そうしていただければ我々も多少の言い訳が立つというか……」
「それでは君たちが大変だろう?」
「いえ、『複製』スキルというのは、一度原稿を覚えてしまえば、次を発動させるまで、何枚でも複製が可能なのです。ペンを一々走らせるのではなく、魔法を使ってインクを紙に定着させるだけですから、時間も大してかかりません。材料費は掛かりますが、手間は一緒ですから…… いかがでしょうか?」
レジーナはしばし考え頷いた。
「よし、わかった。では、弟の分と、わたしの分と、予備にもう一セット。三セット頼むことにしよう。装丁は任せる。報酬は一ヶ月、成功報酬と合わせて金貨十五枚、半年間で九十枚で雇おう。異論は?」
「ありません! 身に余る光栄です!」
「よし、九十枚で決定…… いや、切りが悪いな、百枚にするか?」
三人は慌てて引き止めた。
「切り上げないでください、補佐官殿! もう十分ですから! 貰い過ぎですから!」
ひとり頭一月、金貨三枚。成功報酬は月十三、四冊で金貨一枚半。
既に金貨四枚半もらい過ぎである。
二割ほど塔に収めなければならないが、その分の金貨三枚は余分から出せばいいので、正規報酬が丸々三人の懐に入ることになる。それでも金貨一枚分がまだ余るのだ。
新人には厚遇過ぎる条件だった。
「うむ。君たちがそう言うのなら仕方ないな。ではそのように請求書を頼む」
「かしこまりました」
それから半年、新人複製士の割のいい仕事は続いた。
魔法の塔ではしばらくその噂で持ちきりになったが、レジーナは同僚のジーノに言ってのけた。
「弟のためだからな。もっと高くてもよかったのだが、決まりとあらば仕方がない。あいつらには守秘義務も含めて多めに払ったが、成功報酬は如何ともし難いな」と。
「レジーナ、次からは俺に頼め! いいな」
「お前自分の仕事があるだろ?」
「有給取るから。うちの子供も来年学院入学だからな」
「そうか? じゃあ、今度一緒に狩りにでも」
「済まん。やっぱり予定が立て込んでて無理だ」
「そうか。金が入り用ならいつでも遠慮なく言えよ。おいしい狩り場を案内してやるからな」
同じ職場に勤めているからと言って、誰もがA級の魔物を気楽に仕留められるわけではない。
レジーナはジーノの動揺を余所に、鼻歌交じりで部屋を出て行った。
「嗚呼、完成が待ち遠しい。エルネストの奴、喜ぶだろうな、きっと」
今から妄想全開の姉であった。