闇の信徒20
僕たちがスプレコーンに戻ったときには、町は既に動き始めていた。
朝市を覗き、オクタヴィアに魚を選ばせた。
「なんで貝なんだよ?」
「食べたことなかったから、食べたかった」
言葉が通じてよかったな。鮮魚の隣りにいつも置かれているのに、一生口にできなかったかも知れないんだからな。言葉は偉大だよ、ほんと。猫が貝食いたがるとは思わないもんな。
市場の客たちは僕たちを不思議そうにながめた。
朝も早くから戦装束で、尻尾が二本の猫を連れてお買い物だ。猫はしゃべるし、エルフは飛びきりの美人ときたもんだ。
家に戻ると全員が眠そうな目を擦りながら出迎えた。
「遅かったわね」
姉さんも戻っていた。
「えーと」
僕は改めてバンパイア改めオクタヴィアの紹介をしようとした。するとオクタヴィアは自ら立ち上がって、一歩前へ進むと、ぺこりと頭を垂れた。
「これからはオクタヴィアと呼んでください。よろしくお願いします。それと朝ごあん食べたいです」
我が家があっという間に騒然となった。
家に着いた途端、安心したのか睡魔が襲ってきた。
「猫がこれ食いたいって」
朝市で仕入れてきた貝をエミリーに渡すと、僕は自分のベッドに身を投げた。
「呪いは治ったですか?」
リオナが扉の隙間から顔を出したので、僕は笑い返した。
「ごめんな、心配かけて。でももう大丈夫だから」
「心配したです」
リオナの頭を二、三度撫でたところまでは覚えている。
でもその後の記憶がない。どうやら即寝したらしい。
目が覚めると夜になっていて、全員が夕食を取っていた。
僕の席で、椅子の肘掛けに板を渡して、その上でオクタヴィアが食事していた。
床の上で食べさせるのも、もはや憚られるのだろう。かと言ってテーブルの上で食事させるわけにもいかず、苦肉の策のようだ。
「若様、席替わる?」
オクタヴィアが鼻を濡らしながら聞いてくる。
「ゆっくり食べな。僕は後でいいから。それより喉が渇いたな、何かもらえるかな?」
「はい、ただいま」
エミリーがコップに冷えたジュースを注いだ。
僕はソファーに座り込んだ。寝過ぎたせいか、だるさが増していた。
こりゃ、風呂にでも入ってさっさと二度寝した方がいいかもしれない。
「アイシャさんは?」
「ずっと寝てるです」
「そっか……」
この家は悲嘆に暮れるには騒がしすぎるからな。籠るに限る。
「起きてくるまでほうっておいてやりなよ。っていうか、彼女の部屋どうなった?」
「わたしの部屋に仕切りを入れて一部屋作りました」
ロザリアが言った。
「狭すぎないか?」
「元々広い部屋でしたし、新居ができるまでの辛抱ですから問題ありません」
「大工さん来たです。新しいドア付けてもらったです」
「仕事早いな」
誰かが部屋に消音付与してくれたのかな。自分は全然気付かなかった。
「そう言えば姉さんは?」
「帰ったよ。彼女も眠そうにしてたからね」
アンジェラさんが言った。
「若様、食べ終わった」
オクタヴィアが椅子から飛び降りて僕の足下まで来た。口元がソースで脂ぎっている。
「今朝の貝はうまかったか?」
「小さいのはくにゃくにゃしてた。おっきい貝は美味しかった。これからはあれがいい」
あの分厚い貝柱の奴か? 確かサンテ貝と言ったな。僕の頭のなかでは異世界の名称ホタテで通っているけどな。内陸では滅多に手に入らない一品だ。その分お高くなっておりますよ、猫様。
僕はオクタヴィアの口を拭いてやった。
「よし、美人になった」
「それで、ほんとにやったのかい?」
アンジェラさんが料理を運んできて言った。
「何を?」
「リッチのことよ!」
「ああ、そのこと? やったのはアイシャさん。僕は呪い食らっただけで何もしてないよ」
「おや、そうだったのかい? またあんたが何かやらかしたんだと思ったんだけどね」
人をトラブルメーカーみたいに言わないでくれます?
「今回は出番なし。ほんとに結界張る以外何もできなかったんだから……」
そうだ、薬、大分消費したんだよな。寝る前に作っておかないと。
『なんちゃって万能薬』はすぐにはできないからな。材料残ってたかな?
僕は地下室の保存庫に気が向いていた。
「ご主人、おはよう」
オクタヴィアの声で気が付いた。
「おはよう、バ、オクタヴィア」
アイシャさんも気だるそうに起きてきた。
「もういいのかい?」
アンジェラさんが声を掛けた。
「ああ、問題ない。食事を頼む」
「婿殿は大丈夫か?」
隣りのソファーに腰掛けて僕に尋ねた。
「まだだるいかな」
「身体が慣れるまでの辛抱だ」
料理の準備ができると、僕たちは自分の席に着いた。
温かいシチューだった。僕はパンを浸けて食べた。
リオナたちは食事を済ませると入れ替わりにソファを占領した。
「一つ聞いてもいいですか?」
「なんじゃ?」
「なんであの…… 『闇の信徒』のローブ着てたんですかね?」
「着てたのか?」
そうか、姉さんの魔法で消し飛んだから、アイシャさんは見てないのか。
「ええ、僕たちとやり合ったときはローブ姿だったんです」
「だったらあれじゃな。彼女の私服。元々イベント用の『闇の信徒』の服は彼女がデザインしたものだからな。似た服が同じに見えたといったところじゃろ」
あるいはどこかでイベントアイテムをくすねたか。
「例の魔石どうします? お土産って話でしたけど……」
気分的に同情できないんだよね。元々里の彼らが非情なことをして追い打ちをかけたから、彼女はああなったわけだし……
「例の特大は姉上に譲ろう……」
エルフの隠れ里の位置は既にばれてしまった。これからどうするかは彼ら次第だ。世捨て人に戻るもよし、表舞台に出てきて交流を持つもよし。
「なんじゃ?」
「いえ、なんでも……」
「百五十年だ。当時の連中は生きていまい? それとも手を下した連中がリッチ相手に無事だったとでも?」
「そりゃまあ、そうなんですけど」
「そんな顔するな。後は心の問題だ」
自分に言い聞かせているようだった。
「それにしても、このシチュー肉少なくありません?」
小さな肉片が二つだけだぞ。
「野菜ばかりじゃな」
ふたりして皿の底をすくった。
「五人組が心配して来てくれたんですよ」
エミリーが苦笑いした。
あのチビどもか。かこつけて飯食いに来たな。自分の家で食ってないのか?
「こっちにも欠食児童がおるしの」
アイシャさんが居間の方を見た。
「リオナのお腹は不測の事態に対応できないのです。お肉だけは例外品目なのです」
聞いてたか。
「明日は眠り羊狩りなのです。肉をいっぱい取ってくるのです!」
「ち、ちょっと、婿殿! あんなこと言っておるがよいのか?」
「何が?」
アイシャさんが僕に顔を近づけた。
「リッチと戦った翌日になんで眠り羊なのじゃ! おかしいじゃろ!」
「仕方ないですよ。エルーダ迷宮の転移ゲートは上階から順にしか開放されないんですから」
「リッチと言ったらS級でも仕留め損なうような相手だぞ。それを追い払った連中が、眠り羊? あれはランク何じゃった? Dか? Fか?」
「Cだったかな。意外に高いんですよね」
「お前たちのランクはどうなっておるのじゃ?」
「こないだようやくDになりましたけど」
アイシャさんは頭を抱えた。
「Dランクがリッチとやり合ったのか?」
「向こうが仕掛けてきたんだから、不可抗力でしょ。逃げる暇なかったし」
「アイシャさんどうします?」
「オクタヴィア行きたい。お散歩楽しい」
「……」
「ああ言ってますけど?」
「いいじゃろう。時代遅れの妾もリハビリが必要じゃしの」
かくして凄腕ハイエルフとおまけ一匹が仲間になった。
「ハサウェイ・シンクレア名義だとランクAなんじゃが。本名だと登録し直さないといけないのう」
「ランクFなのです。リオナたちのDランクと変わらないのです」
「妾のFは限りなくAに近いFじゃ!」
どんなFだよ!
僕は風呂に入ると、薬の調合を済ませて眠りに就いた。
明日からまた、平常運転である。
第五章終了です。
閑話を挟んで次章になります。