闇の信徒18
よくよく見ると胴鎧は女物の装備のようだった。ボロボロになった軽装の革鎧。革は色褪せ、乾燥してヒビが入り、剥がれて、留め金はさびて朽ちている。それでも人族の手ではない流線的な造形はかつての美しさを彷彿とさせた。
骨となってはエルフだか人だか見分けが付かなかったが、眼窩の奥は怒りに満ちていた。
「すまぬが、妾ひとりでやらせてくれんかの」
アイシャさんが剣の柄に手を掛けた。
僕たちは申し出に耳を疑った。
「ひとりで?」
因縁がありそうなことは分かる。でも、いくらハイエルフだからって。
「秘術を使った後でしょうに」
姉さんも心配している。
「やらねばならぬ」
「せめて護衛を!」
サリーさんも助力を申し出る。
アイシャさんは彼女の顔を見て笑った。
「では、万能薬の原液を貰えるかな?」
薬を使うのか? アンデットには回復薬が毒になるとは聞いたことがあるけど…… 万能薬でいいのか? 完全回復薬の方がいいんじゃないのか? そもそもあれにも効くのか? リオナが傷つけた片腕も既に再生している化け物に。
原液の瓶を姉さんが渡した。
懐を探ったら僕の瓶はなくなっていた。姉さんは「あれがお前のだ」とジェスチャーして示した。
「ほんとにいいのか?」
僕は尋ねた。結界ぐらいいつでも掛けてやるのに。
「病み上がりに手伝って貰わんでもよい」
「すぐ終る」と言って彼女は一歩を踏み出した。
途端に彼女は魔力を全身に身にまとった。
竜巻が巻き起こり、彼女の銀色の髪がはためいた。
僕とサリーさんはあまりの威圧感に気圧されて一歩後ずさった。
『竜巻』が周囲のすべてを飲み込みながら、リッチに向かって迫っていく。黒い霧も巻き上げられてどんどん飲み込まれていく。
リッチも負けじと風を巻き起こすと、まるで周囲が荒海の如く有様になる。
「こら、エルネスト! 何をしてる。早く結界を張ってくれ!」
「え?」
気付かなかった。いつの間にか無意識に自分にだけ結界を張っていた。
てっきり風の影響はこっちには来ないのだと思い込んでいた。姉さんとサリーさんの髪は既にボサボサだ。
僕は急いでふたりを結界で覆った。
おおっ、これが『覚醒』ってやつか。なんかすごい。ピンポイントでスパッと決まる感じだ。
それに魔法を発動させているのに、負担がない。制御を意識していないからか?
こんなことができるなんて。呼吸するように魔法が使える。面白い!
けど、今はそれどころじゃない。
暴風圏と化した一帯の木々は根こそぎ引き剥がされ、凶器となって宙を舞った。
大地から引き抜かれた大木が僕たちへの直撃コースに乗った。
「ぶつかるッ!」
僕の結界が、何ごともなく大木を弾いた。次々ぶつかってくる枝や土埃は僕の展開した結界にいなされて通り過ぎていく。
「見えづらいな」
視界が遮られて、魔力合戦をしているふたりの姿が見えない。と思ったら『魔力探知』が働いてふたりの姿がはっきり見えるようになった。
なんか『覚醒』って…… やば過ぎる。『楽園』にいたときの感覚に似てる。思ったことがすぐ具現化してしまいそうな感じだ。
「エルネスト、魔力残量考えてるのか?」
姉さんに言われて気が付いた。
今まで使い切ったことはなかったし、薬もあったから、力のセーブなど考えもしなかったけど、今の自分は自然回復でエンプティー状態から脱したばかりだったんだ。薬の使用も禁止されているし、いつもの調子で使っていたらすぐ空になる。
抑制しないと。僕は正面以外を土で覆った。
ふたりのにらめっこはまだ続いていたが、その距離は近づいていた。
すごいな。リッチと魔法合戦で互角だよ。
僕の結界をそぎ落としたリッチの一撃すら、アイシャさんの巻き起こす風のなかに消えていく。
魔力の流れが見える程にふたりの攻防は激しかった。
アイシャさんはリッチの放った魔力を一旦大気中で魔素に返して、風を生み出す歯車にしている。感情が高ぶっていた割に冷静だ。
と言うより『覚醒』のように無意識にそう扱っているのだろう。
「こんな戦い、見たことないわ」
サリーさんは空前絶後の状況に興奮していた。燻し銀、冷静沈着の彼女には珍しいことだった。
事態が動いたのは突然だった。
黒い霧が四散したのだ。それとほぼ同時に風も止んだ。
「ようやく空になったか?」
アイシャさんはリッチに剣を抜かせる暇も与えず、腕を切り落とした。
「リッチの魔力は無限じゃないのか?」
「どっかの誰かと同じで異常に回復力があるのだろ。端から見れば無尽蔵に見える」
「姉さん知ってたの?」
「まさか、今知った。魔物図鑑のリッチの項目が、数百年ぶりに書き換えられるな」
「何を暢気なことを、まだ終っていませんよ」
「いや、もう終わりだ」
アイシャさんが何かをした。残っていた膨大な魔力をリッチに注ぎ込んだように見えた。
咆哮が轟いた。リッチの身体から黒い霧が四散していく。
リッチの身体が凍ったように動かなくなった。
アイシャさんがふらついた。すかさず、原液を口にする。
見る見る魔力が回復していく。そして回復する魔力を余すことなくリッチに注いで行く。
やがて白い物が見え始めた。
それは、リッチの生前の肌の色だった。異様な光景だった。
失った身体の部位が次々と再生されていく。
死肉が再生するなどということは有り得ないはずなのに。
「あれはハイエルフだけが使える禁呪、時限を操る魔法の一つだ。今リッチは時間を遡り、生前の姿へと還っているのだ」
「薬は自分が飲むためだったのか?」
「本来複数で行なう儀式だ」
「死んだ人間が生き返るのですか?」
サリーさんは驚愕して青ざめていた。
「いや、一時的なものだろう。巻き戻した時間は魔力が尽きれば戻ってしまう」
「だったらなぜそんなことを?」
「生前の声を聞くためだろう?」
姉さんはそう言って静かに成り行きを見守った。