闇の信徒10
スプレコーンに着いた。
アイシャさんは夕日に照らされた、タイル張りの巨大な壁を見上げる。
僕たちはポータルを出るとアーチ型の石橋を渡り北門を潜った。
「初めて見る町じゃ」
「最近できたばかりなのです」
「アルガスの南、一角獣の森のほぼ中央にあります」
「なんじゃと!」
アイシャさんは驚いたように周囲を見渡した。
「ユニコーンはどうした?」
「一緒に住んでるです」
「昼間この町で子供たちを預かっているんですよ」
「共存しておると言うのか?」
「獣人族も一緒なのです」
開いた口が塞がらない様子だった。
ロメオ君は中央広場まで来た所で、一旦帰宅である。
「あれが少年の家か。ほんとにギルドの息子なのだな」
ロメオ君は荷物を置いてから、我が家に再集合である。
夕食の材料の買い出しで市場が盛り上がっていた。バンパイアのために魚を二尾だけ買って帰る。
着いて早々、ロザリアとリオナがアイシャさんを大浴場に連れ出した。
料理ができる間、温泉掛け流しを堪能して貰うつもりらしい。
結果的に、アンジェラさんへの説明は僕が担当することになる。
さすがにエルフの登場に面食らったようだが、同居に関する判断は保留にして貰えた。彼女の話の内容次第ということにして貰った。
僕は凄く変な人だけど悪い人ではないと何度も念を押した。
呼び鈴が鳴ったので玄関の扉を開けると、ロメオ君が私服で立っていた。
「これ、お土産。冒険者さんから貰ったフルーツ。アナナッソ。食べ頃だって」
熱帯原産の果物。松かさのような堅い皮に包まれたなかに真っ赤な果肉が詰まっている。食べると甘酸っぱい香りと味がする。この辺りでは滅多に手に入らない一品だ。
夕食の準備が整い、全員が席に着いた。
アイシャさんは普通にシャツとズボン姿だったが、風呂上がりのせいか肌が上気して妙に色っぽい。
話は後にしてとりあえず食事が始まった。
アイシャさんは百五十年ぶりの食事で、一口食べたら止まらなくなった。バンパイアも久方振りの食事にありつけて嬉しそうに尻尾を振っている。
僕たちも食べ始めて、今日一日の出来事をアンジェラさんとエミリーに話して聞かせた。アイシャさんの話が始まるまでの地ならしである。
どうやって『開かずの扉』まで辿り着いたのか、どうやってバンパイアとアイシャさんに出会ったのかを後半大分はしょってダイジェストで語った。
「あれは、エルーダ迷宮が改修工事を終える一週間ほど前のことじゃった。妾は迷宮開放イベントに賓客として招かれておった」
アナナッソを食べ終わり、食後の紅茶が振る舞われるとアイシャさんはぽつりぽつりと話し始めた。
「迷宮開放って、いつ?」
エミリーがリオナに尋ねた。
「百五十年前よ」
ロザリアが答えた。
エミリーは目を丸くした。そしてアイシャさんを見据えた。
「賓客というのは? お仕事は何を?」
アンジェラさんがアイシャさんに尋ねた。
「作家じゃ。当時ハサウェイ・シンクレアと名乗っておった」
アンジェラさんとエミリーは驚いてカップをひっくり返しそうになった。
「当時の領主と、改修を請け負った教会は、新しい迷宮を広く知って貰うために、イベントを開催することにした。それが、妾の小説にちなんだ『『闇の信徒』から迷宮を開放せよ!』というイベントだったのじゃ。イベントは遠方からの客のことも考え、半年程続く予定だった」
「過去形なわけね」
ロザリアが突っ込むとアイシャは苦笑いした。
「始まりもせんかったからの」
それは寂しそうな自虐的な笑顔だった。
「迷宮開放と共に、『闇の信徒』たちは稼働し始めるはずじゃった。冒険者は『迷宮の鍵』を手に入れるためにそれらを倒すことになっておった。『闇の信徒』は旧態のものと同様の存在で、他の迷宮のものとさして変わらなかったが、装備だけは、妾が閉じ込められていた部屋で見たであろう、ワンランク上のイベントアイテムに置き換わる寸法だったのじゃ」
「それって、迷宮の魔物を教会が人為的にどうにかできるということ?」
ロザリアが尋ねたが、アイシャは首を振った。
「『闇の信徒』というのは教会が迷宮を監視するために用意できる唯一の魔物なんじゃよ。あれだけが人為的な仕掛けによって迷宮に生まれるのじゃ。教会の秘技らしくて方法までは分からんが、普段は迷宮が傷ついたときだけ誕生する仕掛けになっておる。強力であるがゆえに人を遠ざけ、二次災害を防ぎ、その間に迷宮を修復するのが仕事らしい」
「もしかして倒しちゃまずかったのかな?」
「そういうことになるな」
「だが、おかげで妾は助かった。『迷宮の鍵』をそなたが拾ってくれたおかげで、脱線していたレールが繋がったのじゃ」
お茶を一口飲んだ。
「イベントでは撃ち倒した者にわずかな確率で『迷宮の鍵』が与えられる算段になっておった。深いフロアーほどドロップ率は上がる仕組みじゃ。そして鍵に連動した『開かずの扉』が、鍵を持つ冒険者の前に出現する。そこへあの『門番』が現れる筋書きになっておった。冒険者たちは『門番』を打ち倒し、『開かずの扉』に到達する。そして、最後の仕掛け、屋敷中の吸血鬼が目を覚まし、冒険者を襲うというシナリオじゃった。吸血鬼というのは村人の服を着ただけの『闇の信徒』じゃがな。最後は勝利した冒険者が屋敷の中の宝を手にする手はずになっておった」
「僕たちはシナリオにまんまと載せられたわけだ」
「妾が押し込められていた部屋は、スタッフの休憩所兼、保管倉庫兼、イベントのクライマックスを飾る最後の舞台になるはずじゃた」
ミャー、ミャー。バンパイアがアイシャさんの膝の上に乗る。
「妾に惚れた男がおっての。その男は妾の親友の恋人だったのじゃが、結果的に仲を裂いてしもうての。親友の友達だったから仲良くしただけじゃったのに。親友は妾を恨んでの、あの部屋に閉じ込めたというわけじゃ。まさか扉の鍵を閉めることで、『開かずの扉』が虚空に消えるとは思わんかったじゃろうがの」
「なんと言ってよいやら……」
「恨んでもその親友はもうこの世におらぬ。許しを請うても声は届かぬ」
「アイシャのせいではないのです」
「悪いのは男の方です! 恋人がいるのに浮気なんて」
ロザリアが怒った。
「妾もちやほやされて浮かれておったのじゃ。脇が甘かったのじゃな」
「そんなこと女の子なら当たり前のことです」
憤懣やるかたない様子でロザリアは涙ぐむ。
「その後、妾は再び扉が開くまで仮死の魔法を掛けて眠りに就いたのじゃ。気が触れる前にの。そうして今日そなたらのおかげで目を覚ますことができたというわけじゃ」
通夜のように静まりかえってしまった。
「何か質問は?」
僕が周りを見回した。
「それで、ここにいたい理由はなんなの?」
アンジェラさんが尋ねた。
「そんなのは簡単じゃ。妾は失敗しないための方策を思いついたのじゃ。男で失敗しないためにどうすればいいのか。男たちを遠ざけるにはどうすればいいのか」
「どうするですか?」
「男を作ればいいのじゃ」
「へ?」
「はぁ?」
「妾が人妻なら他の男は言い寄ってこんじゃろ? 来ても断る理由になるしの。だから嫁になることにしたのじゃ。ちょうど助けられた恩もあるしの。一石二鳥じゃろ?」
「そんな理由が――」
ロザリアが絶句する。
リオナはなんとなく分かったようで僕の方を見た。
ロメオ君も分かったようで、紅茶のお代わりをエミリーに頼んだ。
「言えない理由でも?」
僕が口を開こうとしたとき「状況を見極める間、待ってもらえんかの……」とアイシャさんは呟いた。
ロザリアがようやく気付いたようで抗議の目を向ける。
彼女は途中から嘘を付いたのだ。
閉じ込められた理由は別にある。少なくとも色恋沙汰ではない別の理由が。その原因が、百五十年後のこの世界に残っているのか、彼女自身見極められないでいるのだ。
アンジェラさんの出す答えは決まったはずだ。家族を守るためには彼女との共同生活は容認できない。答えは……
「分かったわ。好きなだけここにいるといいわ」
僕もアイシャさんも耳を疑った。
そこは否定するところなんじゃ?
彼女はなんだか分からない理由で、第三者にあの屋敷に閉じ込められたんだ! つまり作り話の親友でない誰かに閉じ込められた可能性があるのだ。
個人の犯行なら百五十年の月日で問題は自然消滅しているかも知れないが、余程の理由か、組織立った犯行である場合、今もまだ進行形である可能性があるのだ。彼女を追いかけているなんらかの組織があるとすれば、この家に招き入れるわけには行かないのだ。
「アンジェラさん?」
「うちの人がどんな人だったか知ってるかい?」
僕の顔を見た。
直接会ったのは数回だけだけど知っている。お節介焼きの町の相談役みたいな人だった。
「困ったことがあったらいつでも言いな。俺はブーム。この街の冒険者だ――」
僕は頷いた。
「ここで首を横に振ったら、その夫に顔向けできないんだよ。違うかい?」
「リオナも賛成なのです。冒険者に危険は付きものなのです」
「ロザリアは?」
「よく分かりませんけど、この家から追い出す選択肢はないと思います。ここで追い出してアイシャさんに何かあったら、わたしたち一生後悔することになります」
「僕はこの家の住人じゃないけど、協力するよ」
ロメオ君も賛成か。
視線が僕に注がれる。
「一つだけ質問が?」
アイシャが僕を見た。
「仮死の魔法なんて存在しませんよね? ほんとは何したんです?」
物資が傷まなかった理由も加味すれば自ずと答えがやってくる。
「それを言ったら答えになってしまうじゃろ」
答えて貰ったようなものだ。
それは究極の時限魔法だ。一定の閉鎖空間のなかの時を止める。正確に言うと極限まで遅くする魔法。
そしてそれを使えるのは……
僕はアンジェラさんを見た。僕の質問の意図は分かったようだ。
「困ったことがあったらいつでも言いな……」
僕は心のなかで呟いた。