これのどこが避暑地なの? 14
僕はひとりのんびり家路に就いた。
生温かかった、頬を撫でる風が急に冷たくなった。涼しさを越えて肌寒さを感じる。
遠くでゴロゴロと雷が鳴る。
「やばっ、夕立が来る!」
自宅の玄関ポーチに着いたとき、まるで見計らったかのようにザーッと雨が降り始めた。焼けた大地が一気に潤いを取り戻す。
「ギリギリセーフだ」
空は暗くなり、遠くに稲光が。
ゴロゴロゴロゴロ……
家のなかから悲鳴が聞こえた。
「ただいまー」
「お帰り、もうすぐ夕飯だよ」
アンジェラさんが出迎えた。
また窓の外が光った。
部屋の奥でまた悲鳴が。
「怖いなら、フィデリオの部屋にいればいいのに」
居間に行くとソファーでクッションを抱えて青ざめているふたりがいた。エミリーが苦笑いしながらテーブルを拭く。
「どうかしたの?」
僕は窓のカーテンを引き、自室に荷物を置くと、戻ってきてソファーに腰掛けた。
「お願いがあるのです」
リオナが目の前のソファーにポフッと正座した。
「こんなときに何? 改まって。うまい店でも見つけたか?」
「違うのです。ロザリアと一緒に暮らすお願いなのです」
「それはもう聞いたろ?」
ピカッとまた光った。
「ぎゃっ」
リオナが耳を塞いだ。
「きゃっ」
ロザリアはクッションに顔を埋めた。
ゴロロロロ…… 雷鳴が通り過ぎた。
「ふ、ふつつか者ですがよろしく…… お、お願いします」
雷にビビりながら言うことかよ。
「よろしくと言われても…… 事態が終息するまでだろ?」
雨音が強くなる一方だった。
「いえ、そうではなく、その後もここに置いて貰えないか――」
外がまた光った。
「ひゃあ」
「ぎゃあ」
ゴン!
ゴロゴロゴロゴロ……
「お姉ちゃんに許可は取ったのです」
慌てて転んで、テーブルに頭をぶつけたリオナが涙目で言った。
「その前にこっちに許可取れよ」
「エルリンは困った人を見捨てられないのです」
傍観していたアンジェラさんが笑った。
「理由にもよるだろ?」
「両親には人生をやり直してほしいんです。わたしのせいで新婚生活も送れなかったみたいだし。それに…… 心の整理が付かなくて。頭では分かってるんですけど。なんだか違和感を感じてしまって」
そう言って彼女は胸を押えた。
親父さんとはいい感じに見えたけどな……
「アンジェラさんはどう思います?」
「空き部屋はあるから、別にいいんじゃないかい。あのお姉さんが許したのなら、問題ないだろ。ただし、ご両親の説得は自分でやるのが条件だ。できなきゃそれまでだよ」
「条件付きで許可しよう」
「やったのです!」
ふたりは抱き合って喜んだ。
カッと外が光った。
バリバリバリバリ……ッ 本日、一番大きな雷が近場に落ちた。
ふたりは抱き合ったまま固まった。
「ここに住みたきゃ、まず雷に慣れるんだね」
アンジェラさんと僕は溜め息を付いた。
食事までの間、僕は地下で装備の手入れをする傍ら、薬の調合の準備を始めた。魔法使いがひとり増えるわけだし、万能薬の手持ちを少し増やそうと思ったのだ。完成には時間がかかるから早めに手を打っておかないと。
「可愛い子じゃないか。どういう子だい?」
アンジェラさんが食材を保管庫に取りに降りてきて、僕に聞いてきた。
「生んだ両親は既になく、育ての親は実の父の弟夫婦。それを昨日知ったとこ。おまけに教皇の親族で、育ての母は確か教皇の実の娘だったかな?」
「てことはお孫さんかい?」
「表向きはね。正確には甥の娘らしい」
「それであんたたちはお家騒動に巻き込まれたわけだ」
「似たようなもんかな。どういうわけか、リオナが懐いちゃってね」
「あんたはどうなんだい?」
「僕は別に……」
「女を見る目がないね。あれは上玉になるよ」
「説教癖があるんですよね…… あのロメオ君にまで駄目出しするんですよ」
「あら、気が合いそうね」
「よしてくださいよ」
「満更でもないってことにしておいてあげるわ」
アンジェラさんは笑いながら階段を上っていった。
食事時も食後もエミリーを加えて、女子三人で楽しそうにしていた。
アンジェラさんはエミリーに早々に上がる許可を出してやり、ひとり食器の洗い物をしていた。
僕は地下で『なんちゃって万能薬』を完成させたあと、一風呂浴びるためにガラスの棟の大浴場に向かった。
深夜のこの時間帯は大概広い温泉を独り占めできるのだった。
見上げる景色は壮観だった。雨上がりの空に満天の星。一日の疲れが――
ドッボーン。
水柱が三本上がった。浴槽のなかに蠢く影が三つ。毛の広がった尻尾だけが水面を漂う。
「温泉だーっ」
「あったけー」
「いてて、底に頭ぶつけた」
飛び出してきたのは獣人の子供が三人。普段フサフサの毛が可愛い獣人の子供たち、毛が濡れて地肌に張り付いて、目だけ大きな貧相な何かになっていた。
「あっ! 若様だ」
「ほんとだ」
「若様、今晩は」
三人が揃って頭を下げる。
誰だ? 濡れたら誰だか分からんぞ……
「お前たち、もちっと静かに入らんか」
あ、トビ爺さんだ。
「長老?」
「おや、若様でしたか。これは申し訳ないことを。騒がせてしまいましたのぉ」
「こんな時間に何してるわけ? このチビっ子たち、爺さんの孫?」
「ひでぇー、ひでぇーよ、もう俺たちのこと忘れたのかよ」
子供たちが猛烈に抗議した。
「今の君たちを見かけで判断できる人族なんていないよ。溝に落ちた貧相な猫だぞ」
「うぎゃ」
「確かに……」
「待ってて、頭拭いてくる!」
ドタドタと脱衣所に駆けて行く。
長老は楽しそうに笑っている。
「長老、今のうちにあの子たちの名前教えて」
僕はズルをしました。
「どうだ!」
三人が戻ってきた。
「あっ!」
襲われた村の子供その一と二と三だ!
「誰だっけ?」
「えーっ、酷いよ。せっかく会いに来たのにーっ」
マジで涙目だ。
「冗談、冗談だよ。君がテト。君がピノ。そして君がピオトだ」
「おーっ。当たった。すっげー」
十九人もいたんだ。顔は覚えてても名前なんて覚えてるわけないだろ?
第一、あのときは怖がらせちゃいけないと思って人族の僕は、君たちに会わないようにしてたんだから、尚更だ。
「それで何しに来たわけ?」
子供たちはせっかく拭いたのにまた頭から湯船に潜っていった。
「若様の想いが通じたのでしょうな。夢を掴みに来たようじゃよ、五人で」
「五人?」
「女風呂にもふたりおりますよ。ホッケが相手しとりますわい」
「夢って?」
「若様の下で働くことだそうですじゃ」
「それのどこが夢なんだよ」
「なら里に帰すかの?」
「保護者はなんて?」
「里の決定がどうあれ、こちらに越してくるそうじゃ。それまでよろしくとのことですじゃ」
「そういや、あれから村はどうなったの? 何も聞かないけど」
「意見が割れとるらしいですぞ。元はと言えば、人族に襲われて、ああなったわけですからな」
「ヴァレンティーナ様は何か言ってた?」
「どちらにしても支援はしてくださるそうじゃ。あの子たちも補給物資を運んできた馬車に便乗してここまで来たらしいからの。途中雨に降られて、到着が今になってしもうて。ずぶ濡れだったのでこちらに」
「おーい、ちびっ子。お前たち、何がしたくてやって来た?」
水面に顔を出したタイミングで僕は尋ねた。
「もう一回空飛びたい!」
「俺も!」
「美味しいご飯食いたい! ベーコンサンド!」
「俺も!」
「ピノ…… 『俺も』じゃなくて、何かないのか?」
「…… 俺、強くなりたい! 若様と一緒に修行する!」
「俺も!」
「僕も!」
いや、僕は別に修行してる人じゃないから……
三人の真剣な目が僕に向けられる。頭はお笑いモードなのでなかなかシュールな絵になっている。こいつらわざとやってるなら笑いの才能あるかもしれん。
「泊まる場所は大丈夫ですか?」
僕は長老に聞いた。
「今夜はもう遅いからの。ここに泊めますじゃ。住むところは明日、空き家がありますのでそちらに」
困ったことになった。慕われるのは嬉しいことだ、でも、何をしてやればいいのかとんと分からない。ロザリアのこともあるし、事件のことも気に掛かる。
「とりあえず明日の朝食、ベーコンサンドにしてやるか」
「うおおおおおっ! やったぁああ!」
子供たちが湯船のなかで暴れ回った。
「頼むからゆっくり風呂に浸からせてくれよ」と僕は濡れた尻尾でペシペシされながらそう思った。