閑話 宰相が来た
「これは、これはお久しぶりです、宰相殿。陛下の横を離れぬあなたがお珍しい」
食堂に入るとヴァレンティーナと朝も早くからお茶を楽しんでいる初老の男がいた。
名はハンロッジ・バナッテッラだったかバナテッロだったか。
我らの間ではロッジ卿と呼ばれる我が国の宰相殿である。
父親と代替わりして早五年。最近、ようやく彼の治政となった感がある。特に北のはねっかいりを退治してから、安定度を増した感じだ。親父殿の影響力がある間にうまく代替わりできて本当によかった。
「相変わらずだな、レジーナ。元気そうで何よりだ」
「飛行船に乗りに来たそうよ」
「おや、チケットをご予約頂いておりましたか?」
「いや、ホロー侯爵のチケットを頂いた。『急用ができて、今日は行けぬ』と申されてな。なんでも自領で行方不明だった枢機卿の消息が分かったとかなんとか」
「まさか……」
「ここに来たのはそのためでもあるのだが。血生臭い話は後にしよう」
そう言うとロッジ卿は茶をすすった。
「何時のフライトですか?」
ヴァレンティーナが尋ねた。
「昼からだ」
「いつも分刻みの方が随分余裕を持ってのお越しなのですね」
私は自分の席に着いた。
「あんな目立つものを作ってくれたおかげで、諸公から『その目で様子を見てこい』と急かされてな」
「そんなに好評でしたか?」
「素直に喜んでいる者が大半だったが、なかには勘ぐる者もいたぞ。南のご息女が魔女と一緒に何やら物騒な悪企みでもしているのではないかとな」
しばしにらみ合う。相変わらず端正な顔をしている。これが未だに独身というから信じられん。
「会いましたか?」
「ユニコーンを見に行ったら、ちょうどいたのでね。随分お元気になられておいでで、思わず笑ってしまったよ。王宮に缶詰にされていた頃が嘘のようだった。言葉遣いは…… 退化されたようだが」
いつ会ったのやら。今朝はあの子たち、リバタニアで宿泊しているはずですが。
「獣人の言葉も満足に話せぬうちに人族の言葉ですからね。宮中の使用人が教えたせいもあって、外の世界では少々丁寧すぎる感があります。使っていて変だと自分でも気付いたのでしょう。あの子なりに調整してるんですわ。というより気兼ねなく話せる相手ができたということでしょうか」
ヴァレンティーナが言った。
「幸せそうでしたな」
「宰相殿のおかげです。リオナを王宮から連れ出す手はずをしてくださったのは姉さんとあなたですからね」
「姫様が北のゴロツキを退治してくださいましたからな。もう貸し借りはなしということで。結果的にうるさ型もいなくなって王宮も住みよい場所になりました」
「それはよかった」
わたしはパンを噛んだ。
カップに口を付けたヴァレンティーナが使用人に合図した。どうやら話し込んでいて、ふたりのお茶が冷めたようだ。使用人が急いで替わりを用意する。
新しいカップにお茶が注がれる間ふたりの沈黙は続く。
「おふたりの話は終ったので? それとも魔女には話を聞かれたくない?」
わたしは使用人の手をじっと見つめる御仁に話しかけた。使用人が耳を赤くしている。
気付いてやれ。昔から自分の容姿を勘定に入れることをしない男だ。
「いやいや、当事者がいてくれると何かと話が早い」
「わたしのこと?」
「弟君のことだ」
「自重しろとは言ったのだが」
「ゴーサインを出したのは私よ」
ヴァレンティーナが擁護した。
「薬の件といい、ライフルの件といい、この地の変化は早すぎる。特にあの特殊弾頭。近衛に優先的に配備されたまではよかったが、難色を示す者も少なくない。技量ではなく兵器の優劣が大勢を決めるということにまだ得心がいかぬらしい。剣や装備にも同じ事が言えるのだがな。近衛ともあろうものが視野の狭いことだ。なかには『一枚噛ませろ』という意思表示で抵抗する馬鹿もいる」
「最前線送りのリストに載せてやればいい」
「それでは前線の者が苦労します」
「どこにいても邪魔な奴らだわね」
ヴァレンティーナの言葉に思わず笑った。
「やはり民間の特殊な狩りにだけ使わせておればよかったか?」
そう言って私の方を見た。
「何事も一番でないと気にいらない連中ですからね。第二、第三師団の精鋭連中とは頭のネジの付け所が違うのですよ。どこよりも最初に配備したお父上の判断は正しい。駄々をこねられてはそれこそ面倒ですからな」
「まとめて反乱でも起こせばいいのに」
「おいおい、レジーナ、わたしの前で言ってくれるな。こう見えて宰相だぞ」
「世に出したのが間違いか……」
「バジリスクまで登場した案件ですからね。王宮も大目に見ておりますが、今度の飛行船建造と合わせると、彼の立場は少々危うくなるでしょうな。本人にその気がなくとも、兵器を発明する天才というレッテルが付きかねません。もしそうなればどうなることか」
「籠の鳥か…… 誘拐、暗殺…… どれも我らの望むところではありません」
「反対勢力からすれば脅威に変わりませんよ。早めに手を打たないと取り返しが付かなくなる」
「秘密はいつかばれるか……」
「そこにリオナ様も巻き込まれるとなると、お父上も黙っておりますまい? 魔女殿のご実家が何より物騒ですが。そうなると国同士の戦、あるいは大規模な内乱にも発展しかねません。弟殿にはこれ以上余計な発明はご遠慮いただき、本業に全うして頂くしかありません」
「それが結論か? そんなことを今更言いに来たのか?」
「実際どうなのかなと思いましてね」
宰相の目が光る。
「リオナの笑顔が答えにはなりませんか?」
ヴァレンティーナが間に入った。
「いえ、そうではなく、いざとなったら戦えるのか確認を」
宰相の言葉にわたしたちは絶句した。
この男は穏便に済まなかった先を既に考えているのか。
「この町の三分の一は獣人たちですが、そのほとんどが彼を守る側に回るでしょう。ついでに言うとこの町以外の獣人たちもおそらく彼に手を貸すでしょうね。さらにユニコーンとドワーフ連中を戦力に加えておいて貰えれば、多少の底上げにはなりましょうか?」
「ドワーフは初耳ですな。それにご実家も絡むとなると、凄いですね。何が何でも穏便に済ませないと大事になりそうだ」
そう言って笑った。
食えない男である。
実際のところ、あの子の人脈はおかしい。侮れないのよね。本人に自覚がないのが救いだけど。
「飛行船の資料をいただけますかな?」
エルネストの件は終わりか。
「もう用意してございます」
執事の手によって書類の束が二部用意された。
「こちらが表向きのもの。そしてこちらが――」
「フェイクの素材を使ったものか?」
「お気づきでしたか?」
ヴァレンティーナが笑う。
ロッジ卿がしたり顔でこちらを見る。
「自身でフェイクを仕留めに行くというのは、最近の魔女殿にしてはちと働き過ぎのような気がしてね。それなりの理由があったと推察したまでのこと。前後で、船の性能が飛躍的に向上したことを加味すれば自ずと答えは出てくる。詳しいことは存じませんがね」
そこまで知っていて、詳細を知らぬはずがあるまい。
「ところで例のペンダントですが」
「何か?」
「おかしな事態になっておりますよ」
わたしとヴァレンティーナは顔を見合わせた。
「枢機卿が消息不明になった記録など存在しないという話と何か関係があるのかしら?」
「さすがお気づきでしたか。その通りです。届けられたペンダントと指輪の持ち主は現についこの間まで、十数年間、職務を真っ当しておりました」
「それがホロー侯爵のところの司教だったということですか?」
「正確に言うと、あの辺りの教区司教でした」
「それがいなくなった?」
「職を辞するという置き手紙があったそうですが」
「偽物にとって替わられていた?」
「あるいは見つけた屍の方が偽物だったか」
そう言って宰相はわたしを見た。
「どの道こちらには関係ないことですから。単に遺品を届けたまでのこと。遺品が偽物なら捨てればよろしかろう?」
「奥方は遺品を引き取られた」
わたしたちは宰相殿を見つめた。
「おかしいでしょ?」
わたしたちは頷いた。
「奥方は偽物と分かっていて、その者を夫にしていたということか?」
ヴァレンティーナが眉をひそめた。
「ホロー殿の仕事だ」
わたしは教会に関わる気はない。
「枢機卿の奥方が実の夫を殺して不倫相手を夫に仕立てていたなどという噂が立ちますと、教会全体の不祥事となります。しかも奥方には十四歳になる娘がおります。どちらの子かと、興味本位で騒ぐ者も出てきましょうな。可愛そうに」
「我らが特出せぬよう忠告しに来た口が何をさせようという? まして他人の領地で何ができる?」
「それが他人の領地のことではなくなりまして」
「意味が分からん」
「どういうことです? まさか偽物が我が領地に侵入したと?」
「いえ、娘さんが既にこちらに厄介になっているようでして」
「は?」
「レジーナ、君のご実家も、アンドレア殿も既に関わっているようだぞ」
「兄が関わっている? そういや、長老から伝言が…… あの子たちが実家に向かったと言っていたような」
そのことと関係があるのか?
「北部拠点の反教皇派の一派が南に動き出したようでね。教皇からも連絡がありました。わたしも動向が気になって、大急ぎでいろいろ調べてみたのだが…… レジーナ、君の弟君はほんとに人脈作りの天才だな」
「至って普通の子です」
「そうでもないぞ。何せ、行方不明のお嬢さんを匿っているのは他でもない、彼なのだからね」
「なんですって!」
「いやー、あんなに笑ったのは久しぶりだったよ」
「リオナ様がおっしゃるには、十五年前に起きた前教皇の暗殺未遂事件の犯人を捕まえるとかなんとか」
「あの子たち教会相手に何やってるのよ!」
ヴァレンティーナも声を張り上げる。
「行方不明の枢機卿も以前、リバタニアに赴任されていた様子。兄上とは浅からぬ関係があるのではないですかな?」
「わたしがペンダントを届けたせいで、寝る子を起こしてしまったと?」
「だがこれは好機だ。教皇派を味方にできれば、彼にとっても、またとない後ろ盾ができることになる。彼は案外強運の持ち主なのかも知れませんね」
「宰相殿はどうなさるおつもり?」
ヴァレンティーナが牽制する。
「わたしは何も。ただ見ているだけですよ。娘の後を追いかけてくる怪しい輩に領土を好きにされるのは気に入りませんが。こちらとしては教会に借りを作れるチャンスでもありますからね。彼に期待することにしますよ。そうは言っても弟君は期待の上を行く子ですからね。やり過ぎないといいですね」
「希望的観測になってるわよ」
「敵はもうそこまで来ています。アルガスの領主が領土の通過を許可しました。大した勢力ではありませんが、恐らく、こちらにもやって来るでしょう」
「そんな、もうすぐって!」
「大丈夫、まだ時間はありますよ」
「ポータルの開通急いだ方がよさそうね」
ヴァレンティーナが耳打ちした。
「それでは、宰相殿、急用ができましたのでわたしはこれにて」
わたしは道化のように大袈裟に腰を深く折った。
「戦の様子、空から楽しませて貰いますよ」
「リオナ様がおっしゃるには、十五年前に起きた前教皇の暗殺未遂事件の犯人を捕まえるとかなんとか」
この一文は宰相の虚偽です。宰相の斥候がリバタニアの実家で調べた情報です。