揺れるしっぽと青い空(里に帰る)4
「村だ!」
子供のひとりが窓に貼り付き叫んだ。
他の子供たちも額をガラスに付けて下を覗いた。
船は既に降下を始めている。
「お家なくなっちゃった……」
遠くに見えた村は惨憺たる有様だった。村の半分が焼かれて全壊していた。何もかもが燃え落ちていた。疲弊した人々の姿もちらほらと見える。
こんなんで再建できるのか? 今夜外敵から村を守る壁すらなかった。
子供たちの何人かが泣き始めた。
村の近くに船を降ろせそうな場所はなかった。
だから村はずれの丘の上に止めることにした。
高度が目一杯下がったところでロープを何本も垂らす。
姿勢制御をフル稼働して強引に降下する。どうせ、降りたら魔石は全部交換だ。
停泊までの間、僕は子供たちの前に姿を現すと、言うべきことを言っておくことにした。
子供たちは突然現れた僕を見ても驚くことはなかった。
そんなことはもはやどうでもいい些末な出来事でしかなかった。
突然訪れた運命の瞬間に誰もが怯えていたのだ。
「夕方までこの船はここに停泊します。それまでにここにいる付き添いの人たちと一緒に、家族の安否を、君たちを迎えに来られなかった家族の事情をしっかり確かめてきてください。このままこの村に残りたければ残っても構いませんが、誰かが助けてくれるとは思わないでください。村は見ての通りの惨状です。村自体どうなるかわかりません。ここに残る君たちに僕たちは何もしてやれません。ただ、もし決められないなら、僕たちの町で生きようというのなら、時間までに戻ってきてほしい。迷っている者も焦らなくて構わない。戻りたくなったらいつでもいいからね。とりあえず……」
僕は拳を硬く握った。
「君たちの運命を確かめてきてください」
いつか誰かが、いや、時間が解決することだったのかも知れない。
こんなことすべきでなかったかも知れない。
でも僕は…… あの子たちに進んでほしい……
「何を偉そうに…… 何もかも持ってるお前に何が分かる……」
僕は心のなかでそう呟いた。
そういえばみんなはなんで僕に付いてきてくれたんだろ?
僕は黙々と作業をするスタッフたちを見詰めた。
船が落ち着いている間にスタッフがロープを木に縛り付けていく。
横風に襲われる前に急がないと。
木のない場所には僕が土を盛り上げ固めてロープを結べるような大岩の係留柱を作る。
「専用のドックがあると楽なんだけどなぁ」
スタッフのひとりが額に汗しながら軽口を叩いた。
「何者だッ!」
突然、僕たちは槍を突きつけられた。
ようやく村人のお出ましである。数少ない男たちがいきり立っている。
ぞろぞろと女たちまでもが丘を登ってくる。
「スプレコーンの獣人村を代表して来ました。あの子たちは誘拐された子供たちです。あの子たちの家族の安否を確かめに来ました」
ザワザワと群衆が騒ぎ始めた。
ゴンドラからは子供たちが降りてくる。
子供たちがひとり姿を現す度に悲鳴にも似た声が上がる。
子供たちのすぐ先の未来を暗示する悲痛な叫びだった。
子供たちは皆青ざめていた。空の上の笑顔はそこにはなかった。
「あの子の、親はまだ生きてる」
群衆のなかの誰かが呟いた。
怪我をして杖を突いている若い男だった。
僕は人垣を掻き分けその人に詰め寄った。
「どこにいるのッ!」
僕の目から涙がこぼれた。
生きてる…… 生きててくれた。
耳のいい獣人の子供にも当然聞こえたらしく、小さな身体が必死にこちらに駆けてくる。
「どこですか? どこに――」
「救護所にいるよ。でも助からねえよ……」
「なんで!」
「俺の傷見りゃ分かるだろ? もう薬がないんだ。一本も…… 一本もないんだ!」
「まだ助かる見込みのある人がいるのか……」
僕がゴンドラを振り返ると、リオナが僕の鞄を投げて寄越した。
「ここは任せるのです!」
凜と仁王立ちする。
さすが相棒だ。
「誰か! 救護所に案内してください!」
「あんた、何を……」
「薬ならあります!」
僕は鞄を宙にかざした。
自分用の金属瓶に入った原液のままの完全回復薬と万能薬が。疲れたときにチビチビ舐めてるから万能薬の方は衛生的にどうかと思うけど、背に腹は代えられない!
僕は大勢の村人と一緒に救護所に走った。
下り坂に足がもつれて転びそうになった僕を、恰幅のいいおばちゃんが軽々と小脇に抱えた。
「飛ばすよ、坊や」
雪崩を打ったような光景に村に残っていた人たちは呆然と立ち尽くした。
僕たちは彼らの前を通り過ぎた。
救護所は一番大きなお屋敷の大広間にあった。三階まで吹き抜けの大きな空間だった。
ここは村長の家らしかった。
足の踏み場もないほど重傷者が床に溢れていた。ほとんどの患者が重度の火傷だった。
辺りに死臭にも似た臭いが充満している。
追っ手を防ぐためにあいつらは村に火を掛けたんだ。
「千倍に薄めて。千倍でも濃いかも知れないから気を付けて」
最初のひとりが助かったとき、諦めかけていた彼らに希望の火が灯った。淀みきった暗い部屋のなかが急に明るくなった。
疲れ果てた救護員がない力を振り絞って立ち上がると、僕に指示を仰いだ。
「病気を誘発している人にはこっちもあげて。こっちも千倍だよ」
寝ていた患者が何事もなかったように起き上がり、自分の手足を不思議そうに見つめている。
次から次へとそんな人たちが増えていく。
「一体これは?」
僕の薬を救護員がいぶかしんだ。
「内緒」
僕は笑った。
そんななか一際大きな声が大広間に響いた。
「おかあちゃん!」
あの子だった。
立ち尽くしていた母親に抱きついた。そして誰はばかることなく泣き出した。母親は子をしっかり抱きしめ、その子の名を呼びながら神に感謝の言葉を捧げた。
思わずもらい泣きしそうになった。
僕たちが連れてきた子供たちが続々と広間に入ってきた。
僕の心臓に氷の杭が打ち込まれた。
ここは彼らにとっても最後の砦だったのだ。迎えに来なかった家族がいる唯一の可能性だった。
十九人の子供たちのうち、親が見つかったのは意外に多く、七名を数えた。家族ではないが親族が引き取ることになったのが八名。知り合いに引き取られたのが四名だ。うちふたりは村長の家が引き取ることになった。
元々村というのは血縁者が多いものらしい。どこかで誰かと繋がっている可能性は高かったのだ。
「みんないなくなっちゃたわね」
付き添いの女性が空っぽになったゴンドラのなかで呟いた。
「あんなに騒がしかったのに。いなくなると寂しいものです」
往路で操舵士だった男性スタッフが言った。
「引き取り手はいないだろうって話だったのに…… どうなってんだよ」
僕はふてくされた。
スタッフは笑いながら僕の背中を叩いた。
「よかったじゃねーか」
「最良の結果です」
僕以外、みんな嬉しそうだった。
僕の出費はなんだったんだ。新たな人生の手向けに用意した一大イベントだったのに……
何が案ずるより産むが易しだ!
「あーあ、散財した」
僕は甲板に上がった。冷たい風で頭を冷やそうと考えた。
リオナが干し肉をひとりでかじっていた。
「お金で方が付くなら安いのです」
口をもぐもぐさせながら干し肉を黙って一枚差し出した。
「もうすぐ夕日が沈むのです」
リオナがどこまでも広がる森の先を見つめた。
長居しすぎたせいで遅くなってしまったな。
夕焼けの先に日が沈もうとしていた。
「エルリンは楽しくなかったですか?」
「え?」
リオナが笑った。
「空の旅は最高だったのです。あの子たちの心にも残ったのです。エルリンは最高なのです」
リオナが夕日に顔をさらすと風が頬を撫でた。
心地よさげに目を細めるリオナの髪が金色に映える。
そうだな……
あの決心がなかったら、こんな高い場所、飛んでいなかったかもしれないな。
僕は目を閉じる。
夕日の余熱がまぶたに伝わる。
「楽しかった! 最高だ」
僕は笑った。
リオナのしっぽが嬉しそうに揺れた。
「まだまだこれからなのです」
甲板に風が吹く。夏の予感、暖かく湿った空気。鳥の群れも巣に帰っていく。
飛行船は一路、お仕置きの待つスプレコーンに向かっている。