揺れるしっぽと青い空(空へ)3
「早く乗るです! 後が支えてるのです。そこ段差なのです」
明かりが限られるなか、子供たちが手をつなぎながら次々ゴンドラに乗り込んで行く。
「これ何?」
立ち止まり船内を舐めるように見回す。
木と革と雲母ガラスでできた丈夫な箱だ。軽くするために付与魔法で強度を増している。
「僕たちまたどこか運ばれるの?」
中程で止まった子供たちが周囲を見渡すためにくるくる回る。
「誘拐されるの?」
幼い子がリオナにすがりつく。
「そんなことしないのです! 朝のお散歩なのです」
全員が喧嘩もせずに素直に椅子に座った。
クッションも何もない丈夫なだけが取り柄の備え付けの椅子だ。
「全員乗りましたか? 椅子に座ったら全員ベルトを着用してください」
付き添いの獣人の女性が優しく応対する。
ベルトはただの革紐だ。バックルに通して穴に爪を掛けるだけの代物だが子供にはこれすら難しい。リオナともうひとりの女性がひとりずつ確認する。
「それでは時間になりましたので出発いたします」
ゴンドラが音も泣くふわりと浮いた。
子供たちは一斉に雲母ガラスの窓から外を見た。
僕は船内の様子を天窓からこっそり覗いている。
僕は毛布にくるまりゴンドラの屋根の上の甲板にいた。
予定していた定員を超えて、全員を乗せたゴンドラが舞い上がった。
日中に飛べば発見されることはほぼ確実。
一度のフライトで差し押さえられることは想像に難くなかった。そうなると残った子供たちを乗せられなくなる可能性があった。
一度に全員乗せられたのは運がよかった。
重量は増したが気球を大きくしただけのことはある。
子供たちが軽かったせいもあるが、骨格を省けたことが何より大きかった。
だが少々騒がしい。
「浮いてる!」
子供たちが叫んだ。
そしてガラスにへばり付いた。
「魔法だ!」
「人族ッだ! やっぱりさらう気だ!」
「この乗り物は魔法で動いてるのです。だから魔法使いが必要なのです。人族も乗ってるけどいい人なのです」
「嘘だーっ!」
「リオナお姉ちゃんの馬鹿ーッ!」
大騒ぎである。
「これからしばらく空の旅をお楽しみください」
付き添いの女性はまるで動揺していない。
「あんまり騒ぐと帰りは歩きですからね」
この一言で子供たちは黙った。
「ほんとにさらわない?」
リオナに念を押しているところがかわいらしい。
僕は笑いを噛み殺した。
飛行船は一路子供たちの生まれ育った村を目指した。
外はまだ闇に包まれ星の瞬き以外何も見えない。
その星を頼りに船は進む。
僕は周囲の警戒を名目にゴンドラの屋根の上にいた。姿を隠していた方が面倒がないので、ちょうどいい場所だった。
魔法を使って隠れることも考えたが、今日は獣人の子供が作ってくれた匂い袋を持参している。
この船には客席から隠れた場所に操縦席があった。そこにマギーさんのところのスタッフが数人同乗している。
操縦席には各魔石を発動させるためのボタンがある。それに触れると操縦士の魔力がボタンの先に付いた伝導性のワイヤーを伝って、各部の魔石に流れ込む仕組みになっていた。普通に発動させる感覚でオンオフが可能なのである。唯一帆の舵取りだけが人力なのが玉に瑕だ。
最初の試験飛行では帆がまるで役に立たず、船が風に寄り添ってしまって、流されるだけになってしまったことがある。帆船の原理を調べて、船尾に尾翼を付けることで、反作用を生み出し、帆を風に当てることができるようになった。
現在タッキングしながら向かい風を進んでいる。要するに進路を斜めにジグザグに進んでいるのだ。
「さすがに寒いな」
僕は手をこすりながら息を吐いた。
「そろそろかな」
風の魔石が発動して船首が目的地がある方角を向いた。帆は風をはらむことを止め、ぱたぱたと音を立てる。
甲板の船首にいたスタッフがやって来て帆を操る。
「降下します。落ちないでください」
スタッフは僕に掴まるように促した。
僕はロープを巻き付けるための柱にしがみつく。
スタッフは降下するための準備が整うと操縦席の上にある天窓に向けて合図する。
船首が下を向いた。
思わず声が出そうになる。前のめりになるのはさすがに怖い。
飛行船がゆっくりと加速していく。
落下する力を使って向かい風を一気に進むのである。このときばかりは姿勢制御用の魔石もフル稼働である。
僕は柱の陰に入って向かい風をいなしながら状況を見守る。
ゴンドラのなかで子供たちが騒いでいた。
しばらくすると機首が上がり第二槽に火が入る。
森がすぐ下に見える。
浮力が回復し、地平線がまた遠くなっていく。
リオナが甲板に上がってきた。
「休憩なのです」
リオナはサンドイッチを鞄から取り出した。
「お姉ちゃんどこか行った?」
「屋根登ってった」
「どうやって?」
「あそこに階段あった」
「どこにもないじゃん」
子供たちは食事に夢中で、屋根裏にリオナが消えるのを見ていなかったようだ。
紐を引っ張れば屋根の天板が降りてきて、天板がそのまま階段になる仕掛けだった。
天井を開ければ風が吹き込むだろうに。いくら風除けがあるからって、気付かないものか? 明かりの加減もあるだろうが、集中し過ぎだろ。
そんなに弁当好きか?
船が平常に戻ったので僕も一切れパンを頬張った。
これで飲み物があれば最高なんだが。
「何あれ?」
子供が騒ぎ出した。
「うわぁあ」
「きれい……」
山間部の背景から棚引く雲が燃えるような赤に染まる。
僕とリオナもサンドイッチを口に入れたまま朝日の昇る景色を呆然と見詰めた。
「日の出だ……」
日に照らされ山の稜線が輝きだした。
僕もリオナも日中のフライトは今日が初めてだった。子供たち同様、初めて見るパノラマだ。
突然まぶしい光が稜線からこぼれた。
辺りが一気に輝き出す。
「うわぁあ!」
子供たちの歓声が上がる。
放射状の光が空と森を照らして、暗闇を一気に追い払った。
空は白んで闇はすっかり消えてしまった。
代わりに稜線の陰が青々と照らされた森にくっきりと映し出された。
鳥たちが一斉に大空に舞い上がる。
僕は思わず息を飲んだ。
飛行船が光に飲み込まれた。
「こんな景色がこの世にあったんだな…… 信じられないよ、まったく」
スタッフがあまりの出来事に笑った。
僕たちも笑った。
「凄い。凄いのです! 感動なのです」
スタッフは操縦席からの合図に気が付いたのか、梯子を下ろしてなかを覗き込んだ。
子供たちは人族が現れても何も言わなかった。感動してそれどころではないようだ。
操舵室と合図を交わすと「帆を動かします。気を付けてください」とスタッフは子供たちに言った。
実際は帆ではなく姿勢制御用の魔石が作動した。
船体が向きを大きく変える。帆にはらむ風の向きが変わった。
別段止まっても落ちるわけではないし、スピードを競っているわけでもないので、気楽なものである。
滑車でワイヤーを巻き上げることで尾翼のラダーのテンションを調整した。帆を結んでいるブームの位置を若干調節して最適な位置に帆を向けた。
船は空を滑るように加速する。
村の上空まではあとわずかである。




