タロス戦役(ゲートキーパー)1
夜明け前、僕たちはエルーダ迷宮に向かうべく家を出る用意を始めた。
テトたちとパスカル君たちはその間に、飛空艇の整備だ。僕たちがゲートキーパーを届けて戻り次第、西方に出発だ。それまではのんびり寝ぼけていてくれて構わない。
「若様ーっ!」
「リオナちゃーん、頑張ってー」
村中の人たちが聞き付けて、我が家の玄関に押し掛けた。
ヴァレンティーナ様たち『ユニコーンズ・フォレスト』の一団は早々に壮行会を開いて、既に辺境にある。
「うちのことは心配しなくていいから、思う存分やっておいで」
フィデリオを抱えたアンジェラさんが見送りに出てきた。
「まだ前線には行きませんよ。取り敢えず、別の用件を済ませないと」
リオナとエミリーが抱き合っている。
「行ってくるのです!」
「頑張って。怪我しないでね」
ヘモジとオクタヴィアは逃げ腰になりつつもフィデリオに声を掛けた。
「行ってくるから」
「ナーナ」
すると「行ってらっしゃ」と舌足らずな言葉が返ってきた。
オクタヴィアの目がうるうるした。
「ナーナ!」
ヘモジは勇ましく背を向けた。
「サッサと行くぞ。予定が詰まっておる」
エテルノ様が先行して、ゲートを開いた。
「じゃあ、また後で」
ロメオ君がパスカル君たちとテトたちに声を掛けて、エテルノ様を追い掛けた。
続いてロザリア、ヘモジがゲートを潜った。
「行くぞ」
アイシャさんがオクタヴィアに声を掛けて消えた。
オクタヴィアは慌てて主人の後を追った。
「リオナ」
「さっさと用事を済ませてくるのです」
「それじゃあ、後よろしく」
最後のナガレが飛び込んだのを見計らうと僕も飛び込んだ。
エルーダのポータルに到着するといつも通り迷宮を目指した。
ここの上級連中も既に前線に向かっている。
僕たちの任務の内容はギルド職員以外、外部には知らされていなかったから、歓迎されることもなく、門番さんの頷きだけで済んだ。
僕たちはいつもの体で転移ゲートを潜った。
「全員揃うのも久しぶりだよな」
「たった数日じゃろうが」
それが妙に長く感じたんだ。
重荷をさっさと下ろして、気楽な冒険がしたい。
とことん振り返ったらリオナとふたりアルガスの森を彷徨っていた頃を思い出した。
兎一匹に右往左往してたっけな。
目指すは四十七階層、古のゴーレムのいる北エリアだ。
時間帯は今回関係ないので、ランダムで入場せずに、糸玉を使って決め打ちでエリアを選定した。
管理者との約束通り、恐る恐る窪地の岩の上に座っている古のゴーレムに話し掛けた。
「管理者に会いに来た。道を示せ!」
すると古のゴーレムはのっそり立ち上がって、いつものように扉のレリーフの前で直立した。
「『開かずの扉』?」
以前、探索した大きな隠し部屋に僕たちは足を踏み入れた。
するとそこには神殿跡で見付けた転移システムと同じ物があった。
「前来たときはなかったのに……」
おまけにこちらは始めから起動していた。
僕たちは一塊になるとゲートに飛び込んだ。
そこは以前見た生活感のある木の廊下だった。
僕以外は始めて訪れる景色のようで、皆、物珍しそうに周囲を見回した。
「湖畔のコテージか…… 随分と地味な場所じゃな」
アイシャさんが言った。
「そうでもないよ」
僕は笑って、進むように促した。
廊下の突き当たりには所狭しと書籍が積み上げられていた。
相変わらず整頓はしていないようだった。
「リオナが見た景色と全然違うのです」
「この先だ」
僕が扉を開けると、そこは相変わらずワックスで黄金色に輝く、木の大きな図書館だった。
そしてそこには彼がいた。黒い髪のローブを着た青年――
「ヤマダ・タロウ……」
『異世界召喚物語』を読んだことがないみんなにはそれが誰だか分からない。
「おや、戦闘は後回しですか? まあ、構いませんが、ちょうどトレースが終わったところです」
最初の予定ではタロスを殲滅してから来る予定だったのだが、諸々を考慮して、同時進行になったのだ。
「あの、ゲートキーパーは?」
ロザリアが尋ねた。
彼はそれらしき物を何も持ち合わせていなかった。
「それならここに」
何もない。
「どこ?」
「ナ?」
「これです」
それは小さな指輪だった。
「これがゲートキーパーです。そしてわたしもまたその一部になります」
「ど、どういうことですか? 一部って?」
「我々もまた異世界から紛れ込んだ存在であることは以前、話したかと思います。この世界の異邦人であると」
分厚い作業台のようなテーブルに人数分のお茶が注がれた。
「我らは次元生命体にして次元を渡り、生命を育むのが本来の使命。そしてときに世界を繋ぐ役割を担う者でありました。ですが、情けないことにタロスとこの世界の抗争に巻き込まれ、我らはこの地に取り残されてしまいました。そして多くの力を失うことに…… 今では迷宮のなかだけが唯一存在を保てる場所となりました。今では情報を統括し、可能性を見出すことだけが、我らにできる唯一の望みでした。そして時は来ました。今ではこのような物がなければ何もできない身と成り果てましたが、世界が繋がれば我らは元の力を取り戻すことができるのです」
「お主が行けば丸く収まるのか?」
「平和と安寧が我らの望み」
「胡散臭い台詞じゃな」
アイシャさんが言った。
「他に言葉が浮かびません。ですが、わたしがあちら側に行きたい本当の理由は別にあります」
「なんですか?」
「それは…… 移動しながら話しましょう」
景色が突然、変った。
「ここは?」
脱出部屋に似ていた。上層への階段と転移ゲート。壁には『三十』の数字が刻まれていた。
「新しい迷宮の最下層……」
「まだ迎えは来ておらぬようじゃな」
「さっきの話、本当の理由って?」
「友人の最後の望みを叶えて差し上げたいから、でしょうか?」
「友人?」
「かつてこの姿をしていた人物です」
「ヤマダ・タロウ!」
「彼の人生は華やかなものでありましたが、終生、悲しみをぬぐえぬ人でした。彼はこの世界で望むべくすべてのものを手に入れましたが、一番の望みは遂に叶えられることはなかった。彼は心の底では故郷にずっと帰りたがっていた。自分と関わるものが何も残っていないと分かっていても……」
「そんなこと……」
本には書かれていなかった。
「魂に刻まれた刻印のようなものだったのです」
「その者はもはやこの世の者ではないのだろう? 行ってどうにかなるものでもなかろう?」
「今となってはそなたにとっての楔ということか」
アイシャさんが呟いた。
「論理的ではありません。ですが、納得したい自分がいるのです」
「そういう思いが世界を繋ぐのなら…… 悪くない」
エテルノ様が頷いた。
目の前のゲートが光り出した。
「迎えが来たようじゃな」
僕たちは後退って場所を空けた。