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第三十一話 寝坊、それははじめての事でした。

 昨日の濃い一日のせいか寝覚めはやや悪かった。初めての街に魔法具と思わしき事件。堕天使疑惑の人間たちとの出逢い、意外と身体は疲れていたようで今までエレナが起こしに来る前にはすでにその日の支度をした状態で部屋で待っていられたのに、今日に限ってはエレナに揺さぶられて起こされるまで深く眠っていた。これにはものすごく落ち込んだ。ペレスフォード屋敷にいる人たちは信頼に足る者だと既にわかってはいるが、触れられるまで気配すら察せなかったことに腕が落ちたのかと地味に落ちこむのだ。

 同じ部屋にいる相棒に起こしてくれたっていいじゃないかと恨みがましい視線を無意識に向けてしまうのは若干の照れくささを隠すためだ。ぐーすかと寝こけて無防備な姿を友人であるエレナであろうと晒すのは抵抗があったからである。そんなわたしの複雑な感情を知らないエレナは朝食の時間をすっ飛ばして眠りこけていたわたしのためにリンゴコンポートなるものをとっといてくれたみたいで、それを差し出されたわたしは一も二もなく手を伸ばすが空振りに終わった。眼前に差し出された林檎をひょいと取り上げられたわたしはじとりとエレナを睨みつけてしまった。

「……酷いですエレナ。わたしに犬のように涎を垂らさせて待てをさせる気ですね」

「意地悪をしている訳ではありません。リディア様が朝の支度を終えた頃にこちらのテーブルで召し上がってもらいたいのです。寝台の上で食すなんて分別ある女性がすることではありませんわ」

「この際っ、女でなくともいいからその林檎ちゃんが食べたいです!」

 わたしにとっていま大切なのは林檎を食べることだ。本来精霊に分類される天使には明確な性別なんてものは存在しない。生まれたときの姿がそのままの性別となるので、わたしも生まれたときの姿が女性型だっただけだ。だからエレナの言う分別ある女性になどなれなくともいいから早く林檎が欲しい。所詮それは人の尺度であって天使であるわたしにはどうだっていいことなのだから。

「何を言われようともこればかりは私も譲りません。

……リディア様がお仕度をしていただけないのでしたらこれは下げてしまいますよ?」

「……っ! エレナ、人質をとったつもりですか」

「まぁ。そうですね。ではリディア様? この美味しいリンゴをお口に入れたければ今すぐお仕度してくださいな。初日に身の回りはご自分でなるべくやると豪語したのですから。期待していますよ?」

「任せてくださいっ! 林檎の為ならばマッハで終わらせます!!!」

 目の前にぶら下げられた人参もとい林檎のために鼻息荒く寝台から降りたわたしは纏っていた寝巻きをするりと脱ぎ捨て、エレナが差し出す服を身につける。今日はランセとの約束の日だということで用意された服は動きやすく、なおかつ汚れてもいいものを選んだらしい。それらに手早く着替えたわたしは人肌温度のお湯を張った桶に手を差し入れ、顔を何度も拭う。その温かさにほっとしながら段々と目が冴えてくるのを感じた。ようやく寝起き特有のダルさを払拭できたようだ。滴る雫をタオルで優しく吸わせ、備え付けの大きな鏡であるはずの寝癖を直して真新しい群青色のリボンで髪を縛り、くるりとエレナに向き合う。

 これで見つめ合うことにはちゃんと意味があり、エレナの眉がつり上がればわたしは支度を最初からし直さなくてはならないのだ。さて今日はどうだろう?

「…………大丈夫そうですね」

「本当ですか!」

「はい。ではリディア様、すこし遅めの朝食をご用意しますね」

 しばらく見つめ合ったが今日のわたしの自力での支度は合格点らしい。一度でOKをもらったわたしは傍目にも分かるほどにウキウキとしながら、部屋に備え付けられているテーブルの席につく。そのテーブルには淹れたてのハーブティーが置いてありこくりと呑むほす。このハーブティーに使っているハーブもランセが毎朝庭先で育てているものらしい。人間の志向は人それぞれだがこのハーブティーには透き通るような魔力が仄かに感じられた。人間ではない部分が静かに宥められていくようで、穏やかな一時を垣間見た気分になる。

 ゆっくりと取れたて淹れたてのハーブティーを味わうわたしを尻目にエレナが例のリンゴコンポートは焼きたてのトーストの上に盛り付けられ、ミントの葉をアクセントにしたものをテーブルに並べ、つけあわせはポテトとインゲンのソテーととろとろのコンポタージュ。

 流石は貴族なのか朝からしっかりと食べる派なのか、出されるものはけっこう重めなメニューでわたしももうずいぶんと慣れたものだ。はじめの頃はあまりにも食事量が多かったのと慣れない食事で残す日々が続いたが、段々と舌が肥えてきたのか食べることに慣れたのか問題なくフォークが進んで今に至る。甘いものは別腹、となんとも人間の娘らしい言葉さえ軽々と口が滑るようにこぼすこともしばしばある。

 天使のときの習慣で胃が受け付けなかったわたしのためにノイシュが必ずどの食事時も林檎を使った料理を用意してくれたおかげでもある。人間よりも精霊寄りの天使であるわたしたちは人間がする食事などは必要とはせず、口にしたとしてもせいぜいたしなむ程度だ。それは人が酒を呑んだりするのとなんら変わらない。

 昔であれば天界品種の林檎一つを食しただけでわたしは十日間くらい何も食べない日が続いたくらいだ。生きるために食事をとる必要がない故にあまり発達していない胃が受け付けなかったのだ。

 それが今では林檎ならばどんな料理だろうとすべて平らげてきたわたしの変化にきっと驚きながらノイシュが準備してくれたにちがいない。わたしの見解では食事量が増えたのは林檎以前に人間の身体でいることに慣れたからだと睨んでいる。日を追うごとに人間の感覚に慣れていき何もせずとも覚える空腹感にあるはずのない欲求を持て余していた所で差し出されたのは料理のプロの林檎料理。落ちるのは簡単だった。こうしてわたしは人間の料理に舌鼓を打つこととなったのだ。





 そんなペレスフォードのコックの今朝の朝食にさっそくナイフを通す。もちろんそれはリンゴコンポートが乗ったトーストである。

 外側に置かれたナイフとフォークで音を立てないように気をつけながら一口だいに切り分け、こぼさないように口に運ぶ。口内に香るシナモンと爽やかなミントに相まって甘く柔らかにシロップの染み込んだ林檎との相性に顔がゆるんでしまう。



(ああ、もう幸せ……)



 たった一口。されど一口。その一口だけでわたしは今日を頑張れる気力を得たような感覚を覚えた。それは身体の疲れさえ吹き飛ばすような林檎パワーのなせる技だろう。そんなわたしの締まりのないゆるゆるな顔を見ながらエレナは今日の予定を告げる。もうちょっと余韻に浸らせてくれてもいいのに、とか思ってしまうのは決して口には出さずに、視線だけで促す。

「食べながらで構わないので本日のリディア様のご予定をお聞きください。

朝食を終えられたら正面玄関に行ってランセさんとお過ごしください。夕飯の準備が出来次第お迎えに上がりますから、それまではランセさんの指示のもと従ってください。……私としてはランセさんの言うことなど聞き流しても構わないと思いますけどね?」

 と茶目っ気たっぷりに告げられ、わたしたちは顔を見合わせてこっそりと笑いあう。魔法バカであるランセが暴走しない限りはわたしも付き合うが、手に負えなくなったらエレナの言うとおりにさせてもらおうと決め、再びナイフを進める。

 食事を再開させたわたしの視界の端でクロウ用にとエレナがいくつかの穀類ブレンドご飯と小さく切り分けられた林檎が出されたようだ。わたしの相棒ということで何故かクロウにも毎食林檎が振る舞われる。あれかな。天界出身者はもれなく林檎好きだと思われてしまったかもしれない。まぁクロウもわたしのおかげか林檎好きなのだけれども。




それが狂気の如く林檎を欲し、喰らうリディアの所為とは露知らずに。鴉の心相棒知らず、である。







*********




 ゆっくりと時間をかけて朝食すべてを平らげたわたしは腰を上げて正面玄関へと向かうべく、自室を後にした。そのときにクロウに自室待機だと視線で伝えておくことも忘れずに。やはりクロウも昨日の外出での疲労を引きずっているのかすぐに了承の意味の頷きを返された。どうやら今日はもう休む気でいるのか用意された止まり木で己の翼を嘴で撫でつけていたのを見届けてから部屋を後にした。

 はて、ランセとの一日はどうなるのかと漠然と考えながら階段を降りていくとちょうど此方を向いていた金の瞳とパチッと目があい、軽く手を振る。手持ち無沙汰の様子で柱に寄りかかるランセはどこか物憂げな表情で、普段からそのような雰囲気であればさぞかしモテるだろうとやや場違いな事を思った。まあモテてもあの魔法オタクの症状さえ出なければ、だが。誰だって興奮したランセに魔法をぶっ放されてまでそばに居たいとは思わないだろう。失礼な事を考えているのをおくびにも出さずにランセに近づいて挨拶を交わすべく口を開く。

「おはよう……? いや、おはやくないから、おそようございます、かな? それともこんにちわ…………」

「……なんだそれは。この時刻ならこんにちわ、だ。まだ寝ぼけているのかリディアは」

 なんだそうなのか。やっぱり人間の常識なんて天使には難しいな。たくさんある規則や常識を引っ張り出すだけで頭が痛くなりそう。

「そうですか。……ふふ。人の言葉はわたしには難しいようです」

 これは素で間違えたわけではない。

「……で? わたしは何をすればいいですかランセ」

「予定通り庭いじりだな。それも魔法談義を交わしながらだ」

「…………さいですか。あんまり高度なお話は期待しないでくださいよ」

 やっぱり想像していた通りのようだ。流石は魔法バカ。期待を裏切らない男である。思わずランセに向ける視線が冷ややかなものになってしまうのはこれから訪れるであろう大変な時間を思うからだ。

 ややゲッソリするわたしの手を掴んだランセの瞳がキラリと光る。何をする気か、むしろわたしに何をさせる気だと、これからを考えると背筋が冷えた。なに、これ。殺気なんか感じないのに。ぞぞぞと悪寒がする。

「もうオレも知っているぞ。お前が天使(ヒト)じゃないと」

 どーだ、的なキメ顔で上から言われるもわたしとしては…………

「……ようやく、ですか? 割と遅かったですね。やはりその性格故に信頼されてないのですか?」

 こんな言葉しか出ない。それにしてもずいぶんと遅い情報を掴んだものだ。わたしが人外だと知れるのはマズいのだけど屋敷に来てすぐにセルジュとエレナに告げたのだが、既に半月以上経っているんだけどな。

 セルジュの護衛であるランセにもすぐにその情報がいくのだと考えていたのだけど。実際はちがうのだろうか?

 首を捻るわたしが浮かべた疑問符を拾ったランセは顔を背け、ぼそぼそと小さな声で教えてくれた。

「…………セルジュがずっと渋ってたんだよ。オレが魔法に関わると暴走汽車のようにノンストップでマシンガントークをお前にかますからだと……


オレだって読むべき空気はなるべく…………読む、ぞ?」

「……わたしに聞かないでくださいよランセ。てかわかっているのならすこしは改めてみては?」

 しゅんと頭をうなだれさせてわたしに言われても……。反応に困るだけだ。

 まったく。大の男が肩を小さくしてうなだれても全然可愛くない。世の中にはそんな男性も好みだと広い懐の女性陣がいるかもしれない。だけどわたしはゴメンだ。面の良い者なんてそれこそ星の数ほどあろう。己のすべてを差し出しても良いと思える相手でなければ。

 これから向かう魔法学園にわたしの眼鏡に叶う人間がいればいいのだけれども。もしもわたしが恋などに落ち、色に狂うのは慎んで辞退するがそんな人物がいるのなら天界に戻った後も何かと贔屓してしまいそうだ。たぶんね。

 今でこそペレスフォードの人間を気に入っているからなきにしもあらず、なのだけれども。

 





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