はじまり
神は己に似た性質を持つ天使を創りあげた。
疑いを知らぬ無垢な瞳、清廉を好む白き翼の民、それが天使である。
地上に蠢く未だ文明の兆しさえ見せぬ人族よりも己を自発的に愛する天使たちを神は愛した。
その結果地上は長らく日が昇らず夜が続き、魔族が我がもの顔で闊歩し、蹂躙の限りを尽くす。
人びとの血を吐くような懇願に心動かされた天使の名は『……………』である。
彼の天使は神に逆らい、地上に降り立ち戦争を起こす。
天使と魔族と人族の存亡をかけた古の戦いを。
この戦の勝者は記さない。
戦争に勝った者が正義になるのだから。
著者 無記名
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わたしは自分がいつ生まれたのかはっきりと覚えていない。まばゆい光りが己を包み込んだあとに幼いであろう自分の存在を脳が認識した。
小さな手の平は柔く、ぷくぷくとした肉付きな幼児ではあるが見た目ほど幼いわけではなく、自分が神の手により創られた生命であると本能で理解していたからこそ、最も勤勉な出世頭としてエリートの道を歩めたと思う。
創られし生命である天使には人族のように親という概念はなく、己の生みの親である神と天界のために日々、その力を全力で傾ける。その健気さは生物の本能に裏打ちされたものだろうとは思うが、それはヒトがきずく親子の絆にひどく似通っていると感じた。だって見返りがなくとも何かしたい、と思う感情は親が子を想う感情だったり、子が親を労るような感情に酷似していると思うからだ。
わたしは天使として生まれてしまったゆえに他の種族を知らないが、霊的な存在である天使は不死に近いのでこの体質を活かせる職種に就くのだと、生まれ落ちた場所で願った。
生まれたばかりのわたしを引き取り、あらゆる知識を授けてくれたのはミカエルと名乗った知的そうな天使だった。天界に降り注ぐ柔らかな陽光をはじく金糸のような髪の美しさとは裏腹に、鮮烈な紅の瞳に見つめられればひどく背筋を奮わせる何かを与える雰囲気な天使ではあったけどわたしは目の前に立つ天使を嫌いではなく、むしろ好ましく感じていた。
いやいや、これって鳥類によくある刷り込みなのかもしれないけど、本能的に恐れを抱かせる相手を慕うってあの時のわたしは生まれたてで阿呆としか言えない。
新たな天使を神が誕生させる儀式には必ず育て親となる天使が同席するのがならわしで、わたしの時にはそのミカエルという天使がそうだった。
自身を包んでいた光が消えたあと、右も左も分からぬわたしにそのミカエルという天使は手を差し伸べ、綺麗な微笑みを浮かべながら毒を吐き捨てとある言葉を紡いだ。
『貴女は神により創られし新たな同胞、天使リディエル。私が面倒を見るからにはそれなりモノを貴女に求めます。
弱音を吐くような弱い天使なら私が終わらせてさしあげます。私のやり方について来られない場合も同じです。天使として名を残したいのなら精々足掻きなさいリディエル』
儀式の間以外、何も知らないわたしは目の前に差し出された手を取るしかなかったが、彼を育て親としたいまこの瞬間にそれがわたしを“わたし”とたらしめる出逢いだったと言える。
輝くような天使の手を取り、後悔したことは一度としてなかった。最初はミカエルという育て親は可もなく不可もないような天使だと思っていたが、わたしと同じ時期くらいに誕生した他の天使達も育て親がそんなに高い位ではなかったからわたしの育て親もそうだろうと漠然と感じていたのだ。どうやらそれは早計だったようで。
同じ時期くらいに生まれた他の天使達がゆっくりと色々な事を学んでいるなか、わたしは急ぎ足であらゆる事を叩き込まれた。まだ筋肉も発達していないような年の頃は魔法の基礎から禁術の類までや毒薬の製造方法まで容赦なく。それこそ時間に縛られないはずの種族なのに朝も昼もなかった生活を何百年も繰り返した。
口答えをしたことはなかった。
厳しい鍛練に動けなくなった身体を踏みにじられようと、気を失っている間に気つけの魔法をぶつけられてもわたしはただひたすらに耐え続け、己を鍛えるために全力で育て親に食らいつく日々で。彼の天使の弟子として恥ずかしくないようにと常に自分を律する努力を欠かさなかった。
天使として生まれたからには誰もが為さねばならない義務だと思って、わたしは育て親の無茶ぶりにも疑問を抱かずにそれをごく当然として受け入れ、頑張ればそれだけはやく天界の役に立てる、と幼いながらも考えていたから。
だから辛く厳しいだけの訓練でもあきらめることなく、やり遂げられたと思う。
そんな幼少期のせいか同期の天使たちよりはやく出世することになり、今までは知らされなかった情報が手に入る地位になったある日のことだ。天界の中枢に位置するエデンの園に入室できる地位に就いたわたしがはじめにしたことは天界一の蔵書と情報量を誇る--エデンの園--の利用だった。
エデンの園には常に上級天使が複数在中し悪用されないようにと監視の目が厳しく、天使といえど容易には入室許可さえ与えられないほどの警戒体制で。つい先日、戦場で手柄を立てなかったらわたしもその入室許可を与えられなかっただろうと想像に難くない。むしろあと何百年かかるか、そんなとこだろうとは思う。 そんなこんなで図らずもチャンスを掴んだわたしは意気揚々とエデンの園に入室し、膨大な書物の中から育て親の情報を探しはじめた。
欲しい情報は比較的早くに手に入ったのだけど、あの鬼畜な育て親がかつては神との同席を許された大天使であったり、天界を支えるセフィロトを維持、守護をする栄光の天使だと知ったときはよくわたしはここまで生きていられたなと身体が震えた。天界での位が低かろうと大天使という階級は額面どおりのモノではなく、育て親である鬼畜師匠殿も例にもれずにそれはもう、ものすごい御方だった。
そんな記録がわんさか掘り起こされ、幼少の頃からそばにいた育て親が高位の天使だとは思いもせずに、幼いながらも少し不敬だったかもしれない。目に見えて反抗をしたことはなかったが、よくわたしは五体満足で今日まで生きてこれたなとしみじみ思う。
沈みかけてた思考を上昇させ、手元にある書類を再びめくる。育て親が実は天使軍の総司令官だとやたらめったらに功績が記されていたりといろいろな情報で許容オーバーやわたしは慌ててその書類を棚に戻し、駆け足でエデンの園から退出した。
はや歩きしながら思い出すは育て親である天使の姿だが、確かに普段の佇まいからあの育て親がただならぬ天使ではあると伺える。金の天使は口先だけでなく、その気位さえ実力に見合ったものを備えているからだ。
たまに自宅にやってくる天使が育て親に低い姿勢で物申そうと、あの鬼畜師匠のことだ何か弱みでも握っているのでは?と勝手に思っていた。それがわたしの間違いであったというのに。
いくつもの階級をもち切れるような毒舌と本音を隠す気のない慇懃無礼な態度に見合う実力者だとしたら、それこそ何故わたしという、生まれたばかりの天使の指導など引き受けたのか疑問である。
その理由が判明するのはそう遠くはない日だった。