第十七話 修羅場は種族問わずに関わりたくありません。
騒ぎの中心である場所へエレナと向かえば何やら修羅場のようで、黒いローブを身につけた男子学生と若い女性と柄の悪そうな男の三人が渦中の人間のようだ。遠巻きに様子を見てみたらどうやら女性と柄の悪そうな男は恋人関係らしいのだが、女性と一緒にいた学生が恋人をナンパしただろ!と男が騒いでいるらしい。周りの野次もおろおろとする学生を助けようとする気もなく、ただ眺めているだけで誰もが見知らぬフリ。
はっきり言ってどいつもこいつも頭が可笑しいとしか思えなかった。
あまり人間には詳しくはない天使でもわかることを何故誰もしようとはしないのだろう?人間は他種族にも優しい人種ではなかったのか。天使時代に培ってきた情報も今や用をなさず、人間の実態に軽く失望する。
エレナたちはわたしたち天使が求める人間の理想像だっただけでやはり大多数の人間は天使の嫌う堕落した者も多いのか。そんな自分勝手に抱いていた理想を裏切られたわたしは怒りに身を焦がしながら、騒動へと一歩進む。背後からエレナの声が聞こえる気がするもぐらぐらと煮えたぎりそうな心情のいま、気にする余裕なんてものは持ち合わせてなかった。
「お話は大体わかりましたが、周りの人に迷惑がかかるので痴話喧嘩なら余所でやってもらえませんか?」
「あぁっ?! お嬢ちゃんは黙っててくれないか。オレはこのガキと話している最中なんでな!」
「(・・・お嬢ちゃん?わたし、貴方よりも遥かに年上なのだけど)話とは? 貴方が一方的にがなり立て、騒いでいることを話していると言うのですか?」
品のない男にお嬢ちゃん呼ばわりされ機嫌が急行下する。そのせいかわたしの口調も若干ミカエル様が入る。ミカエル様の口調ほどお説教に効くものをわたしは知らない。なので無意識にミカエル様口調が出てしまった。
あの噛んで言い含めるような言葉の数々にわたし以外の天使の何人もが落ちたのだ。声を荒げずとも他者を従わせ、自ら膝をおり頭をたらさせる、そんな力を持っていたのだ。ミカエル様口調は。
むしろミカエル様だからこそのものなのかもしれないが。
そんなわたしの心のうちを知らぬ男は学生からわたしへと標的を定めたようで、その短そうな足を音を立てながらこちらへと向ける。流石は街中で騒ぎ立てる程度の輩なのかまだいびり足りなかったのか。どちらかは分からないがわたしに言われてもこの場を収める気はないようである。そんな輩ならこちらも手加減する義理も義務もないので全力でお相手するか、とわたしが考えていたらふるふると震えていた学生と目があった。
気弱そうな瞳が気遣わしげにこちらを見つめるがわたしとしては男がこっちに向かっている隙に逃げてしまえ、と思っていた。そんな男子学生の視線を一瞥したわたしはすぐ目の前までやってきた男へと視線を向ける。
周りにいたはずの野次馬たちも大柄の男と少女が向かい合う様に、誰もが口をつぐんでいたためにこの場は限りなく無音だった。騒動の渦中の一人であった女性はすでにこの場を去ったというのに、目の前の男はそれさえにも気がつかないほどに愚鈍なのかと一人思う。
そんなわたしの考えは顔に出ていたのか、男はこれ以上ないぐらいに目を吊り上げた。
「さっきからよぉお嬢ちゃん? 大人に舐めた口きいてるじゃねぇか?痛い目みてぇのかよ」
「どうやらわたしの知っている“大人”の定義は貴方とは違うようですね? わたしの知る大人とは成人した人のことだけではなく、その場の感情や目先の利害などにとらわれず、 将来を見据える人だと解釈しています。街中で人の迷惑も考えずに騒ぐ貴方が大人だと?」
笑わせてくれますね、と嫌み混じりに言えばたちまちに顔を林檎のように赤くしながら男が何かを突き出してきた。後ろに退いてそれを避けてみるが完全には避けきれずに、浅く腹を掠めていったソレにわずかに痛みと熱を感じた。
「せっかくのキレイな肌に傷がついちまったな、お嬢ちゃん?」
「……っ流石はゲス男ですね。言葉で勝てないからと容易に武器を振りかざす、脳筋野郎のすることです」
男が取り出したのは少し錆びたナイフだったようで、切り付けられた腹部が引き攣れたようにじくじくと鈍く痛む。この大馬鹿野郎がナイフを取り出したことに驚いた野次馬は蜘蛛の子を散らす勢いでちりぢりに逃げていくのを顔を歪めながらただ黙って見つめた。
「っリディア様! どうか私に許可をお与えてください!この男を肉片にかえる許可を!」
「エレナ……やめて。それしたらシャレにならないよ。わたしが片付けるから」
そうエレナに告げるも普通にナイフで切られるよりも錆びたナイフで切られるほうが痛すぎて、イライラする。この馬鹿タレはわたし自身の手で叩き潰さないと気がすまない。
もちろん錆びたナイフという不潔なモノで切り付けられた恨みもある。何かの病気でも発症したらどーしてくれんだ人間、的な気分だ。
腹部から滴る紅を指ですくったわたしはさて、どうしてやろう?と考えながら男に薄ら笑いを向けた。