第十五話 久しぶりに相棒が帰還したようです。
裏庭でランセとエレナと別れて自分の部屋に帰れば、久方振りの相棒が外側から窓を覗き込んでいた。今の今まで忘れていたわけではなかったがまさか帰っていたとは思わなかったので部屋に入ってすぐに固まってしまった。いきなりのハプニング。それが自分の相棒でも身体は素直なようだ。
もの言いたげな視線になりつつある相棒の無言の催促に我にかえったわたしはすぐさま鍵を外して、部屋の中に鴉を入れた。ここ半月の間にはエレナが大きな鳥篭を用意してくれたのでクロウの寝床はばっちりだ。
「おかえり。今まで何処に行ってたの? まさかとは思うけど地上界の可愛い鴉ちゃんと逢い引き?」
「そこまで飢えてない。リディアの育て親に呼ばれてたんだ」
ついついクロウをからかうもまさか天界に呼ばれていたなんてね。考えつかなくはなかったがいまさらクロウに何の用だったのか。
もしかして何か問題点でも浮上したのかな?
「ミカエル様はわたしでは役不足だと判断されたの?」
「いや。任務の些細な裏事情だ。リディアが知らなくても大丈夫らしいからわざわざ俺が呼ばれたんだ。めんどくさい後処理とかな」
ついつい後ろ向きな考えが思いつくがどうにも不安である。半月後には無期限の単独潜入任務が始まるし。それでもクロウが気にしなくて平気というのならばいつものように任務に励まなければ。
「クロウが天界から帰ってきたのなら初回の報告書はどうするの?」
「まだ平気だそうだ。本格的に潜入任務に取り掛かったらまとめて書け、とさ」
「そう。ま、今のところ地上界に馴染んだり、人間の営みを学んでいる最中だし。取り立てて報告することもないから妥当だよね」
「俺が天界に行っている間にそんなことしてたのか」
目をぱちくりとまばたかせたクロウはその小さな頭を傾げる。
「そうだよ。ミカエル様に地上界の言語とか習ってなかったら危なかったよ」
「良かったな。あの頃地上界の知識なんて必要になる事態にはならないから学ぶのは無駄だ、なんて言いつつも放り出さなかったおかげだな」
ぐむむ。これまたずいぶん昔の事を持ち出したな。
「……うんうん。備えあれば憂いなし、ってことだよね」
備えてくれたのはまあミカエル様だけど。
「…気をつけろリディア」
「……何が?」
不意に真剣な声で相棒は何に気をつけろというのか。そのただならぬ雰囲気に呑まれて口をつぐむ。
「天界も一枚岩ではないからな。単独任務の間に寝首を掻かれないよう気をつけろ」
「何かあった?」
「ただの噂だ。天界の天使と堕天使が繋がっている、そんな噂を聞いた」
「所詮噂でしょう? その程度ならいつも似たようなの流れてるじゃない」
常にわたしの身を案じてくれている鴉へと手を伸ばす。少しでも安心させられるようにと軽く撫でやれば気持ち良さそうに瞳を細める。クロウは少しわたしに気を遣いすぎるきらいがあるのだ。相棒なのだから対等だといくら言っても聞かず、一歩下がる鴉に無理をさせるのは忍びない。
が、噂ばかり気にしていられないのだ。本当の事は分からずとも、今のわたしたちにはどうすることも出来ない。任務が終わるまでは天界に帰る術もないし、途中で任務放棄なんて許されないだろう。思うところはあれどわたしたち天使は神と天界のために存在するのだからそれを疎かになどできようがない。
それこそ悪に染まった堕天使でもない限りは。
右手でクロウの首元を撫でつつ、思うは近頃の天界の動きだった。表面上は荒れてはなかった。それも嵐の前の静けさなのか。どちらにせよ人間の姿となっているわたしには干渉が出来なくなってしまったから、気に病むだけ無駄なのだが。
「ね。聞いてよクロウ」
暗くなってしまった空気を払拭するかのように明るい声音で瞳を閉じている鴉に告げる。話したいことがたくさんあるんだよ、とこぼせば優しい彼は続きを促すようにわたしの瞳を見つめてきた。
「多分明日には街に行くと思うんだけど、待ってる?」
「……俺が居ない間に何がどうしてそうなったんだ」
「いろいろとね。まあそろそろ外に出て、人間の暮らしぶりも見たかった所だからちょうど良かったんだけどさ。クロウはどうする?」
留守番でも良いし、ついて来るなら大歓迎だと告げれば小型な鴉はさも当然のように頷いた。
「お前が行くなら何処へでもついていくと言ったはずだ」
「ありがとうクロウ」
相変わらず男前発言の相棒に照れくさくなるも、いたって真面目な表情で告げた彼には羞恥心がなさそうでわたしは少し居心地が悪かった。わたしばかりが気にしているようで。
「相変わらずの男前だね。うん、クロウがいつ鴉を連れて来てもわたしは歓迎するよ!」
多分よりどりみどり状態ではないかと思われる。言葉少なく、態度で示す男の中の男!みたいな性格だし。彼が伴侶となる鴉を連れて来たのならわたしだけは祝福せねば、と意気込んでいるときに手をつつかれた。
「痛っ!? ちょっ、クロウ!」
痛みを覚えた箇所を見やればわずかに赤くなった右手の甲がそこにはあった。普段であれば力に訴えることのない性格なだけにコレには流石に驚く。
何か気に障るようなことでも知らずにしてしまったのだろうか。
「リディア」
「…………何?」
理由も分からないまま、他を従えるような声で短く名を呼ばれたわたしはそのつぶらな瞳を見つめる。
「今の俺にはお前以上に大事な奴はいない」
「うん?」
「何で疑問なんだ。それくらい分かっているだろ?」
「……そうなの?」
思わず返せばはあ、とため息をつかれ挙げ句の果てにはコイツ分かってないよな、と小声で呟くクロウがひどく疲れたような表情を浮かべていた。
解せぬ。クロウの態度ではわたしが悪いようではないか。何も言わなければ分かるわけないのに。若干拗ね気味に顔を逸らす。
「この先何があろうとお前が行くならどこまでもついていくと決めたんだ。それだけは忘れてくれるな」
「……うん」
「分かればいいんだ」
重たい空気が部屋の中に漂う。何となく気まずくて逸らすための話題を示した。これはわたしの中では一大事とも言えるネタである。
「ラエルからもらった林檎おぼえてる?」
「あぁ。餞別なのに三個だけかとお前が嘆いていたヤツか」
「そうそうあれね。思い出したら腹が立ってきた……ラエルに今度会ったら殴ろう。それでその林檎ね、熟したあとで食べようと思って一日放置してたら腐ってたんだよ。ショックすぎて裏庭に埋めといた」
「腐った?何でまた」
「多分地上界の魔力が少なすぎて、形を保てなかったんじゃないかな?もともと地上界で食べるようにでも改良してなきゃ無理だろうし」
「餞別が腐った林檎でよく怒らないな」
こわごわとクロウが告げるが流石はわたしの相棒だ。目のつけ所が違う。愛しい林檎が黒ずんだ姿になるなんて正直耐えられなかった。
「そこなんだよクロウ! こんな醜い姿になる前に是非とも天界で可愛い林檎ちゃんを食べちゃえばよかった。もしかして芽が出るかな?とか思ってつい植えちゃったんだよ」
「……ソウダナ」
「天界の健やかな純然たる魔力でお姫様のように育てられた温室育ちの林檎ちゃんが地上界に芽吹くなんて本気で思ってないけどもしもがあるじゃない?少しずつわたしの魔力を注げば実を結ぶかもしれないしそうなったらわたしは林檎の親になるの!」
なんとここまでノンブレス。林檎ちゃんに対する愛があればこそ。鼻息荒く林檎について語るわたしをクロウはどこかめんどくさそうに言葉を返す。
「……林檎が絡むとやっぱりお前は残念な天使だな」
ぼそりとクロウがしみじみと呟く部屋には林檎狂いの天使がうきうきそわそわしていた。その言葉さえ耳に届かないのか黒髪の少女はただひたすらに裏庭に埋めたであろう黒い林檎を思い浮かべていた。