巨人ノ困惑、妖精ノ嘆き
「あ、あの巨人様」
地下室から洞窟を抜けると、妖精が居た。
理解できない事実を前に幸彦の頭の動きは停止していた。
その妖精から問いかけられ、幸彦はようやく惚けていた自分に気がついて口を開く。
「お、おどろいた。妖精?」
「は、はい。妖精です」
肯定されて、幸彦はめまいがする。
よく現状が理解できないまま、周囲を見渡すと足下の方にこちらをこわごわと伺う人々が目に入った。
これまた誰も彼もが小さい。
だが地面に居るのは目の前にいる妖精と違って羽が無い。
小人もいるのか。なんだ?
穴から出たときに、ずいぶん離れた位置に人が居ると感じた。
だがそれは気のせいで、近くの位置に小さな人が居ただけだったらしい。
目を閉じて、開いてみても妖精は目の前に居るし、頬をつねっても痛みがある。
「やばい、夢から覚めないぞ」
周囲を見渡せば植物も何もかもが小さかった。
地面から生えている木も自分の腕くらいの太さしかないし、丈も胸丈程度しかない。
目を泳がせながら幸彦は考える。
しかし何を考えれば良いかも判らず、そんな状態で名案が出てくるはずも無い。
何せ妖精である。夢でなければ、自分の頭がおかしくなったとしか幸彦には思えなかった。
おおーう、これが若年性アルなんとかってやつだな。
へへ、脳細胞め使われなさすぎて反乱起こしやがって、こいつー。
あっさりと妄想という名の現実逃避を始めた幸彦を正気に戻したのは、目の前に飛ぶ綺麗な妖精だった。
「あの……巨人様」
柔らかな声と、心配そうなその表情。何よりその綺麗な顔立ちに、ドキリと幸彦の胸は高鳴る。
はっきり言って、幸彦はモテない。
何が悪いのかと言えば、何が悪いか判っていないところが悪い。
まずファッションセンスが悪い。同じ服を何年も続けて着ても違和感を覚えない。
シャツの色が薄くなっても、しわくちゃでも、下手をするとシャツが飛び出ていてもあんまり気にしない。
そして髪型も安さ優先である。
美容室など行ったことも無いし、行こうとしたこともない。
近所の床屋で服装検査のあるときにだけ切るのだ。長ければ三ヶ月に一度くらいしか切らない。
中学生の頃に「おっ! これって、自分で切ったらタダじゃない?」と思いついて、大失敗したあげく、丸刈りにしたこともあるほどの猛者だ。
だと言うのにモテたい力は凄まじく、保険体育の性教育のテストでは百点を記録。
問題の間違いまで指摘して百十点を取ったこともある。
その他、適当。リアクションが大げさ。テストの点が悪い……などなど。
そんなこんなで幸彦は異性に敬遠されてきたのだ。
故に幸彦は美人に弱い。
そうした点もマイナス評価になっているのだが、幸彦は気がついていなかった。
幸彦自身も知らなかったが、どうやら相手の身長が二十センチでもそれは変わらないらしかった。
些細な、障子紙くらいの薄さではあるがプライドが美人を前にしたということで幸彦の胸の内に湧いてきた。
吹けば飛ぶような些細な物だが、それでどうにか体裁を取り繕う。
「巨人というのは、俺……じゃない。僕のことかな?」
なるべく丁寧に、威圧しないように心がけながら妖精にそう訪ねる。すると妖精はこくりと小さく頷いた。
巨人……身長が百七十センチに届かない自分が巨人と言われる事に違和感を感じる。だが同時に、妖精からすれば自分は遥かに巨大見えるのだろうなと納得もしていた。
なにせ、目の前の妖精は手のひらサイズ……昔、飼っていたゴールデンハムスターくらいのサイズしかない。
ハムスターからすれば、自分なんてビルくらいの大きさに見えるだろう。
そりゃ、巨人だと幸彦は納得する。
「巨人様。どうかお怒りをお沈めになってくださいまし」
「いや、別に怒っては無いよ」
「……本当ですか?」
「本当、本当」
適当に手をひらひらさせて、幸彦はそう言いきる。
どこに怒る要素が合ったのかもわからなかった。むしろ、幸彦の中にあるのは困惑の二文字である。
「いやぁ、でも何だね。およびで無い雰囲気だね」
取り繕いながら、幸彦は及び腰で一歩下がる。
「うん、うん。じゃあ、僕は帰るから。帰って寝るから」
朗らかにそう挨拶をして、幸彦はこの現実なんだか、妄想なんだか判らない空間から逃げだそうとした。
そうすればこの妄想の人々も幸せだろう。そうに違いない。
出てきた穴の中に消えようとした幸彦に慌てたのは妖精だった。
振り返った幸彦の前を遮るように回り込み、必死の様子でその行方を遮る。
「ま、待ってください、巨人様!」
呼び止められて、幸彦はなんだ、なんだと困惑した表情で固まる。
「お待ちになってください、非礼はお詫びいたしますから」
「いや、いやいや。怒ってないから、怒ってないから」
あんまりにも懸命なその様子に幸彦は意味が分からないままにさらに困惑する。
頭の冷静な部分がこんな美人に懇願されることなど、今後ないだろうなとクソの役にも立たない事を考える一方。
脳みその大部分は妖精に懇願されるという世にも奇妙な現状に困惑していた。
「ああ、えっと。いや、ほんと、怒っては無いんだよ」
泣きそうな妖精の様子に、幸彦はそれでもなんとか口を開いた。
しかし返ってきた返事に幸彦は目を丸くすることになる。
「で、ですが私は生け贄にも関わらず逃げ出しました。そのことでお怒りになっているのでは?」
「いけ……いけにえ? 誰が?」
「わ、私です」
そう言って自身の豊かな胸に手を当てる妖精に、幸彦は小首をかしげる。
生け贄という何とも残忍な響きがあるものに、この美人の妖精さんはなっているらしい。
「その、辞めた方が良いと思うよ?」
そう幸宏が口を開いたのはほぼ反射だった。
生け贄なんて野蛮な物はよろしくないと幸彦は思ったのだ。それに対してなぜか妖精は泣きそうな顔をする。
「わ、私では不足でしょうか!?」
「いやぁ、良すぎると言うか。美人さんなんだし、安売りしちゃいけないよ。うん」
そう言うと妖精は驚いた様子で、その次に顔を赤くする。
それから照れている場合ではないという表情を浮かべて、表情を引き締めて凛とした様子でこう言った。
「では私を巨人様の生け贄に! 民をお救いください」
……しばし、幸彦は固まる。表情筋からなにからおおよその筋肉が静止した。完全に脳みそが混乱して、動けなくなったのだ。
それでも懸命に幸彦の脳みそは妖精のしゃべる言葉を理解しようと動き出す。
妖精さんは実にファンタジーなことを言うよね。
生け贄だって、ええっと、巨人の生け贄だってさ。
巨人ってなんて悪いやつだろう。
もう全くあり得ないよ。きっと地獄行きだよね。
でも、あれ?
「きょ、巨人って俺のこと!?」
驚きつつ訪ねる幸彦に、妖精は真剣な表情でその問いかけを肯定する。
「そ、そうです。巨人様、どうかお力をお貸しください」
かくして、幸彦の地獄行きは決定した。
しかし幸彦だってそう簡単に納得してあげられる話ではない。
「い、いやいや。待ってくれ。話がおかしいぞ」
訂正しようとすると妖精は泣きそうになる。
「や、やっぱり、私では不足ですか? 私だけで満足してはくださいませんか?」
「ま、満足って。そんな、いやもったいないくらいで」
「本当ですか!?」
「本当、うん、マジマジ。あれ? いや、ちがう!」
「違うんですか!?」
「いや、違わない。ああ、もう判んなくなってきたぞ!?」
幸彦は自分が何を言っているか判らなくなり、目を回しそうになる。
生け贄ってなんだ? 巨人ってなんだ!? 生け贄にしたらどうしたら良いんだ?
食べないぞ!? エロいことなんてあの小さい体じゃ出来ないぞ!? わぁああ!
いっそ奇声をあげて、倒れた方が楽ではないかとすら幸彦は思う。
大混乱の幸彦の様子に、妖精も大混乱の様子で、幸彦の言葉に妖精の表情がコロコロ変わる。
そんな幸彦と妖精の様子をこわごわと見つめていた地上の小人達も、どうやら直接の危険は無いらしいと思ったのか、おずおずと警戒しながら近づいてきていた。
「と、ともかく。何か困ってるんだね!?」
「そうです! 困ってます」
「それを聞こう! 聞かせてくれ!」
幸彦はこの時、妖精を甘く見ていた。
困りごとと言ってもたいした問題じゃないだろうと幸彦は思っていた。
ファンタジーで、フワフワとした問題だと高をくくっていた。
「そ、その。今、この国は食料が不足しているんです」
その悲痛な訴えに幸彦は狼狽した。
「……が、ガチじゃないか!!」
そう幸彦が降り立った妖精が居るこの場所は現在、飢餓による危機的状況に陥っていたのである。