巨人、大地に立つ
寂れた洋館の二階の書斎。
本棚に囲まれ、引っそりたたずんでいる木彫の扉。
そのドアノブの前に腰を屈めて、幸彦は鍵の束の中から当たりの鍵を四度目でようやく見つける。
カチン。
乾いた音と、手に伝わる確かな手応え。
回るようになったドアノブを引くと、そこには真っ暗な空間が広がっていた。
驚きつつ、懐中電灯を向ける。そうすると真っ黒い空間だと思っていた先にはすぐに赤いレンガにぶつかった。
左右に明かりを振ると、左側に階段があり、その奥は懐中電灯の光が届かない更なる暗闇が合った。
そこで幸彦は「ああ」と声を出して気がついた。
リストの中にある地下室の入り口がどこにも無いと思っていたが、この二階がどうやらそうらしい。
秘密の扉ではなかったんだなぁと、残念に思いつつ、幸彦は腰を屈めて扉をくぐった。
扉の奥はそこその高さがあり、ずっと腰を屈めてなくても大丈夫なことに安堵する。
階段は石造りで、奥が見えないことに若干の不安を覚えつつ、階段を下っていく。
かつかつかつかつ。
幅の小さな階段を幸彦は慎重に階段を下っていく。
行き着いた先には大きな金属製の扉が待ち受けていた。
それ以外の物は無く、そこが地下室の入り口だと思われた。
明かりを照らして、しげしげと見つめると実に年代物であることが伺えた。
ほのかに湿った地下室の空気の中で、金属の扉には若干の錆や黒ずみがある。
ドアノブは付いておらず、ボルトで締め付けられた取っ手が玄関の門と同じように鎖と南京錠で無骨に閉じられていた。
……あっ、覗き窓か?
扉の一部に蓋のされた窓を見つけて、幸彦はそこへ手を伸ばす。
覗き窓に付けられていた蓋は指先で簡単に引き上げられるようになっており、幸彦は懐中電灯を持っていない右手で覗き窓の蓋を引き上げながら、扉の奥を覗き込む。
そこは当然のように漆黒の暗闇だと思っていた。
二階の扉からの明かりは当然のように地下まで続く階段の奥までは届かない。さらにその奥の金属の扉の奥に光などある訳が無い。
それではなぜ覗いたかと言われれば、幸彦の行動には理由は無かった。
さながら道ばたに落ちている小石を蹴るのに理由が無いように理由も意味も無い動き。
だからこそ、その覗き窓の奥に見えた小さな小さな明かりは幸彦の目を釘付けにした。
小さな光が暗闇の中に灯っていた。ゆらりと揺れるオレンジの光は左右に揺れていた。
驚きで幸彦の目が丸くなる。瞬きをしても消えることの無いその不思議な光に見入られていた幸彦は確認しようと左手に持っていた懐中電灯を覗き窓から部屋の中へと向ける。
暗闇の部屋の奥に明かりが一筋入り込む。
その光に驚いたように小さな明かりはスルスルすると部屋の奥へと動き出し、幸彦はそれを必死で懐中電灯で照らそうと向きを変える。
石畳がスポットライトの明かりに照らせるように映る中で、その光から逃れるようにオレンジの明かりは部屋の奥へ奥へと進み、そして消えた。
懐中電灯の明かりには、部屋の奥にある棚らしきものしか映らず、詳細は離れていてわからない。
……なんだ?
目をしばたかせる幸彦だったが、今のは見間違いではない。
なにか、光ってたぞ?
疑問に思いながら、覗き窓から手を離し、ポケットから鍵の束を取り出す。
かちゃん。
最初の一つ目で当たりの鍵を見つけ出した幸彦は南京錠と鎖を床において、扉に体重をかけるようにして押開く。
ご、ごぎぎぎぎ。
ほかのドアとは比べて遥かに重たい音をたてて、ゆっくりと扉が開く。
部屋の中は石で囲まれた簡素な小部屋だった。大きさは六畳ほどで、周囲には用途不明のがらくたが多く転がっていた。
懐中電灯で照らしながら、部屋の中を見渡していた幸彦は慎重に地下室へと足を踏み入れる。地下室の薄暗い中には音が無く、自分の胸の音がやけにうるさく感じられた。
懐中電灯をさっき明かりが消えていった方向へと向ける。
そこにはがらくたが山になっていた。そこに向かって、一歩。また一歩と足を進めていく。
先ほど明かりが消えたのは……この一角だったような?
そう思いながら、木の棚を見上げて、見下ろす。
先ほどの光が消えていったのは下の方だったように思い、幸彦はさらに腰を低くして、棚の下の段に目線を向ける。けれども特にこれと言って何もない。
さらに下を見ようと両手を地下室の地面につけて、視線をさらに下げる。
両手にはひんやりとした石の床の質感が伝わってくる。
そこで、幸久は先ほどとは違うが小さな光を見つけた。
先ほどの明かりはオレンジだったが、こちらは白い……けれどもしっかりとした光源を見つけて、幸彦は首をひねる。
……?
この時幸彦の頭にあるのは光があるということは外につながっているという可能性だった。だが光は上ではなく真横にのびている。
ここは地下だが山の中。掘り進めば斜面に出るかもしれない。だが不思議なのはそんな横道がなぜ必要なのかということだ。
ネズミとか、虫とかが入ってくる可能性だってある。雨だって入ってくるかもしれない。
懐中電灯を向けると、そこにあるのは枠だった。複雑な模様の入った銀色の枠。ともすれば額縁のようでもある。
その奥は石であるようだった。洞窟のようになっているその場所は四つん這いで進めば十分通ることが出来そうだった。
好奇心から幸彦はその洞窟へと腕と足を進めた。
四つん這いで移動するなんていつぶりのことか?
えっちらおっちら進んでいく。明かりはだんだんと強く大きくなってくるように思われた。
「やっぱり外か?」
ほのかに吹いてくる風は今までの地下の空気と違って、冷たく爽やかな感じがする。
距離にして五mほど進み、幸彦はようやく外に出た。
手が出て、這い出るように頭を出す。
そこには人がたくさん居た。ずいぶん遠くの位置に、ズラリと居た。
目が合う。目が見開かれ、相手の顔面は蒼白である。
「ぎゃぁあああああああ!!」
「うわぁああああああああ!!」
叫ばれて幸彦も思わず叫ぶ。地下室から顔を出して叫ばれれば、幸彦でなかろうとも、怯えるのは当然という物だ。
だが相手はそれ以上であったようで、集まっていた人々はちりぢりとなって一目散にどこかへ駆け出していく。
それを見送り、幸彦は何がなんだか、判らないまま目をしばたかせた。
それでも、いつまでも穴にはまっているわけには行かないと、体を動かして穴から這い出る。そこは予想通り森の中だったようだが……なんだか、変だった。
違和感を感じつつも周囲を見渡す。人の姿はどこにもない。
そ、そんなにクモの子を散らしたように逃げなくても良いのに。
それともあれか、顔か? 顔が悪いのか? いや、ちょっと待て、かなりショック。
無駄に狼狽し、自分の顔をぺたぺた触りながら立ち上がった幸彦の前に、不意に影が差す。
何だと目を向けると、目の前にきれいな女性が宙に浮いていた。綺麗な金髪が風に揺れ、真剣な眼差しが幸彦を見ていた。
「お、お静まりください。巨人様」
その姿は小さく、身長が二十センチほどしか無い。
小人だった。いや飛んでいるから妖精か。
……人間、驚き過ぎたときは声もでない物だと幸彦は初めて知った。