サンデー・モーニング
ちゅちゅんがちゅん。
早朝、鳥の鳴き声で目を覚ましたリリィは、ふと自分が全く見知らぬ場所に居る事に気がついた。
……そうだった、幸彦様のご自宅だった。
優しい巨人の事を思い出し、続けて思い出した飢餓の一件にリリィはハアとため息をこぼす。
加えて昨晩の事を思い出せば、それでもまたため息が出てきそうだった。
三十万人という数に対して、あの蜜の量では足りない。そう気がついて、気が遠くなったたのを彼女は覚えていた。
大丈夫大丈夫と返事をしながら、その先は良く覚えていない。
多分気絶してしまったのだろう。
おまけに夜中起きて、泣いているところまで見られてしまった……正しくは幸彦の気配りで泣き顔は見られていないのだけれど。
「こんな事では駄目だわ……でも、ああ、ほんと……」
呟く声がだんだんと小さく、自信のないものへと変わっていく。背中を丸めて、ハアともう一度吐き出すため息が重たい。
「どうすれば良いのかしら」
陰鬱とした気持ちが心の奥に滲み出てくる……それを振り払うかのように、リリィはベッドから立ち上がる。
何はともあれ、恩返しをしようと心に決めた。
周囲を見渡すと、大きな大きなベッドがある。そこには何かが入っているような丸まりが有り、幸彦が寝ているのだろうと予測した。
……あれ? でも、昨日はこちら側に寝ていなかったかしら?
昨日自分が覚えているところではベッドとは反対側に幸彦は寝ていたようにリリィは思った。
だが視線を向けた先には床しか無い。だが物が散らばっている床に無い空間が開けられており、何かが合った後が有る。
おそらくここに寝ていたのは間違いない。
まさか、自分を心配して横で寝ていてくれたのではないか?
はたとそう気がつき、リリィは幸彦のその気配りに感動した。
「泣いていたら、すぐ目を覚まして来られたし……気を掛けてくださってたんだわ」
そんな事実にも思い当たらず、さめざめ泣くばかりの自分を気遣ってくれた幸彦の気配りや、優しさがリリィの胸を打っていた。
リリィからすれば、幸彦は恩人であり、また迷惑をかけている相手でもある。人柄ともに優れた人格者でもあった。
本人に聞かせれば、過剰評価だと目を白黒させる事になるような評価をしていた。
なので、何はともあれ、恩返しをしなくてはらないというのは彼女に取っては優先すべき事柄の一つだった。
「そうよ。リリィ、なんにせよ。私は恩返しをする為にここに来たんだから」
ぐっと両手を握りしめ、気合いを入れたリリィはふわりと浮かび上がり、部屋の周囲を見渡した。
……幸彦様は部屋の整頓は苦手みたい。
昨日も感じた事柄を、再度思い浮かぶ。
もしかすれば巨人はそう言う性質なのかしら? とも思ったが、昨日幸彦は片付けている自分に対して、感謝して居たことを思いだす。
「片付けはしても良いけど……巨人の皆さんは何を食べるのかしら?」
思えば、花の蜜以外は食べない自分たちとは違い、巨人は別のものを食べる口ぶりだった。
オコメやぱん、ぱすたというのは何なのだろうと思う。おそらく食べ物だとは思う。
そもそも朝起きたときに食事はとるのかしら?
疑問には思いつつも、さすがに夜が明けたのに眠っているのは良くないと考えたリリィはフワフワとベッドの上に移動する。
体を横にして、すやすやと幸彦は良く寝ていた。穏やかな寝顔だ。
「幸彦さん。起きてください。朝ですよ」
布団の上に着地したリリィの声に幸彦はぴくりともしない。
……ぐっすり眠ってるみたい。
穏やかな顔つきで、すやすやと眠りについている幸彦の表情はとても幼く感じられた。
黒い髪に白くはない肌。日に焼けた肌の色ともまだ違うその色がリリィには少々不思議に見える。
「子供……なのかしら、幸彦様は」
布団の上をポスポスと歩きながら、寝ている巨人を観察してリリィは呟く。
巨人は巨人としてしか見ておらず、子供とか、大人であるなどは気にしていなかったリリィだったが、しげしげと見ているうちに疑問に思う。
さしもの巨人といえども、年月に影響を受けないという事はないだろう。そう考えると自分とこの巨人はどれくらい年が離れているかもわからない。
助けられた身としては敬う気持ちはもちろん有る。
むしろその気持ちで合ったから、無意識に年上だと思い込んでいた部分も合った。
けれども穏やかな寝顔を見ると、どうにも子供のように感じてしまわなくもない。
かといって自分が大人であるとかというと……それはそれでリリィとしては疑問に思う。
「私がお姉ちゃんだったら、どうしたら良いのかしら」
しばらく考えてリリィはどうしましょうと首を傾げる。
年長者としては模範となるべく、朝なので起こした方が良いかもしれない。
でも……とも思うのだ。昨日はすごく大変だったようだし、あんなに疲労困憊だったのがそんなに早く元気になるとは思えない。
年長者である事と従事者である事は別である。
寝かせておいた方が良いのかも……昨日はそこから迷惑も掛けてしまったし。
少し悩んでリリィはそう結論づけた。
そうね、おかたづけにしましょう。何はともあれ部屋がきれいになったら、喜んでくれるはずだわ。
しばらく、幸彦の寝顔を見つめていたリリィはふわりと中に浮かび上がって、昨晩と同じように片付けられそうなものを手に取ってせっせと集める。
ふわふわと漂うようにしながら二十分ほど働いていたときのことだ。
「姫!!」
不意に聞こえたその声にリリィが振り向くと、見慣れた鎧姿が複数人目に入る。
光を照り返すほどに磨かれた銀色のフルメイル。その右胸には伝説の鳥の羽を模した飾りが付けられている。それが床に六人は居た。
「騎士団? 貴方達、どうやってここまで?」
驚きで目を丸くしながら、灰色のシャツを抱えていたリリィは地面に着地して、そう訪ねる。
全身を鎧で固めた騎士達は見るからに物々しく、手には大きな槍が握られていた。
先頭に立っていた騎士達が顔を追っていたヘルメットの前を開く。
中には見知った顔もある。多くは王直続々の騎士団で、その中の一人……鎧の中で唯一ヘルメットが黄金に縁取られた上級騎士の格好をした兵士が一番に声を発した。
「ご無事でしたか!」
そう言ってヘルメット前を上げて出てきた顔をリリィは知っている。自分を城から村まで送ってくれた騎士の中で隊長だった人だ。
名前はイグリゴットと言ったはずだ。
それをどかすように一人の兵士が滑り込むようにリリィの前に現れる。
「ああ、姫様!」
勢い良くリリィの前にひざまずいたのはヘルメットの奥に小麦色の肌を持つ妖精の女性だった。安堵の表情を超えて、ちょっと涙目になっている。
ミルラは王族直属の騎士団所属の所属で、リリィは年が近い事もあり、友人のように思っていた。別れを告げずにこちらに来てしまったのを気にしていたうちの一人だ。
それに乱暴に手を取られながら、リリィは困惑した表情で目をしばたかせる。
「ええ、私は特には……それこそミルラ、貴方達は?」
「私どもは姫をお救いに参ったのです。もう安心ですよ、私どもがお守りしますからね」
……?
目が点になるリリィの様子に、騎士達はその体にケガがない事を確認して安堵していた。
「……ええっと、誰を助けに来たって誰をかしら?」
きょとんとした表情に、兵士達の一段は気の抜けたように肩を落とす。
「先ほども申し上げましたが、姫様を救いにきたのです。城へ戻りましょう」
手を握ったままのミルラの言葉に、リリィは全く状況を出来ていなかった。
「助けるとは言っても私は何も困っては……ああ、でも着替えは欲しいかも」
「何にせよ。城に戻りましょう。ここは危険です」
ミルラの言葉に、リリィは訝しむ。
「……何を言ってるのですか?」
その不信感の現れた声に騎士達は不思議そうな顔を浮かべる。ただ一人、その隊を率いている隊長だけは別として。
「何を……そう言っても巨人に見つかる前に姫様をお救いする為に参じたのです」
隊長の言葉をいまいち飲み込めず、リリィはしばらく固まっていたがハッとする。
それから眉根を寄せ、険しい顔で騎士達を、特に隊長である人物をにらむ。
「何を言うのですか! 私は望んでこの場にーー」
「んぁ? なんだ?」
不意に上の方から声がした。騎士団とリリィの前に大きな大きな陰がぬっと現れる。
それは寝ぼけ眼を擦る幸彦だった。
◆
「〜〜〜〜〜〜」
「〜〜〜〜〜〜」
何やら声が聞こえてきて、幸彦は寝ぼけた目を擦りながら体を起き上がらせた。
その顔は何ともだるそうで、締まりがない。
幸彦は寝ぼけた表情のままで上半身を起き上がらせて、妖精達を見下ろす。
なんか増えてる……というのが幸久がその時点で唯一持てる感想だった。
一人はリリィだ。ちょっと泣き虫な妖精の美人。
増えているのは妖精のようだが、なんだか鎧を着ていた。強そうだった。
見上げた妖精の兵士達の動きは速かった。
「散開!! 目を狙え!!」
五人が踏み込むようにして加速し、バラバラの方向へ飛んでいく。
その様子を上から見ていた幸彦は、半分も回っていない頭でそれが銀色の花火のようにも見えた。
……目を狙え?
少し回った幸彦の頭に言葉が届くと、同時に眼前に銀色のきらめきが迫る。
「ぃい!!」
幸彦は悲鳴を上げ顔をそらす、耳の端に羽音が響き、冷や汗で意識が覚醒する。
「な、なんぁ!!」
「せいいやぁあああ!!」
悲鳴を上げる幸彦に気合いの籠った怒声が迫る。
慌てた幸彦は手元に合った掛け布団を持って、何はともあれと立ち上がった。
素早く飛び回る兵隊は目に終えない。
布団を持って立ち上がった幸彦は無我夢中で布団を振り回す。
「ゆ、幸彦様! や、やめなさい貴方達!!」
リリィは悲鳴に近い声が聞こえる。
何がなんだかわからないと幸彦がリリィの方を向いた時だった。
兵士の一人がリリィの顔を棒のようなものでポカリと軽く叩いた。
そう強い動作ではなかったが、リリィは崩れ落ち、叩いた兵士は素早くその体を抱え上げる。
リリィが抱えられたのを見て、幸彦は声を上げた。
「何をやってるんだ! おいこら!!」
その怒声に兵士が頭を上げる。視線が交差し、睨みつけてくるその顔に幸彦は睨み返した。だが脇から飛んでくる銀色の矢のような勢いに幸彦は布団で遮る。
「戻れ!!」
リリィを肩に抱えた妖精の声に反応して銀の妖精達が流れるように移動する。
向かう先は……幸彦が夜中に回収してきた”あの額縁”だった。
先にリリィを抱えた兵隊が額縁を潜り、その後に兵達達が続く。
額縁の向こうへ吸込まれるように一人、二人、三人と妖精が消えて行く。
逃がしてはいけない!
幸彦が反射的に布団を巻き上げ、額縁を塞ぐように投げようと試みる。しかし一番遅れていた兵がそれを見て身を翻した。
「アンディ! 先に行けぇ!!」
最後尾から二番目の兵隊にそう告げて、幸彦の方へ飛び込んできた兵隊の思い切りの良さは驚きに値する。
「せええええいいいいぃぃぃぃぃぃ!!」
腹の底から響く怒声に幸彦の視線が釘付けに成る。
一直線に目を狙う。その動きに幸彦は投げようとしていた布団をぶん回して遮る。
それからその銀色に上からかぶさるように幸彦は布団で押さえる。
「ミルラ!!」
残っていた兵隊が叫ぶ。それを布団を押さえつけた姿勢で、幸彦が睨むと、ぱっと身を翻して額縁の奥へと消えていく。
「なんだってんだ、この!」
意味が分からなかった。空を飛んでいたから、あれは妖精だ。間違いない……。
畜生、誘拐か?
理解が出来ぬまま、幸彦は苛立ち、舌打ちをした。
唯一幸彦に判っている事と言えば、リリィが誘拐されて、それを見逃したということだけだった。