弟、兄に妖精が見えると聞かされる
裕には自分が弟であるということが意識の根底に強くあった。
双子というのは生まれてからの時間にそう、違いらしいものはない。
それは知識としても知っている。地方によっては先に生まれた方が弟になる場合もあるとも知っていた。
それくらい双子の間に時間的差はない。
けれども裕にとって、幸彦は兄であり、双子間の不思議な兄弟感よりも普通の……一歳、二歳程度離れた兄弟と同じ感覚を持っていた。
呆れる事もあるが、尊敬できる兄だ。裕はそう思っている。
「部屋に妖精が来てな、大変なんだ」
だから兄が本当に困ったという表情でそう話した時、裕の顔は青ざめていた。
裕は反射的に兄の頭がおかしくなったのだと思った。
思わず「大変な事になってるのは兄さんの頭だよ」と彼が思ったのを誰が責められるのか。
裕に取って、兄である幸彦は同じ頭が付いているのかと思うほどに感情で動く人間だ。
やれ喧嘩だ、遊びだ、スポーツだ。落ち着きという言葉を知らないがごとく、じっとしては居られない。
幼い頃から、そうした幸彦を見てた裕にしてみれば、自分と幸彦が違った人間であるのは当然で当たり前の事だった。
だからと言って、裕が幸彦の事を下に見ているという訳ではない。
幼い頃の運動が出来ない頭でっかちであった自分を助けてくれたのは、間違いなく兄である幸彦だった。
上級生にからかわれた自分の為に上級生の教室まで乗り込んで喧嘩をし、「弟が馬鹿にされたから当たり前だ」と職員室で堂々と言い放った兄はかっこ良かった。
それから上級生に目をつけられる事はピタリと止んだ。
裕はいまでも幼かった自分を責める気には成れなかった。
喧嘩をしてケガをしたらどうしよう、親に心配をかけたくないなどいろんな思惑が絡まって動け無くなっていた自分。
黙って嵐が通り過ぎるのを待っていた……そんな、かつての自分の考えを間違いだと言い切る事は未だに出来ない。
だが幸彦はそれを「悪いのはお前じゃない」と言い切り、あまつさえ「兄ちゃんに任せとけ」と引き受けた。
怯える自分を引っ張り上げてくれた。
そんな兄を裕は尊敬していた。
自分が助けられる事であれば、迷う事は無かったが……さすがに妖精が見えるとなれば大事である。
(ドラック? いや、兄さんがそんな物に手を出す当ても、お金もないはずだし)
裕の頭の中で様々な推察が浮かんでいく。
(統合失調症か? 可能性としたら、それくらいしか思い浮かばないけど)
脳内のホルモンバランスなどが崩れて幻覚症状などが現れる事があるという知識は持っているが、まさか兄に発祥するとは思っていなかった。
だが自分より元気な兄とて思春期だ。ちょっとした事で変調も起こるのかもしれない。
今日は土曜日……明日は様子を見て、月曜日に病院に連れて行くしかない。
そんな風に考えていた裕は警戒心を持たれないように勤めて優しい表情を浮かべながら、裕は頷く。
「それは大変だったね。そうだ、今日は僕の部屋で寝る? 布団を持ってきてあげるよ」
幸彦の性格はロケットのような物で、これと決めたときの動きはとても真似が出来ない。
正しいと思った事に疑いを持たない、躊躇わない。障害があれば正面から掴み掛かる。
自分と違い、根が素直なのだろうと裕は思っていた。多分……妖精もその思い込みの一つかもしれない。
思い込みであれば意外と病院に行けばすぐに治るかもしれない。
もし治らないようだったら、僕も覚悟を決めるしか無いか。
そんな事を弟が考えているとはつゆ知らず、裕の発言に幸彦はいやいやと手を振ってみせる。
「そんなのは良いから。部屋に来てくれ。相談に乗ってほしいんだ」
……ここで妖精を否定していいのかと裕は計りかねた。
逆上して暴れたりする危険もあるるのかもしれない、そんなことになれば大事になりかねない。
なにせ、精神的に、その病んでいる訳なのだし。暴れたら、自分では取り押さえが聞かない。
……妖精が僕には見えないという事にすれば良いか。うん。
「じゃあ、兄さんの部屋に行こうか」
「おお、さすがだ!」
嬉々として部屋を出る兄が部屋のドアを閉める。
裕はその閉じた扉を見つめ、眼鏡ごと手で顔を覆って大きくため息を吐き出した。