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夢の終わりは筋肉痛から

幸彦はまぶしく感じて、目を覚ます。視線の向こうには真っ赤に燃える西日が山の向こうへと沈んでいた。


目がくらむような赤い光に目を細めて幸彦は綺麗だなぁと惚ける。


しばらく見つめて、幸彦はガバリと起き上がった。


や、ヤバい寝てた。


起き上がった拍子で背筋と腹筋が激しく痛い。


あたたたた……もう、筋肉痛? こりゃ、明日が休みで良かったね。


しかし、もう夕方だ。携帯電話で時間を確認すると五時十三分……二時間近く寝ていたことになる。


目を手の甲で擦りながら思い出すに、蜂蜜をすべて妖精と小人にあげたところまでは覚えている。


「その後は、寝たか……小人の人たちは帰ったみたいだな」


うっすらと暗くなり始めた周囲を見渡して、幸彦は満足そうに頷いた。


何はともあれ。これでぜんぶ、上手くいったに違いない。あたたたた、首も痛い。


幸彦はこっそりと地下室に続く穴へと近づく。


さらば、妖精の国……もう来ることも無いに違いない。


ちょっとだけ格好をつけて、一人で何やってるんだと顔を赤くしながら、幸彦は穴の中へと進む。


真っ暗な地下通路は相変わらず真っ暗なままで、そこから出た地下室の匂いも据えた匂いのままだった。


先ほどまでの外の様子が嘘のようだ。


まあ、それを言ってしまえば妖精だとか、小人だとかそんなのも嘘のように思える。


まあ、何にせよ……ちょっと不思議な話だ。と幸彦は振り返ること無く、地下室の扉を苦労して開く。

そして全身の筋肉の悲鳴を聞きながら階段を上った。


帰ったら風呂に入って、鍵を返したら……寝よう。そうしよう。


そして、開いている窓から吹いてくる風を感じて幸彦は絶望した。


ああ、この家の窓は全部開いている。窓を開けて空気の入れ替えをした幸彦は自分のやったことを激しく後悔する。


泣きそう……いや、こんなもんすぐさ。


ブリキのおもちゃみたいな動きしか出来ない体で、ひいひい言いながら、すべての窓を閉めると、夕日はもう沈むところだった。


リュックを背負い、最後の鍵閉めをして自転車にまたがる。


リストとデジカメなどは帰りにお隣の家のポストに入れておけば良い。

調べにいくのは土曜か、日曜で良いと言われていたのも助かる。明日終わったことを連絡すれば良いので、気も楽だ。


四十分ほど掛けて、洋館から国道へ抜ける道を進むと辺りはすっかり暗くなっていた。


ライトを付けて、自転車で山を下っていく。もう坂道でわざわざ加速するような無謀なまねはしない。というか金輪際したくない。


サドルとハンドルから伝わってくる振動を感じながら、山を降りる。


その惰性で家まで行けるはずも無く、悲鳴をあげる太ももを動かして、どうにか家にたどり着く。


時間は七時近くになっていて、吹いている風がものすごく冷たい。


「やっと帰ってきた」


吉崎と表札のかかった二階建ての一軒家。生まれは病院だが、育ちはずっとこの家……古ぼけた我が家にやっと帰ってきたと思いながら、幸彦は慣れた手つきで自転車を玄関前に止める。


「う、ううー。さむぃ」


愛車に鍵を掛け、幸彦はかじかんだ手を擦り合わせながら玄関の扉を開ける。


そこには怒り肩の母親が立っていた。


名前を吉崎 花子。目つきの鋭さ以外は幸彦によく似た彼女の年は五十手前。


体系は菱形に近づきつつある母親の姿と、その眼光の鋭さに幸彦は頬を引きつらせた。


「あんたぁ!」


「はいぃ」


反射的に返事をし、直立不動の姿勢を取る幸彦に母親は鼻息荒く怒声をあげる。


「こんな時間まで何やってたの!?」


「い、いやぁ。あれだよ。あれ」


「なに!?」


「昨日話したじゃない? バイトで、おとなりの」


「こんな時間までかかるとは聞いてないわ! 三時前には帰るって言ってたでしょ!?」


そう言えばそんなことも言った気がするなと幸彦は思った。


昨日の晩ご飯のタイミングで、手伝いの話と、お昼は要らないと伝えたような気がする。


そのときに帰りの時刻も適当に言っておいたような……気がしないでもない。


「いやぁ。山の中で寝ちゃってね。ほら、疲れちゃって」


「まあ! あんたって子はほんと、なんだってこんな……ってすごい汚れ! あんた、何したの!」


目を剥く母親に、幸彦はそんなにおかしいところがあるのかと、自分の格好を玄関に置いてある姿見鏡に映してみる。


しかし母親の言うことはもっともで、両肩とズボンは土ぼこり。膝なんかは特にひどく、ズボンの袖は草の汁と泥でぐじゃぐじゃ。特に靴は原型がよくわからないくらいに汚い。


顔のほうもいつの間にやらケガをしている。


「あ、あんたって子は! いつまで経っても子供なんだから!」


呆れた様子をプラスして、上着を脱がそうとしてくる母親に幸彦は悲鳴に近い声を上げる。


「や、止めて! 脱ぐから、言われれば自分で脱ぐから」


「さっさと脱いで、お風呂場に行きなさい! ほら、早く」


やいのやいのと騒いでいる声に、家の奥から顔を出す人影があった。


「もう、玄関で騒ぎ過ぎだよ。ご近所迷惑になる」


そう言って騒ぐ二人をいさめたのは幸彦の双子の弟である裕だった。


幸彦より身長は若干低く、線も細い。

比較的長めに伸ばされた髪と細い眼鏡が合わさり、シャープな印象がある。

よくよく見れば幸彦に良く似てはいたが、雰囲気はまるで違っていた。


どこか能天気な印象を与える幸彦と違って、静かな印象を与える裕の顔は同級生の間では評判が高かった。特に女子の。


「ほら、母さんも僕らだって幼稚園生じゃないんだから。止めなよ」


あきれ顔を浮かべた裕は無理矢理に、服をはぎ取ろうとしていた母親にそう言う。


母親は不満そうな顔をしながら、「さっさとお風呂に入りなさい」と言って台所へと引っ込んでいく。


後に残された幸彦は助かったとばかりに笑顔を弟に向ける。


「ありがと、母さんの強引さはあれだな。押し売りだな」


幸彦の軽口に裕は苦笑いを浮かべながら、「でも」と前置きして口を開く。


「心配していたのは本当なんだから。山登りで自転車で行ったから心配してたんだよ、母さん」


「……はっはっは。いやいや、これが結果としては成功だったんだ」


一瞬、朝の山登りのキツさを思い出し、固まる幸彦だったが、その後の妖精騒動を思い出して胸を張ってみせる。


「まあ、そうだよね。母さんは猛スピードで山を下って怪我してるかもなんて言ってて」


ぎくっ。


「僕が山の麓で自転車を止めたんだって言っても聞かなくてさ。そんな危ないことする分けないのに」


そう言って笑う裕はふと気がついた様子で兄の薄汚れた様子を見て、目をしばたかせて、まさかという表情を浮かべた。


双子なので、その辺の機微を察することの出来る幸彦は曖昧な笑みを浮かべ、裕はそれで何かを察して呆れる。


「まあ、……ほっぺた消毒しときなよ」


「あ、あははははは。まあ、ほら、そう言うこともある」


「偶発的ではないのに、その口ぶりはどうかと思うけどね」


呆れた様子で裕はそう言って肩をすくめて、母親と同じく台所に戻る為に振り返る。


「早くお風呂に入っておいでよ。ご飯待ってるんだから」


そう言って台所へと引っ込んでいく裕の言葉に、幸彦は慌てた様子で靴を脱いで玄関に上がる。


「まじか。そりゃ急がないと……っと、着替え、着替え」


飯を待たせていると知っては、ゆっくりとはしてられないと風呂場に向かおうとした幸彦は着替えを取りに、二階の自室へ続く階段へときびすを返す。


だが階段が辛い。いっそ汗をかいていなかったなら、このままの下着でも良いかと思うくらいには筋肉が痛かった。


う、へぇ。


二階には幸彦と裕の二人の部屋しかない。自分の5畳半の部屋を開いた幸彦は自分の部屋の電気スッチへと手を伸ばす。


光に照らされて映し出された自分の部屋の乱雑さにゲンナリとしながら、背中に背負っていたリュックを適当に置く。


「やれやれ。さてさて」


意味の無いつぶやきとタンスからパンツとシャツ、学習机の椅子に引っ掛けてあったパジャマを持つと、筋肉に負担をかけないようになるべく急いで部屋を出て行った。


扉を閉める軽い音の後に、消し忘れた部屋の明かりが灯っている。


誰もいない部屋は静寂そのものである。布団の上の掛け布団はめくれ上がり、下に敷かれているシーツは皺がより、枕元に積み上げられた本は哀愁さえ感じさせる。


若干斜めになっている映画のポスター、脱ぎ散らかっている洋服達。


汚いというより、散らかったその部屋で先ほど置かれたリュックサックがモゾモゾと動き出した。

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