第1話 第七騎士団
アルバヌス王都の東区画、軍務庁舎の裏手に広がる演習場は、朝の霧をまだ抱えていた。石畳は夜露で濡れ、並べられた木剣と革盾が淡く光る。
その前に、若い訓練生たちが整列していた。緊張で肩が上がり、視線は落ち着かず、しかし背筋だけは必死に伸ばしている。
——採用試験の日。
俺は演習場の端に立ち、列全体を眺めた。人数は三十七。年齢層は幅がある。十六の少年もいれば、傭兵上がりらしい二十代後半もいる。武具の扱いに慣れた者も、握り方から怪しい者も混ざっていた。
「整列を保て。口は閉じろ。呼吸は静かに」
自然に声が出る。怒鳴らない。威圧も不要だ。届く音量で、必要なだけ言えばいい。
俺の肩書きは、アルバヌス王国軍第七騎士団副団長、クロス。
採用試験の監督官の一人——そして、採用後の基礎教育を受け持つことも多い。
訓練生たちの視線が集まる。自分でも分かる。副団長という肩書きは、まだ彼らには重い。だが軍は肩書きを重く扱う。重く扱うからこそ、統制が保てる。
演習場の反対側から足音が近づいた。革靴ではない。軍靴だ。硬い、均一な響き。
現れたのは、第七騎士団団長ディグニスだった。
「クロス。状況は?」
「予定通りです。訓練生三十七名。体調不良、遅刻なし」
「よし。……では始めよう」
ディグニスが一歩前に出ると、訓練生の背筋がさらに硬くなる。団長は軽く咳払いし、短く告げた。
「本日、貴様らはアルバヌス王国軍への採用試験を受ける。合否は能力だけで決まるわけではない。規律、協調、判断、そして覚悟だ。命令に従え。勝手な英雄はいらん」
言い切って、団長は俺に視線を投げる。
——後は任せた、という合図だ。
俺は頷き、訓練生たちへ向き直った。
「試験は三部構成だ。第一に身体能力と基礎体術。第二に武具の扱い。第三に集団行動と簡易戦術。
だが、その前に——説明をする。軍に入る以上、自分が何を背負うか知らずに剣を握るな」
何人かが唾を飲み込んだ。
俺は演習場の端、掲示板の前に歩き、そこに掛けられた王国紋章を指した。
「アルバヌス王国は建国から三百年。最初の百年は諸侯が割れ、内乱が続いた。二百年前、初代国王が軍制を整え、騎士団制が成立した。
当初の目的は“王都を守る剣”を一つの指揮系統にまとめること。つまり、個々の英雄を束ね、戦争を“組織”で勝つためだ」
訓練生の中に、眉を寄せる者がいる。英雄譚を聞きに来た目だ。
俺は淡々と続ける。
「英雄は必要だ。だが英雄は、いつか死ぬ。英雄が死んだ瞬間に崩れる軍は、軍ではない。
アルバヌス王国軍が重んじるのは“個の強さ”ではなく、“継続する強さ”だ」
そう言うと、列の端の青年が恐る恐る手を上げた。
「し、質問、よろしいでしょうか」
「許可する。名を言え」
「……ベルトルと申します。ええと、その……第一騎士団の方々は、英雄に近いと聞きます。組織より個が強いのでは……」
悪くない質問だ。
俺は少しだけ口角を上げた。笑いではない。評価の合図だ。
「第一騎士団は例外に見える。だが“例外に見えるように設計されている”だけだ。
では説明する。アルバヌス王国軍、第一騎士団から第八騎士団まで——役割と気質を」
訓練生たちの目が一斉にこちらへ集まる。
興味を引くのは簡単だ。だが興味だけで終わらせない。
「第一騎士団。王直属の精鋭。王都防衛と戦局を決める切り札。
戦場に出れば空気が変わる。……そして、第一には“象徴”がいる。人類最強と呼ばれる男——アーク副団長だ」
名前を出した瞬間、ざわめきが走った。
噂は王都の井戸端より早い。訓練生の耳にも届いている。
「第二騎士団。正面会戦の主力。大規模戦で最も槍が並ぶ。統率が命で、命令違反は即脱落。
第三騎士団。機動と追撃、奇襲迎撃。平地と街道の戦いに強い。足の遅い者はまず残れない」
俺は掲示板の簡易地図を指し、街道の線をなぞった。
「第四騎士団。補給線と後方治安。地味だが、ここが崩れれば前線は餓える。
第五騎士団。対魔術・結界運用・工兵。砦を築き、壊し、守る。魔王軍の術に対抗する盾だ。
第六騎士団。辺境駐屯と連絡、外交警護。戦だけでなく、争いを起こさせない仕事も担う」
訓練生たちは、思っていたより“戦場以外”が大きいことに気づき始める。
軍は斬り合いだけで回らない。
「そして第七騎士団。穴埋めと調整。前線にも後方にも顔を出し、崩れかけた戦線を繋ぎ、足りない部隊を補う。
派手さはない。だが、第七が欠ければ全体が歪む」
俺は自分の胸の騎士章を軽く叩いた。
視線がそこへ吸い寄せられる。
「最後に第八騎士団。——新設部隊だ。近年の戦の変化に対応するために生まれた。
役目は“情報”。偵察、伝令、記録、分析。戦場で勝つ前に、戦場を理解して勝つ」
訓練生たちの中に、驚いた表情が増える。
“剣の軍隊”だと思っていた者ほど、情報の価値に戸惑う。
「第八はまだ若い騎士団だが、軽んじるな。無駄死にを減らすのは、勇気ではなく情報だ」
俺はそこで言葉を切り、整列を見渡した。
この説明の間、誰一人として勝手に動かなかった者は——十名ほど。
残りは微細に足を崩し、隣と目配せし、落ち着きがない。合否の参考には十分だ。
「さて、ここまでで理解した者は?」
誰も手を挙げない。
正直だ。それでいい。
「理解は後でいい。だが、覚えておけ。
王国軍は“正しさ”で動かない。“手順”で動く。手順を守れる者だけが、仲間を生かせる」
そう言い、俺は木剣を一本手に取った。軽い。だが軽さは油断を生む。
「第一試験。体術。指示通りに動け。勝手な工夫は不要だ。
列を五列に分けろ。番号を振る。遅い者は今ここで落ちる」
訓練生たちが慌てて動きかけ、止まる。誰が指揮を取るべきか分からない顔だ。
俺はため息もつかず、指先で一人を示した。
「ベルトル。お前が先頭だ。号令を出せ」
「は、はい!」
青年が声を張り上げ、列が動き始める。少し乱れるが、及第点だ。
——命令を待てる者と、勝手に動く者が混ざる。軍の縮図。
体術は単純な反復で構成した。走る、跳ぶ、伏せる、起きる、運ぶ。
途中で息が上がり、膝に手をつく者が出る。だがそれを嘲笑する者はいない。嘲笑する余裕は、仕事に使え。
次に武具。木剣と盾で基礎の型。
俺は最前列に立ち、振り下ろし、受け、払い、踏み込みを示した。
「型は恥ではない。型を笑う者は、戦場で死ぬ」
訓練生の一人が、見栄で強く振りすぎ、手首を痛めて顔を歪めた。
俺は即座に近づき、木剣を取り上げる。
「名」
「……カイルです」
「カイル。お前は腕で振った。肩で振れ。腰で支えろ。剣は力比べじゃない。
——ディグニス団長。カイル、軽傷。第二試験は継続可能です」
団長は無言で頷いた。
こういう小さな管理が、戦場では仲間を一人増やす。
第三試験は簡易戦術。
訓練生たちを四班に分け、旗を奪い合う。だが条件を付けた。
「敵を倒しても得点は増えない。旗を守れ。仲間を運べ。撤退線を維持しろ。
勝手に突っ込んで旗を空けた班は、全員不合格だ」
訓練生たちの顔が強張る。
“強い者が勝つ”と思い込んでいる目が、少しずつ“守る”へ変わっていく。
開始の合図。
最初に動いたのは、意外にも小柄な少女だった。彼女は正面から走らず、横の死角を使い、地形を読む。
逆に、剣自慢の青年は真っ直ぐ突っ込んで、班の背後を空けた。
「止まれ。今の判断の理由を言え」
俺が青年を止めると、彼は唇を噛んだ。
「……強襲すれば勝てると思った」
「勝てる“かもしれない”では、部隊は動かせない。勝つなら、確実に勝て」
俺は演習場の地面に短く線を引いた。
「戦線は線だ。一本抜ければ穴が開く。穴は広がる。広がった穴は、死に繋がる。
軍の仕事は勝つことじゃない。勝つために“崩れないこと”だ」
訓練生の目が、少しだけ変わる。
“戦う”から、“支える”へ。
この変化が起きる者だけが、騎士団に残る。
昼を過ぎ、試験が終わった。
訓練生たちは汗と土にまみれ、立っているだけで精一杯の者もいる。それでも誰も勝手に座らない。
——最後まで規律を守れた者は、思ったより多い。
ディグニス団長が前へ出た。
「結果は明日、軍務庁舎に掲示する。帰る前に言っておく。
軍は、貴様らの夢を叶える場所ではない。貴様らを削り、使い、守る場所だ。
それでも来るなら来い」
訓練生たちは一斉に礼をした。
帰っていく背中を見ながら、俺は木剣を棚へ戻す。
今日の試験で、何人が残るか。
残った者が、何年後にどれだけ生きているか。
それは、俺の仕事の一部だ。
——俺はこの国の軍人だ。
表向きは。
演習場の端に立つと、遠く王都の中心にある白い塔が見えた。軍の象徴。秩序の象徴。
そのさらに先、第一騎士団の訓練場から、かすかな剣圧が空気を揺らしてくる。
人類最強。アーク。
いずれ、俺はあの男へ辿り着く。
だが今は、急がない。焦らない。
まずはこの軍を知り、動かし、内側に根を張る。
採用試験は、その第一歩にすぎない。
俺は息を整え、ディグニス団長へ向き直った。
「団長。明日の掲示後、合格者の初期配属は予定通り第七へ。基礎教育は私が担当します」
「頼む。……クロス、お前は軍をよく見ている」
「職務です」
団長は短く笑い、背を向けた。
演習場に残ったのは、乾きかけた足跡と、整列していた場所の薄い跡だけ。
規律は形として残る。
そして、形は人を縛り、守り、時に——壊す。
俺はその形の中で、忠実な副団長を演じ続ける。
目的は簡潔だ。
ただ、それを口にする日はまだ遠い。
人類最強を倒すために。




