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第1話 呼ばれる夢

その日、ぼくはまたあの声を聞いた。

 眠りの底で、やさしく、でも逃げられないほど強く響く声。


『──来て』


 まぶたの裏に、緑に覆われた小高い丘が浮かぶ。

 それが古墳だと、なぜだか分かっていた。草の匂い、苔の湿り、土の冷たさ。丘の内側に、目には見えない“階段”がうねるように潜っていて、最下段には渦巻き模様の刻まれた石の扉。そこから薄い光が漏れている。


『十二のうちに。扉が、開く。』


 ぼくはそこで目を覚ました。心臓だけがバクバクしている。枕元の時計は午前五時二十四分、早すぎる朝。窓の外で、まだ黒い空がわずかに白んでいく。


 名前は


霧島



きりしま





そう



。十二歳、小学六年。奈良県


穂坂



ほさか



市。家から自転車で十五分の場所に、円丘古墳がある。社会科見学で何度も行って、正直、ただの丸い丘としか思っていなかった。


 なのに、あの夢。三日前から、連続で見ている。


 登校したら、廊下で


早坂



はやさか





りつ



が腕を掴んだ。


「おい霧島、聞け。お前も、見たろ?」


「……古墳の夢?」


「やっぱりか!」


 教室に入ると、ざわざわがいつもと違った。クラスの三分の一は、目が合うと“例のやつ?”って顔をする。担任の


神崎



かんざき



先生がホームルームを始める前に、黒板にチョークででかでかと書いた。


【夢の話、あとでまとめて提出】


 先生は冗談を言うタイプじゃない。けれど今日は、自分の手が少し震えているのが分かった。きっと先生も、見たのだ。


 昼休み、校庭の隅に学年主任と市の教育委員会の人、それに見慣れないスーツの大人が三人。写真を撮ったり、電話をしたり、忙しそうだ。噂は一気に広がる。


「全国の子供が、同じ夢を見てるらしいぞ」


「ニュースにも出たって」


 放課後、家に帰るとテレビは特番を組んでいた。《各地の古墳に“呼ばれる”子供たち》のテロップ。インタビューに答えるのは、ぼくらと同じくらいの年齢の子ばかりだ。


『声がして。古墳の下に階段が見えたんです』


『扉に模様があって、光ってました』


 みんな、同じことを話している。違うのは、丘の形とか、見える木や空の色くらいだ。


 母さんはリモコンを握りしめたまま、つぶやいた。


「……怖くはないの?」


「怖い、っていうより……行かなきゃ、って感じ」


「行く必要はないのよ、蒼。夢は夢」


 父さんは黙っていた。仕事から早く帰ってきたのは珍しい。ニュースの端っこに“穂坂円丘古墳、封鎖検討”の字幕が出た。



 三日後の土曜。古墳は本当に封鎖された。黄色いテープ、警察、報道人でごった返す斜面。だけど、テープのすぐ外側には親に手を引かれた子供が、数えきれないほど集まっている。ぼくもその一人だ。


「蒼、見てるだけよ。近づかない」


 母さんの声は固い。ぼくはうなずいた。だけど耳の奥で、あの声がまたした。


『──ここだよ』


 そのとき、低いうなりのような音が地面の底から上がってきた。テレビ局のアナウンサーが早口になる。


「ただいま現地で異変です。古墳の斜面中央、地表が──」


 草に覆われた地面が、音もなく沈んだ。土が崩れたのではない。まるで“開いた”。楕円形の闇。穴、というには滑らかすぎる、黒い門。門の縁には、夢で見た渦巻きの模様が刻まれていた。


 ざわめきが悲鳴に変わる。だが門は静かだ。冷たい風が、向こうからこちらへ、ゆっくりと流れてくる。


 白い防護服を着た大人たちが近づく。ロープ、測定機器、ライト。先頭の隊員が一歩、門に足を踏み入れ──弾かれた。足首から先が見えない壁にぶつかったみたいに、すべって、尻もちをつく。


「なんだ今の」「入れない?」


 次の人も、その次の人も同じだった。押しても、叩いても、突っ込んでも、門は大人を受け入れない。見えない壁がある――それだけは、誰の目にもはっきりした。


 すると、群衆の中から、小さな男の子がふらりと前に出た。母親が制止する間もなく、子は門へ歩く。黒い縁の前で小さな手を伸ばし、すっと中へ。


 通った。


 子供は三歩だけ進み、ふり返った。門のこちらと向こうの境は、黒い水面みたいにゆれている。母親が叫ぶ。子は慌てて戻ってきて、無事に抱きしめられた。


「中は……暗かった」


 その言葉で、空気が変わった。大人たちは顔を見合わせ、電話が一斉に鳴り始める。


 律がぼくの横で、唾を飲み込んだ。


「なあ蒼、気づいてるか。子供だけ、入れる」


 分かっていた。ぼくの手のひらが汗ばむ。耳の奥の声は、もうはっきりと言葉になっている。


『十二のうちに。君たちで。』


 気づけば、ぼくは一歩、前に出ていた。母さんが腕を掴んだ。


「ダメ!」


 ぼくは母さんの手を外したいわけじゃなかった。ただ、確かめたかった。夢が嘘じゃないなら、ぼくは“呼ばれている”のか。


 門の縁まで歩く。黒い面が、鏡みたいにぼくの顔をゆがめた。冷たい。深い。けれど、怖さよりも懐かしさみたいなものが胸を満たす。


 右手を伸ばす。

 空気の感触が、ふっと変わった。


 ——指先が、消えた。


 痛みはない。ただ、向こう側の空気に触れたのだと、体が理解する。鳥肌が立つ。ぼくは一息に、手首まで入れてみた。手のひらが、見えない段差の縁に触れる。そこに、階段がある。夢で見た、あの階段が。


『蒼』


 門の向こうから、声がした。はっきりと、ぼくの名前を呼んだ。女の子の声。静かで、泣き出しそうで、でも強い声。


 振り返ると、神崎先生がそこにいた。ぼくと門の間に、先生の腕が伸びる。けれど先生の手は、黒い面に触れた瞬間、止まった。ガラスに当たったみたいに、そこから先へ進めない。


 先生はぼくを見た。目の奥で、いろんな感情がぶつかっている。恐れ、困惑、責任、そして、少しの安堵。


「……霧島。今は、戻ってきなさい」


 ぼくはうなずいた。ゆっくり手を戻す。黒い面から抜けた瞬間、空気が重くなる。音が戻る。ざわめき、泣き声、叫び、カメラのシャッター。母さんが駆けてきて、ぼくを抱きしめた。


 遠くで誰かが叫んだ。


「政府が来るぞ! 自衛隊だ!」


 サイレンが鳴る。空にヘリの影。門は相変わらず静かで、黒く、冷たく、ただそこにある。


 ぼくはもう一度だけ、門を見た。

 向こう側の闇は、ぼくが知っている暗さじゃない。怖がらせるための暗さじゃない。待っている暗さだ。


 耳の奥で、声がささやく。


『君たちで、来て』


 ——そして、目を開けた。

 気づくと、ぼくは自分のベッドにいた。夜だった。いつの間にか、家に連れ帰られていたらしい。スマホには律からのメッセが山ほど。


《見たかニュース! 国が調査隊作るって。子供だけの。やる気あるか?》


 心臓が跳ねた。

 窓の外、夏の夜の風。遠くで雷が鳴った気がした。


 ぼくは、迷わず返信した。


《行く。行かなきゃいけない気がする》


 送信した瞬間、部屋の灯りが一瞬だけ、ふっと弱まった。停電ではない。たぶん気のせい。けれど、ぼくは分かっていた。


 扉は、もう開いている。


 そして、これは夢じゃない。

 世界が、ゆっくりと変わり始めている。

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