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1 春

バンド[Alexandros]のボーカル川上洋平は代表曲「ワタリドリ」についてこう語っている。

『これって日常生活にも言えると思うんだよね。人を楽しませたい、笑わせたい、とかに理由なんて無いしね。その人が「落ち込んでいるから」というのは理由だけど、じゃあその奥の「何で落ち込んでたら励ますの?」ってのには答えがないし説明できないよね。というのも誰かが悲しんでたら笑わせたいとか落ち込んでたら励ましたいと思うのは誰しも思うはずだけど。』

私はこのエピソードを聞いていつも自分の体裁を守っている。

この鬱屈な職に就けばあなたもわかるだろう。なにか気分を晴らすというか、とにかく明るい話題を聞いていないと頭に時限爆弾を埋められたような気持が心にしみわたる。

職業上いろいろな人と接することは大いにあるが、正直に言うと私はあまり人の気持ちに寄り添うことができない。平たく言うと「冷たい」のだ。自分でもそんなことよくわかっているし、友人や家族にもよく相談する話題の一つだ。しかし職業柄を理由にみんながみんな「やっぱり国家公務員もそんな感じなんだねー」と一蹴されてしまう。もともと話下手な自分だからうまく自分の悩みを相談したりすることができないのも要因の一つであるとは思う。

私の日常生活は普通の人の日常生活と比較してほしくない。というか同じものと思ってほしくないのだ。ただ会社に行って、上司に媚を打って、家に帰ってネットサーフィンをする。そんな堕落した生活が私の日常生活と同じものとは思ってほしくないし、思ってもいない。だからこそ自分が「冷たい」ことに対する意識は人一倍に敏感だし、どう改善しようかも誰よりも考えている。けれどわからないものをわかれといわれても無理なのだ。半ば諦め気味と言われても過言ではない。

そんななか一端のバンドマンが「人にどう接するかに理由なんてないし、誰も説明できない」なんて言われたら余計私の体から空気が抜けてしまう。しかも普通の人よりもリリックを綴る中で人の気持ちや出来事、それに対する感想などをうまく織り交ぜるのが日常と化していても過言ではないバンドマンが言っていることなのだ。これはもう拍手喝采である。特に私はこのバンドの推しというわけでもないし、川上洋平に対して畏敬の念を抱いているわけではない。それでも私よりも「上」のひとが人の気持ちを理解することに理由なんてないというのはまったくもってわけが違うのだ。

それでも人が悲しんでいたり、落ち込んでいたりしたら励ましたいというのが普通の考え方なのかと知るとやはりまだ私は人の気持ちを理解できていないと落ち込んでしまう。こんな時に誰かが理由なく励ましてくれたら私はこんな抜け殻にはなっていなかったとは思ってしまう。すべての原因ははっきり言って私なのだろう。

なぜこの職に就いたかとよく理由を聞かれる。あるものが言うにはこの職は「危ない仕事」でありあるものにとっては「働きがいがありそうな仕事」だという。この「あるもの」というのは私の友人であり、もったいぶった言い方ではあるが実際には同一人物である。じゃあなんで「危ないけど、働きがいがありそうな仕事」に私は就いているのか。むろんそんな仕事をこなす人間は立派だ。働きがいがあるならそれより良いものはない。しかしその職を背負っているのはほかでもない私だ。正直に言って向いているとは思わない。いくら今の日本の人口が全盛期の半数になっているとはいえ、初等科教育や訓練も受けずに現場に放り出されるのは別の話だ。いくら私でもせめて本来と同様に初等科教育を受けて、訓練や下積みも経てここまでたどり着いたのならまだ国家公務員として働いていただろう。

それもすべてはこの国の花となっている制度が悪い。

2053年、日本人口は約四半世紀前に推定していたものとは比較できないほど減少の一途をたどった。2020年には1億2600万人はいた人口も、2041年に起きた第二次世界恐慌によりGDP7位だった超大国日本もその称号はただのお飾りとなってしまった。年間自殺者は2020年以前で最も多かった2003年の34427人を大きく上回り100819人となった。この数字は余計日本の衰退の皮切りとなった。なぜここまで落ちぶれたかというのは100819人の内訳をみるとわかる。2000年代、自殺者の多くは自分の健康状態に疲れた50,60代の男が多かった。その当時の自殺の要因の中で、60代の男のランキング一位は健康で、要因全体の56.6%をしめる。しかし2041年自殺者ランキングで多かったのは家庭を築いていた30代、しかも女だったのだ。原因は子供の扶養。共働きが主流となり専業主婦という言葉も死語になったころ多くの女は成人の男と同じく朝から残業までして20時くらいに帰宅していた。

さらに深刻だったのは「一億総生産プロジェクト」の失敗だった。当時男は会社終わりに同僚たちと飲み屋で酒を飲みそのまま帰って寝るというスタイルだった。これは2000年代とさほど変わっていない。しかし女は違った。会社終わりに同僚と酒を飲んだり終電で帰ったりせず、家へすぐに帰り子供のごはんなど家事全般をこなしたのだ。しかし男といえばなにもせずにただ家に帰って寝るだけ。女のストレスは日に日に増していき、その解消方法は最も女に近い存在だった。子供である。気持ちの悪いことに旦那へは媚びを売るのに子供へは体罰というよりもご飯を用意しなかったり、お風呂に入らせなかったりなど子供でも分かるような接し方の違いが余計子供への圧となった。男女平等が叫ばれていた当時、たしかに女の地位は向上した。しかし多くの家庭では女の地位が上がるとともに男の地位も跳ね上がっていき、その差はどんどん広がっていってしまった。

そこで当時の政権は2040年に「一億総生産プロジェクト」なるものを打ち出したのだ。様々な場面で格差が広がっている昨今、すべての人が同じように働き、同じように養われることによって実質的な男女格差を減らすことにつながり、日本人口の減少の歯止めとなるとまで言われた大きなプロジェクトだった。この内容という内容が驚きのものだった。まず政府は日雇いやアルバイト、タイミーのような不安定な収入源となる職を禁止し、全員正社員への切り替えがされた。そのプロジェクトが始まる前、多くの女は世帯収入を増やすためにアルバイトとして近所のスーパーで働いたりしていた。それだけでも十分生活できていたのだ。

しかし2038年、最低賃金が2000円まで跳ね上がった。多くの家庭は喜び、より豊かな生活ができると喜んだ。しかし経済はそんなに甘くなかった。多くの会社は正社員のリストラを積極的にやるようになり、アルバイトの解雇も相次いだ。正直私はここから日本の小さな恐慌は起きていたのだと確信している。もともとこんなバカげたことをしていなければ今の私はもっとのうのうとできていたはずだ。ただ一人の女に縋りながら生活をしていればよかったのだ。

話を戻そう。正社員もアルバイトも減ったことで日本のGDPはぐんと減ってしまった。これをさすがに見過ごすことはできなかった政府はその「一億総生産プロジェクト」をうちたてた。こうなると今までのようにはやっていけなくなる。正社員として誰もが働くことになったのだ。私もその一人だった。そして私の「恩人」はこのプロジェクトの犠牲となった。

ずっとだぼだぼの服を着ながら家で彼女とゲームをしていた生活も終わりを告げた。しかし彼女は政府に対して反発した。彼女は当時人気の絶頂だったミュージシャンなのだ。私もそれに少なくともかかわっていてだからこそごろごろしながら生活をしてきたのだ。そんな相棒ともいえる彼女がどんどん風変りしていく姿は美しく怖かった。温厚でいつも私の話を笑いながら聞いてくれた彼女が笑顔一つも見せなくなり、曲の制作はしなくなった。SNSで政府への批判の文言を書き連ね、たびたび何か琴線に触れたように私を殴りつけてくることもあった。私は嫌がることも、やり返すこともなくただ彼女の拳を受け続けた。

そんな生活が3か月も続いただろうか。強制的に配属された会社からは会社に来いとのメールが毎日のようにくる。曲も作れないせいで収入源なんてないわけだから彼女はみるみるやせ細っていった。うつ病を患っていたのだろう。しかし外に出るとプロジェクトの反発者として機関まで連れていかれてしまう。だからこそ病院に出向いて薬をもらうのが一番よかったのにその手は封じられたのだ。

じゃあ私が形だけでも正社員として収入を得て彼女を救ったらよかったのだろうか?答えはノーだ。私がそんな立派なことをするわけがない。できていたら彼女はうつ病になんてならなかっただろう。彼女をどん底まで引きずり落したのはほかでもない私なのだ。日に日に彼女の悲鳴は大きくなっていった。私の頬や膝にできる痣も大きくなっていった。それでも私は何もせずに生きていた。まだ彼女が元に戻る術があるはずだと自分に言い聞かせ四六時中寝ていた。けれど人生がそこまでうまくいってもらったら困る。ついに運命の時が訪れたのだ。

私が寝室で寝ていると突然部屋の扉が勢いよく空いた。まだ遅い時間だったから強盗なのではないかと思い身構えた。しかし私に抱き着いてきたのはほかでもない彼女だった。あまりに突然の出来事だったので私はとりあえず抱き返した。ベッドの上で体温が上がっていくのを感じられた。しかし原因は違った。自分の腹のあたりが熱くなっているのに気づき、手を入れてみると何かべとべとしたものに触れた。横に手をずらすと何か金属製のものに触れた。よく聞くと私の耳元で聞こえる彼女の息はいつもと違い荒立っている。私は途端に彼女の胸あたりを見ると心臓の少し下あたりにナイフが刺さっていた。やはり強盗が来たのだと私は一人でおびえたがどうやら違ったようだ。私の肩から彼女の腕がすり抜けていき、床に落ちた。そのときもう彼女はもう息をしていなかった。自殺。その単語がまさか自分の脳内に吹き込まれるとは思ってもいなかった。

彼女は自ら命を絶った。2041年4月23日彼女は犠牲になったのだ。100819人のうちの一人は彼女だった。

どんな生物も自分の体に火がつかないと鎮火に動こうとは思わない。私はその時急いで救急車を呼んだ。さすがに反発者といえども迅速な対応をされた。彼女がどんどん凍てつく様子をまじまじと見ていた。もう日付が変わりかけていた。死ぬとき彼女はどんな顔をしていたのだろう。どんな心情だったのだろう。このとき初めて私は人間の気持ちを理解できないと悟った。夜の環状道路を走り抜け、病院につくと待合室で数十分待たされた。他に誰もいない空間でひとつだけテレビがついていた。やっていたのはニュースだ。こんな時間なのにまだやっているのかと興味本位でのぞき込むと話題は一つだった。

”第二次世界恐慌”

どうやら彼女はこのニュースを見て自分の人生を悲観し自殺したのだろう。ひとつ自分の体に新芽が生えたような気がした。これが人間なのかとさぞ驚いた記憶がある。事実2041年4月23日22時58分30秒時点で43186円98銭だったダウ平均株価は22時59分きっかりに一気に3905円38銭まで下落した。この日、もうすぐ日が変わるというのに自殺者は東京だけで30人に上った。このことから今私が生きていると「暗黒の火曜日」という単語が聞こえてくるのだ。第一次世界恐慌の時には「暗黒の木曜日」と呼ばれたにもかかわらず、それよりも甚大な被害を被っておきながら約100年前のネーミングセンスが変わっていないのだからケネディも地獄で驚いているだろう。自殺の数がここまで増えたのは男女差別の拡大や、家庭内暴力の増加、政府のようわからないプロジェクトなど積もり積もってあの数になったのだ。実に面白い。その時原因はまだはっきりしていないとテレビは語っていた。株価とは何だろうかと不思議に思いながらも待合室の席で胡坐をかいていると医者と思わしき人物が一人、その後ろに仰々しい恰好をした大柄の男が二人こちらに向かってきた。私の前で立ち止まると医者は私に頭を下げた。

「ご冥福をお祈りいたします。」

「いえいえ、頭を上げてください。私の中では彼女はまだ生きていますから」

よくわからない理論を振りかざしながら私は平たくお辞儀をした。だが実際、彼女が死んだことに対して私はそこまでなにか怖いものを感じてはおらず、本当に彼女と過ごした記憶はここにあるからと過信していた。さあ帰ろうと思っていた矢先だった。

「申し訳にくいのですが白野様」

突然私の苗字を呼ばれたので心底驚いた。もともと私の苗字は違ったのだが、彼女の提案で同じ苗字に変えたのだ。

「政府関係者の方々がいらしております。」

嫌な予感がした。彼女が有名なプロジェクト反発者であり、その彼女と同棲していた私が同罪になってもおかしくない。私は突然駆け出した。本当に行く当てもなく走り出した。実に巧妙な罠にはまったものだ。病院はどこかもわからないような場所にあった。スマホも圏外であった。けれど私は車でここまで来たのだという自信とともに坂を下って行った。

のちに分かったことだが、もしあそこで正直に政府関係者へついていっていたら、洗いざらい彼女との関係を言わされ、贖罪としていままで働いてこなかったつけを無理やり払わされるという。マイルドな言い方だが、簡単に言えば拷問の連続が待ち構えていたわけだ。しかしなぜ彼らが私を追ってこなかったのかがわからない。きっと彼らは私と彼女の関係性なんてわかりきっていたのだろう。だからこそ罪悪感にかられた私がそこらへんの交番だかに出頭してくれると信じていたのだろう。だが私は人の気持ちに寄り添えない。今になっても私は誰にも彼女のことを話していないし、墓参りにもいっていない。そんな薄情者なのだ。しかし今あなたの頭の上にははてなが浮かんでいる。なぜここまで劣悪な環境下でここまでしっかりと生き延びているのか。なぜここまで人の気持ちがわからないのか。お答えしよう。簡単な話である。私は人間なんかじゃないのだ。端的に言えばアンドロイド、いわゆるボイスロイドもしくはボーカロイドなのだ。それも欠陥品の。彼女との関係性は私にもわからないが、私はいつも彼女のことを「マスター」と呼んでいた。彼女の本名は白野星。13年前、廃棄されていた私のことを助け出した「恩人」だ。

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