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カードゲーマー百合  作者: 橋比呂コー
第3章 木村和菜
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和菜が母親になった日

 だからといって、無視するわけにはいきません。代表して姉さんが受話器を握ります。どうにも気になり、私は三平と一緒に子機のそばに寄ります。そうすることで、僅かながらも通話内容が漏れ聞こえてきました。


「もしもし」

「もしもし、木村美央様のお宅でしょうか」

「はい」

 木村美央は私たちのお母さんの名前です。それを、よく知らないおじさんが口にしている。部屋の中は湿っぽいはずなのに、口の中が乾いてきました。そして、電話口から容赦ない一言が飛び出します。


「私、知島警察署の者でございます」

 警察!? さっと顔が青ざめます。それは、姉さんも同じでした。


「あの、警察の人がどうして」

「非常に申し上げにくいのですが」

 そうして語られた内容をよく覚えていない。いや、脳が覚えるのを拒否したと言った方が正しい。それでも、嫌が上でも刻み込まれた内容がある。


 通話が終わると、姉さんはだらりと力なく受話器を取りこぼします。床に転がった子機からは「ツー、ツー」と無機質な音が響きます。

「どうしよう、双葉」

 姉さんの目は虚ろでした。

「お母さんが、事故に遭ったって」


 既にお父さんにも連絡が入っていたようで、いつもよりも幾分早い時間に帰ってきました。全身ずぶぬれでしたが、それを厭うことなく、

「早く車に乗るんだ」

 と、促されます。切迫した声音に、私たちはただ従うしかありません。もしも、この時車に乗らなければ。いや、問題を先送りにするだけだったのかも。有無を言わさず、私たちを乗せた車は病院へと急行します。


 到着した時には手術の最中でした。控室でお父さんが警察の人と話しているのが自然と聞こえてきます。

 どうやら、横断歩道を渡っていた時に、前方不注意の車にはねられた、とのことです。大雨による視界不良だの御託が飛び出してきましたが、私たちにとって重要なことはただ一点でした。


「なあ、お母さん、大丈夫だよな。死んじゃったり、しないよな」

 それは、最悪の想定でした。三平に悪気はなくとも、はっ倒してやろうかとも思いました。でも、

「きっと、大丈夫よ。お母さんは、平気な顔をして戻ってくるって」

 和菜姉さんは気丈に言い張ります。

「本当か。そうか、そうだよな」

「そう。お母さんはきっと大丈夫だって」

 三平を励ますというよりも、自分自身に言い聞かせるような言葉でした。そうです。お母さんがこんなことで負けたりしません。きっと、「大事にしちゃってごめん」って、笑顔で帰ってきてくれるはずです。


 それから、一体どれだけの時間が経ったのか見当もつきません。多分、いつもなら寝る時間をとっくに過ぎていたのかもしれません。廊下の奥から静かな足音が響きます。

 やがて、姿を現したのは白衣を纏った集団でした。私たちと視線を合わせようともしません。お父さんが立ち上がり、「妻は」と詰め寄ります。


「全力は尽くしましたが」

 きっと、主治医だったのでしょう。妙齢の医者がゆっくりと首を横に振りました。


 それからしばらくのことはよく覚えていません。覚えるのを拒否していたという方が正しいのでしょうか。ただ、断片的には強烈な記憶が残っています。

 ベッドに横たわり、顔に白い布がかけられた女性。お父さんがその布を取った途端に現れた、ただ眠っているかのようなお母さん。


 本当に眠っているだけ。そう信じたかったのに、棺桶に入れられ、周囲を花で飾られても目を覚ます気配はありません。

「妻は、本当に家族思いで、私が仕事で忙しい時でも、すみません」

 後になって弔辞だと知りましたが、それを読み上げる途中でお父さんが泣き崩れてしまったのが印象に残っています。呼応するように、三平が大声で泣き始めました。


 その時になって、ようやく、お母さんは戻ってこないんだと悟りました。自然と涙が溢れ出てきます。でも、ふと隣を見上げた時、私は息を呑みました。

 お姉ちゃんが、ぐっと唇をかみしめたまま、前を向いているのです。その先に会ったのはお母さんの遺影でしょうか。表情は険しく、唇から血が流れてもおかしくないぐらいでした。


「お姉ちゃん」

 鬼気迫る表情に、すっかり涙が枯れました。ふと、私の肩に手が置かれます。

「双葉。これからは、私がお母さんになるから」

 それは紛れもない決意表明でした。一体、何がお姉ちゃんにそうさせたのかは見当もつきません。でも、確かなことはあります。有言実行とばかりに、お姉ちゃんは家事を一身に引き受けるようになったのです。


 そう。あの日から、私たち家族にとってのお母さんは、和菜お姉ちゃんとなったのでした。

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