木村家の過去
そうして、フードコートへととんぼ返りする。さすがに、お小遣いが底を尽きかけているので、100円以下で買える缶ジュースが机の上に勢ぞろいしていた。
様相は会社の営業。いや、バイトの面接かしら。敦美が「かつ丼食べたい」と不穏なことを言い出したので無視しておこう。
「それで、和菜姉さんのことですよね」
「うん。弟さんと喧嘩したって」
「そうなんです。私も、どうにかしたいと思ってるんですけど」
口ごもるものの、同じ悩みを抱えていたというのは僥倖だ。身を乗り出す友美を片手で制し、先を促す。
「ただ、今回の件は姉さんも怒って仕方ないというか」
「話しにくいということは重々承知よ。でも、手助けしたくても、事情を知らないことには方針を立てることすらままならない。だから、お願いしたい」
私は両手を合わせる。双葉は遠慮がちにジュースに口をつける。やけに時間をかけて嚥下していたというのは、喉の動きから分かった。
やがて、視線を這わせた後、まっすぐに背筋を伸ばした。
「分かりました、お話します。まずは、私たちの家族について話した方がいいですよね。あれは、数年前のことでした」
♢
末っ子の善詩乃が生まれたばかりのころ。四人兄弟ということもあり、騒がしい毎日を送っていました。それでも、その時から和菜姉さんはしっかり者だったように思います。
「こら、三平。ピーマン残しちゃダメでしょ」
「ええー、苦手だから嫌だぞ」
わがまま言って、野菜炒めからピーマンを除外しようとしている三平。姉さんは、見るもほれぼれの手際で元に戻していきます。
「三平、我がまま言ってお姉ちゃん困らせちゃダメよ」
「えー。母ちゃん、ピーマン苦いじゃん」
「そんなこと言ってると、大きくなれないわよ。双葉を見なさい。文句言わずに食べてるでしょ。ピーマン食べられないの、三平だけで恥ずかしいわねー」
「むう、そんなことないぞ!」
むきになって、お行儀悪く箸でピーマンをつまみます。あの三平を乗り気にさせるとは。和菜姉さんも感心していました。
そんなお母さんは、椅子に座ると、「ふー」と大きなため息をつきました。
「大丈夫、お母さん」
「平気よ。和菜、いつもお手伝いありがとうね」
「このくらい、お安い御用よ」
和菜姉さんは得意げに腕まくりします。実際、本当に頼もしくて、もう一人お母さんがいるみたいだなって思っていました。
「ただいま。おお、今日は野菜炒めか」
「あなた、おかえりなさい」
お父さんが会社から帰ってきました。この頃は、私たちが夕食を食べる時間に帰ってくることもザラでした。今考えると信じられません。ようやく眠ろうかという時間になって、玄関を開ける音がするというのが常なので。
この後、まっさきにお父さんがビールを開けて、お母さんに小言を言われる。その様子を姉妹揃って笑い合う。そういう日常がいつまでも続く。そう思っていました。
それは、忘れもしない雨の日でした。濡れネズミになって帰宅した私と三平。バスタオルで体をふいていると、しばらくして和菜姉さんも帰ってきました。
「まったく、すごい雨ね。傘を指していたのに濡れちゃったわ」
「姉さん、タオル使う」
「ありがと。三平、きちんと拭かないと風邪引くわよ。っていうか、さっさと服着なさい」
「えー。びしょ濡れで気持ち悪いんだぞ」
三平は濡れた服を早々に脱いでパンツ一丁になっています。本当なら、私もそうしたかったけど、弟の手前、そんなはしたない真似はできません。
「でも、実際、びしょ濡れで気持ち悪いわね。先にお風呂入っちゃう? 一緒に」
「いい。幼稚園児じゃないんだから、一人で入れる」
「強がっちゃって」
「うるさい」
そっぽを向くと、「おりゃー」と姉さんはバスタオルで髪をぐしゃぐしゃに拭いてきます。不満をあらわにしつつも、こういうお茶目なところは嫌いじゃありませんでした。
着替え終わって、リビングで雨音が混じったテレビを惰性で眺めます。そうしていると、どうにも違和感が拭いさえませんでした。
「お母さん、遅いね」
「遅いぞ」
「言われてみれば。いい加減、帰ってきてもいいはずなのに」
買い物にでかけているのでしょうか。それにしたって、私たちが学校から帰ってくる頃には、とっくに家に戻ってきているはずです。付け加えるなら、もう夕食の準備をしていてもおかしくありません。
不審に思った姉さんが携帯電話でお母さんに電話をかけます。緊急連絡用に、電話とメールしかできないキッズ携帯を託されていました。三平も欲しがっていたので、「私も我慢してるの」とたしなめるのに必死な毎日でした。
しばらく電話を耳に押し当てていた姉さんでしたが、やがて、ゆっくりと首を横に振ります。
「電話が繋がらないなんて、何かあったんじゃ」
「母さんが大変なのか!?」
焦燥を煽る三平に触発されたのでしょうか。善詩乃が泣き声をあげます。
「めったなこと言うもんじゃないわよ。多分、雨がひどくて雨宿りしてるんだと思う。そのうち帰ってくるって」
姉さんは努めて明るい口調で言います。そうですよね。きっと、帰ってきますよね。私は何度も自分に言い聞かせました。
しかし、その後にかかってきた電話が、歯車を一気に狂わせたのでした。突如鳴り出したのは家の固定電話。
学校の連絡網とかで鳴ることはありますが、大抵の用事は携帯電話で済ますことができます。なので、固定電話が鳴るというのは、とても珍しいことでした。だからこそ、一抹の不安がよぎります。
次回は過去一重たい話になります。