卵争奪戦
食品売り場と一言で言っても広大だ。どの区画に向かったのか。その答えは明確だった。
「さあ、本日のお値打ち品! 卵が1パック110円! ご家族1パック限りでお願いします」
店員のおじさんがメガホンで呼び掛ける。購入制限があるなんて、転売対策みたいね。なんて、呑気なことを考えている場合ではない。
物価高の昨今、明らかに破格な値段に、主に主婦層でごった返している。おしくらまんじゅうじゃなくても押されて泣きたい状況下、双葉を探し出さねばならないのだ。
「うまいこと合流できるかしら」
「それもだけど、みんな、なんとしても卵を手に入れるんだ」
「卵なんか買ってどうするのよ」
「まあ、いいから」
友美がウィンクするからには、何かしら考えがあるのだろう。ただ、歴戦の猛者であるおばちゃん軍団を潜り抜け、目当ての品を手に入れることなどできるだろうか。
セール開始とともに、カートへと猪突猛進する肉の群れ。この中に飛び込むというの。敦美なんか、完全に及び腰になっている。
ふと、遠目に双葉を捉える。もう、この場で声をかけようか。なんて、逡巡したのが命取りとばかりに、彼女は迷うことなく人の群れへと突貫していった。嘘でしょ。小慣れ過ぎてない。
と、あんぐりとしている場合ではない。友美もまた鼻息荒く、突撃を開始している。私は覚悟を決め、後に続いた。
売り場付近までたどり着いた時には、卵は既に残り僅かとなっていた。お行儀よく待っていたら、確実に横からかっさらわれるだろう。どうにか、肉の壁を潜り抜けなければ、入手はままならない。
「ちょっと、邪魔よ」
「わたしが先だったんだから」
おばちゃんの醜い争いの声が聞こえる。あまりの剣幕に圧倒されそうになったが、足を止めようものなら致命傷だ。正面突破は体格差もあって無謀だ。どうにか、間隙を縫って、最速で売り場までたどり着く。
私は目を閉じて、頭の中でシミュレートを試みる。直進ルートを論外。右手方向には隙間があるうえ、先行するおばちゃんの体格的に、どうにか潜り込める。
往年の女性に対し、小回りが利くという利点を生かし、私は巧みに売り場へと接近していく。陳列している卵は底が見えそうだ。
「お嬢ちゃん、悪いけど卵はいただくわよ」
ふくよかなおばちゃんに宣戦布告された。
「こっちこそ、負けませんから」
ついに、残り数パック。おばちゃんとの一騎打ちになりそうだ。さすがは歴戦の猛者。その図体からは考えられない機敏さで、一気に肉薄していく。負けてなるものか。私も突撃を仕掛ける。
残り一つのパック。私とおばちゃんが仕掛けたのはほぼ同時。だが、覆いかぶさるようにして、おばちゃんは私の進路をふさぐ。体格差を武器にしてきたわね。真っ向では体格に阻まれ、売り場まで至らない。どうにか、進路を逸らせないかしら。
そう、どうにか一時的に気を逸らせれば。その時、ふと友美との会話が頭をよぎった。ちょっと前に、往年の名俳優がどうとか話していたのだ。おばちゃん相手ならもしかしたら。
「あ、高倉健!」
「え、どこどこ」
嘘でしょ。自分で仕掛けておいてびっくりしたけど、おばちゃんの動きが明らかに鈍ったのだ。
こんな好機を逃すわけはない。私は一気に卵パックをかっさらった。
卵パックを抱え、友美たちと合流した時は息絶え絶えだった。世のお母さんたちは、毎回こんな修羅場を潜り抜けているのだろうか。
「おお、唯ちゃん、パックをゲットしたか。三人がかりで1パックゲットできれば御の字と踏んでいたから、上出来だよ」
「まさか、ゲットできなくても構わなかったわけ」
当然という風体で、友美は卵パックを抱えている。手ぶらの敦美も何故か堂々としていた。
「まあ、お礼を言っておくわ。あなたが前に話していた高倉健のおかげで手に入れたのだから」
「高倉健? ああ、ダン〇ダンの話?」
「詳細。聞かせてほしい。そのアニメはわたしも見ていた」
俳優じゃなくて、アニメの話だったわけ。まあ、それは脇に置いておくとしよう。
問題は、卵パックをどうするか、だ。持ち帰って困るものではないが、明日調理実習が無い限り、中学生には無用の長物である。
「あの、こんなところで何をしているんですか」
突然、小学生に話しかける。見遣ると、件の少女がじっと私たちを半目で睨んでいた。
まさか、彼女の方から接触してくるとは。いや、不可解ではないか。スーパーの食料品売り場で女子中学生三人がバカ騒ぎしていては、自然と悪目立ちする。
すると、友美は予定調和とばかりに、営業スマイルを浮かべる。
「いやあ、奇遇だね、双葉ちゃん」
「本当に奇遇ですね」
ものすごく冷淡に対応された気がする。それでも友美は動じない。
「時に双葉ちゃん。耳寄りな話があるんだけど」
「そう言って、危ないお薬に誘うって、学校で習いました」
「そんなのに誘わないよ!」
友美が悲鳴をあげる。でも、やってることはそう映っても文句は言えない。
気を取り直した友美が差し出したのは、先ほど確保した卵パックだ。
「ここに、唯ちゃんがゲットした分と合わせて2パックの卵がある。これを君に譲ってもいい」
「いいんですか!?」
すごい食いつきようだ。善詩乃は省くとしても、姉弟三人と父親と考えると、3パックの卵はあって困るものではない。消費期限内でも、十分に使い切ることはできるだろう。
「その代わりと言ってはなんだけど、双葉ちゃんに頼みたいことがあるんだ」
「宿題なら無理ですよ」
「さすがに、小学生に宿題を頼むほど落ちぶれていないよ」
「でも、和菜姉さんには頼んでいるじゃないですか」
「それはそれ、これはこれ、だよ」
友美ったら、そんなことしてたの。宿題なら、私に任せてくれてもいいのに。いや、任されたことあったわね。
「うーん、単刀直入に言った方がいいかな。キムっち、じゃなかった、和菜ちゃんについて聞きたいことがあるんだ」
それで察したのかもしれない。双葉はしばし押し黙った。
「要求。あなただけが頼り」
「そ、そう。どうにか、力になりたいと思ってるのよ」
敦美に遅れじと私も言葉を重ねる。やがて、双葉は深く息を吐いた。
「分かりました。でも、場所を変えませんか」
マニアックな小ネタ紹介
高倉健
往年の名俳優にして、ダン〇ダンの主人公の名前