諍い
♢
三平の誕生日を数日後に控えた夕食時。私は、いつものごとく料理を用意していた。
小鳥遊さんがポトフを作ったとかで、最近それをねだられる。簡単に作れるけど、煮込むのに時間がかかるのが難点なのよね。だから、休日じゃないと手を付けられない。
今日は部活動に顔を出せたけど、練習ではりきりすぎてヘトヘトだ。だから、お惣菜に頼らせてもらう。近所のスーパーのコロッケ、コスパが良いうえに美味しいから重宝してるのよね。
「姉ちゃん、またヨロヅヤのコロッケだろ。飽きたぞ」
「文句言わないの。毎日、一から作っていたら手が足りないわよ」
ブーと頬を膨らまされるが、不服があるなら自分で作ってほしい。大人しく着席している双葉を見習ってほしいくらいだ。
食べ飽きたと文句を言われても仕方ない味を堪能する。正直なところ、もっと色々なものを食べてみたい欲はある。お母さんがいたなら、おねだりできたかな。
いや、弱気な想像はよそう。ごまかすようにサラダを口に入れる。これもまた、ファミリーサイズの既製品だ。
「あーあ、あの姉ちゃん、また来てくれないかな」
三平が行儀悪く、口の中にコロッケが残った状態で呟いた。即座に窘めるところだが、その内容が気にかかった。嚥下した食べかすがしこりを残しているかのようだった。
「あの野菜スープ美味しかったし、ガミガミ言うことも無かったもんな」
「へえ、随分と堪能したみたいじゃない」
その口調には若干どころじゃない嫌味が込められていた。我ながら大人げないとは思う。でも、三平にそんな機微は通じないようだった。
「おまけに、もう一人の姉ちゃんはデュエバ、超強かったんだぜ! カードもすげーのもらったし」
「へえ、それはよかったわね」
口調が棒読みになる。口に運んだキャベツは、ちょうどドレッシングがかかっていない部分だった。機械的に咀嚼を続ける。
双葉が困惑するように首を動かしている。ダメだ、話題を変えよう。
「そういえば、三平。あなた、もうすぐ誕生日じゃない」
「おお、そうだな」
意気揚々とコロッケを頬張っている。こいつは単純だから、話を逸らせば、後を引くことはない。私はお茶で一服する。
けれども、まさか、最大の地雷を踏んでしまったとは思いもよらなかった。三平は頭の後ろで手を組む。
「せっかくだから、新しい姉ちゃんが欲しいな」
それは、ポッと出の吐露だったのだろう。冗談なのか本心なのかは分からない。でも、私はガタリと立ち上がった。
「な、なんだよ、姉ちゃん」
「私じゃ、不満だって言うの」
双葉がおろおろと視線を這わす。分かっている。堪えろ、堪えるんだ。お母さんなら、こんなことで爆発したりはしない。
「だって、姉ちゃんは、口を開けば、我慢しろだのうっさいじゃん。全然遊んでくれないし、料理は同じのばっかだし」
「それは仕方ないじゃない。私だって、学校があるのよ。部活だって、ろくに行けてないし」
「俺だって、友達とあまり遊べないぞ! ゲームもろくに持ってないから、つまんねぇって言われるし!」
そんなにバカスカ、ゲームを買っていられる余裕はない。私だって、欲しいコスメとかあるのに、我慢してるのよ。
「三平、いい加減にして。不満なのはみんな、一緒でしょ」
「双葉姉ちゃんだって、不満なんじゃん。それに、あの姉ちゃんたちが来て、助かったとか言ってたじゃん」
「それは、そうだけど」
口ごもる双葉。彼女も彼女で、どうにか場を収めようとしているのが分かる。でも、私は睨んでしまった。ああ、ダメだ。委縮させてどうする。
「あーあ。あの姉ちゃんたちがずっといてくれたらいいのにな。でも、それは無理か。せめて、本当の母さんがいたらな」
バン!
机を叩く音がひときわ大きく響いた。双葉はもちろんのこと、三平さえも身をすくませる。もう、無理だった。
「いいかげんにして! お母さんが欲しい? そんなの、無理に決まってるじゃない! お母さんは、お母さんは、もう」
瞼に涙がにじむ。善詩乃の泣き声が聞こえる。箸を握る手に込められた力は、そのまま粉砕しそうであった。
「な、なんだよ、本気で怒ることないじゃんか! お母さんは大人なんだから、こんなことで怒ったりしないんだぞ」
「悪かったわね、本当のお母さんじゃなくて! 私がそうなるように、どれだけ我慢してきたか、分かってるの!? それを、それを」
「う、うっさいな! そんなこと言う姉ちゃんなんて、大嫌いだ!」
バシン!
あの時から心に決めたことは幾つかある。そのうちの一つ。何があっても、双葉や三平には手を上げない。でも、衝動を抑えることはできなかった。
双葉のすすり泣く声が聞こえる。呆けたような三平。私の掌には陣痛が残っている。やがて、堰を切ったように、三平の泣き声が轟いた。
「ごめん、双葉。ちょっと、一人にさせてくれない」
返事を待たず、私は自室へとこもった。口の中に残るコロッケの脂っこさがしつこい。勢い任せに布団に顔をうずめる。
私は。私は、あの子たちの母親にならないといけないんだ。なのに、あんなことするなんて、最低だ。
「でも、どうすればいいのよ!」
そんな疑問に答えてくれる者は誰もいない。掛け布団が涙でにじむ。洗濯が大変だとか、そんなことを考える余裕はなかった。
「どうすれば、どうすれば、いいのよ」
口からそんなリフレインが漏れ出るばかり。そして、溢れ出る涙を止める術を私は知らない。
結局、そのまま眠りこけてしまったようだ。おかげで、最悪の目覚めだった。シャワーだけ済ませて気分をリセットしようとしたものの、明らかに夕飯の残りと分かるコロッケの朝ごはんでは調子が上がらない。
おまけに、双葉も三平も一言も会話が無かった。父さんは早々に会社に行ってしまっているし。
三平は何か言いたげに視線を送ってくる。けれども、あと一歩というところで視線を逸らされる。かくいう私も似たようなものだった。すっかり冷めきった白飯を、インスタントの味噌汁で強引に流し込む。
「もう学校行くわね。食器は、流しに置いておいていいわ」
本当はきちんと洗っておきたかった。でも、そんな気力もない。下手に家事に手を出したら遅刻しそうである。重しをつけたかのような鈍い足取りを叱咤し、私は学校へと向かうのだった。
♢
キムっちから話を聞き終え、あたしはしばし口を開けなかった。まさか、そんなことがあったなんて。予想以上に重い話が飛び出し、踏み込んだことを後悔すらしていた。
「これで分かったでしょ。悪いけど、そっとしておいてもらえるかしら」
そうして、キムっちは、そそくさと給食を片付けていく。どうにか、給食のお残しだけは回避できたものの、無理にがっこんだため、牛乳を一気飲みする羽目になった。
その後もキムっちとは会話ができていない。と、いうか、話しかけたとしても、どんな話題を切り出せばいいか見当もつかなかった。キムっちとは関係が長いけど、こんなのは初めてだ。
こんな調子で部活の助っ人に行っても、足手まといになるだけだろう。そうなると、私の足が向かう先はおのずと限られる。
カード紹介
マーメイド・セレーナ
クラス:オーシャン ランク1 コスト3
攻撃力100 体力100
このサーバントが場に出た時、カードを2枚引く。その後、相手よりも手札の枚数が多い場合、プレイヤーの体力を200回復する。