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僕が生まれた日

目を覚ますと、僕は座っていた。体が重い。重いというより、痺れているといった方が適切か。とにかく体が動かない。頭の方もぼんやりしていて、視界の焦点が定まらない。姿勢から座っているということだけが分かる。


「ドアが閉まります。駆け込み乗車は危険ですのでおやめください。」


耳にアナウンスが響く。呼応するように少しずつ焦点が定まっていく。電車だった。目の前の電車が発車し、ようやくそこが駅のホームであることに気が付いた。どうして駅なんかにいるのか。ここはどこの駅なのか。頭が混乱していて判然としない。

触覚も戻ってきたようだ。座っていたのがベンチだったと認識できる。眠たい目をこすり、ふらふらと立ち上がってひとつ伸びをする。背筋に電流が流れたように、覚醒の刺激が走る。地下鉄と思しき構内をぐるりと見まわしてみると、そこには渋谷と書かれた看板が傾いたまま天井にぶら下がっていた。


電車が出発したばかりからか、僕のほかにはあまり人がいない。掲示板を見るに、次の電車はどうやら30分後のようだ。30分間ホームで待っているべきだろうか。


「その必要はないだろう。君の目的地はこの駅じゃないか。」


唐突に声が聞こえて振り返る。さっきまで誰もいなかったところに、長身の男性が立っていた。流暢な日本語で呼びかけられたが、彼の顔立ちはどう見ても西洋人だ。金髪で長髪、青い目、凛々しくもあり甘くもあるその顔は、一分の隙もなく完璧で、整いすぎて気味悪ささえ感じる。


「失礼。自己紹介がまだだったね。私の名はクラウスだ。恩を売るつもりじゃないが、君を介抱したのは私だよ。電車を降りたとたん倒れたものだから驚いたよ。まだ混乱しているようだが、顔色はだいぶ良くなったね。もう大丈夫そうだ。」


彼は僕の顔を覗き込むように語り掛けた。彼の言葉を聞くうちに頭の中がより一層晴れていく気がした。


「なんで僕の目的地がここって分かるんですか。」


僕は少し冷静さを取り戻しながら訊ねた。クラウスは少し驚いたような顔をする。今気が付いたが、クラウスの服装は白を基調とした服装で、牧師や神父が着ているような服装をしている。もっとも彼が着ていると、信仰する側というよりも、される側に見える。神や天使の仲間みたいだ。


「君が手のひらに握っているもは何だい?」


クラウスの言葉に僕はずっとこぶしを握り締めたままだったことに気が付く。それを開いてみると、くしゃくしゃになった切符が現れた。そこには渋谷と記されている。


僕はその切符を見て、ようやく自分が何のためにここにやってきたのかを思い出した。


「目も座ってきたし、もう全快かな。」


僕は彼の言葉にうなずく。彼は満足そうに微笑んだ。


「すいません。ご迷惑をおかけしました。」


僕は彼に謝罪の言葉を投げかける。どれほど気を失っていたかはわからないが、貴重な時間を奪ってしまっている。


「気にすることは無い。ほんの数分さ。たぶんそろそろバスが出る時間だろうから、急いだほうがいい。」


クラウスは僕の心の中を読んだように言った。なぜこの後僕がバスに乗ると知っているのだろうか。


「バス乗り場はあの標識に従って、8番出口にでるといい」


僕の疑問を察した様子はなく、彼は僕の後方の標識を指さす。僕はさされた方を向いて考える。ここまでしてもらったのだ。お礼の一つでもしたいが、何せ時間がない。


「お礼はまた今度だ。必要なものはリュックに入っている。」


もう一度彼の方を振り返ると、彼は影も形もなくなっていた。足元には確かにリュックが置いてある。


「まだ名乗ってすらいない。」


僕は声に出して呟いてみる。クラウスに対する申し訳なさを口にすれば、まだ彼がどこかで聞いていて、返事をしてくれるんじゃないかと思った。しかし帰ってくる言葉はひとつもなく、沈黙のホームで僕の言葉が冷たく響いた。


三十年ほど前まで、日本の中心、指折りの都市の中心地だったはずの駅は、半無人の迷宮と化していた。駅員はおろか、乗客もほとんどいない。日中になれば東京内の移動に使う者もいるが、なにせ電車の移動手段としての安全性は飛行機にすら劣る。限られた路線を除いて、その使用は自殺行為に等しい。


今は電車は外界との出入りとしての使用が一般的だ。もっともこの魔境に入ろうという者など、相当な愚か者か、狂人しかいない。僕はどちらでもない、と言いたいところだが、他人から見れば間違いなく愚か者に見えることだろう。


そもそも入都許可などめったに下りないし、出るのはその何倍も難しい。人々の死亡率は群を抜いて高いので、人口は減少の一途だ。


全ての始まりは、その30年前に起きた。「万死の門」と呼ばれるその事件は、たった30年前の出来事でありながら、情報統制により、外界で詳細を知ることはできない。それは僕も同じで、知るのは「万死の門」という名前と、空と地面に巨大な穴ができたということだけ。あとはそれによって東京の人口が十分の一になったことくらいだろうか。


もちろん噂だけでいえば、その数は正確に把握できないほど莫大だ。天使や悪魔によって東京は滅ぼされたという話や、東京の中では魔法が使われているという話。不死の人間や獣の顔を持つ人。魔獣なんてものがいるとも聞いた。無人の電車や駅をみていると、それもあながち間違いではない気がしてくる。


僕はクラウスに言われた通り、頭上の標識を追って8番出口に向かう。無人の迷宮とは言うが、案外先ほどの地点から近かったようで、出口につながる階段は容易く見つかった。階段を上りつつ、僕は考える。これから何をしようかと。


先ほど、ここに来た目的を思い出したと思ったが、それは正確ではない。ここに来た理由は思い出したのだ。それは僕自身が何のために生きるのか、目的を見つけるためだった。要するに自分探しである。これを母に伝えると、母は僕を泣いて止めた。「生きる理由を探すために、お前は死ぬつもりなのか」と。実際僕の知る限り、東京に行って帰ってきた者はいない。止める母に気づかれぬよう、僕は夜に家を出た。東京に入る前、マンションを借りる契約を行ったが、それを行ったのは都市伝説のサイトだ。果たして実際に借りれているかもわからない。


先行きに不安しかない中で、僕は今まで感じたことのない高揚感に身を震わせていた。今までは何の刺激もない毎日だった。他のみんなと同じように、いくつかの選択肢の中から自分の向かう先を選ぶ。失敗の可能性は限りなく低いが、予想外の未来にたどり着くこともできない。生まれた瞬間に決まっている運命の中で、僕はすでに死んでいた。まったく未知のこの世界に僕はこれから生まれ変わるのだ。


普段はしないような妄想は、誰もいないこの場所だからしているのだろう。人に聞かせられない妄想は階段を上り終えると同時やめよう。そう思い、僕は最後の一段を上った。そこに広がる景色は確かに未知の光景だった。


バスが飛んでいた。魔法で飛ばされているようだった。もっとも想像していたような移動のための浮遊ではない。吹っ飛んでいた。このような僕の知らない力学は魔法としか思えない。目の前をかすめるバスを見送ってふと思う。僕は今日生まれ変わって、そして死ぬかもしれない。

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