4-9:エピローグ
トリシャ・ナイトベルグが目を覚ますと、知らない部屋だった。
ナイトベルグ領の自室ではない。天蓋付きのベッドではないし、周りにレースも広がっていない。涼しい風が肌をなでた気がして、トリシャは首を傾げた。
ここは、どこだろうか。
施療院のような施設だ。窓からは都会の喧騒もする。
記憶はおぼろげだ。
家族が、自分の強力なスキル――〈王の中の王〉のために、無茶な実験を行ったこと。魔物達を操るために、魔物と簡単な意思伝達ができる神官らの秘術を、無理やり試されたこと。
聖リリア王国が、魔獣を使う術でセレニス王国に敵うはずもない。隣国は魔獣を産み出した神を奉じているのだから。
だから、別のものを研究していた。
それが魔物だ。魔物らに簡単な命令を行わせることは、聖光神殿の密かな成果。
トリシャは実際に体験をした。だが魔物らが考えていたことは、思った通り、いや、思っていた以上に、人を傷つけることばかり。
邪気が結晶して魔物が生まれるというが、あれだけ人への害意に満ちた存在が魔物なら、『邪気』と呼ばれるのも納得だ。
本来、〈王の中の王〉は自分に従ってくれる兵士を指揮するためのもので、兵士の忠誠までは保証しない。それでも魔物達が従ったのは、指示が魔物らにとってプラスになったからだろうか。
思い浮かぶのは、不意に現れ、飛び込んできた闇色の蜂。
影のような虫が体にくっついてから、ナイトベルグ領、家族、それに姉に対する数々の気持ちが――我慢してきた気持ちが湧き上がる。結果、魔物達が望むところと、トリシャの意思を同じにさせたのだ。
あの虫は、人や魔獣に取りつく、新しいタイプの魔物なのかもしれない。
「だれか……」
ぼんやりと思いながら、トリシャは右手が彷徨っていることに気が付いた。
お屋敷であれば、紐をひいて、隣部屋のベルを鳴らし、誰かを呼ぶことができた。今は、そんな紐はない。
改めて、ここは違う場所なのだと――独りぼっちなのだと突きつけられた気がした。
涙がにじんだ時、ドアがノックされる。
入ってきたのは一組の男女。男性は赤髪の長身で、気さくそうな微笑みがかえってトリシャを緊張させる。もう一人は帯がある珍しい装束の女性で、目尻に入れた紅と結った緑髪が印象的だった。
まず女性が口を開く。
「お目覚めになりましたか」
「――ここはどこでしょう」
できる限り丁寧に問うたつもりだが、どこか投げやりになってしまった。
どうせ、罪に問われる身だろうから。
「あなたの故郷から少し離れた、施療院ですよ」
「私は裁判にかけられるのでしょうか」
女性は驚いたように目を瞬かせたが、やがて首を振る。
「賢いですね。やはり姉妹ですわね」
「え?」
「いえ……あなたは、6日ほど眠っておりました。その間、あなたの父上、母上、神官らがすでに証言をしています。残念ですがナイトベルグ辺境伯からは、聖リリア王国が爵位を取り上げるでしょう。これほどの騒ぎを起こし、領民どころか、世界中を危険に晒したのですもの」
トリシャは頷いた。
どう考えても、王国が許可するはずもない実験。父は、魔物討伐から得られる魔石で、収益をあげていた。その一環で、魔物を操ることを考えたのだろう。
領地そのものに危険が及ぶことはわかっていたはずだ。それでも欲望を抑えきれなかった。
女性は目を伏せる。
「もともと、魔物は自然のもの、領主一家だけに全ての責めを帰すのは少々無理があります。黒い虫も……新種とあれば対策は難しかったでしょう」
あの虫は、やはり新種だったのか。
トリシャはぼんやりと思う。
推測した通り、人や魔物にとりつき、攻撃的にさせるものらしい。
「神気を維持すれば、今後の出現は防げましょう」
小さく呟いた。
「そう……ですか。よかった」
ただ、と女性は言い添えた。
「備えを怠ったばかりか、魔物を利用しようとした責任もまた、領主としては問われなければなりません。ですが、巻き込まれた娘までは……」
トリシャは奇妙に思う。
この女性は、なんだか自分に同情的に感じた。
「私はどうなるのでしょうか」
思い切って、トリシャは尋ねる。
「……罪に、なるのでしょうね」
姉のように、修道院に送られればいいほう。いきなり死罪ということもありうる。
男性が口を開いた。
「ナイトベルグ領では、少なくとも死者は出ていない。まるで、誰かが魔物に手心を加えるよう、『統率』していたようにね」
男性の目には、トリシャを褒めるような光があった。
「また、あなたがご両親に無理やり協力させられていたのは、何人も証人が出ていますよ。ご安心を」
「でも」
少し、割り切れない。
取りつかれていた? そうかもしれない。でも、領地を襲った怒りは、紛れもなくトリシャのものの気がして。
「……自分を責める君を、これ以上誰が責められましょう」
「え?」
「ま、いくつか証言をなさる必要はあるでしょうね。あとは、大人の問題だ。もし、聖リリア王国で今後も生きる術がなければ――」
男性の言葉を引き取るように、女性がトリシャに手紙を差し出す。
「これは?」
「『留学』の案内です」
ぽかんとするトリシャ。
絶対に、自由など奪われると思っていた。それが、留学?
女性は告げる。
「今回の一件で、セレニス王国と聖リリア王国は大森林の調査では協力すべき、という方針になろうとしています」
男性が頭をかいた。
「いやまぁ、そうなるように、これから俺らも頑張んなきゃいけないんだけど」
女性に睨まれて、男性はギクリと黙る。
「こ、このような申し出――通るのでしょうか」
「さぁ? でも、この国は、私どもに貸しがありますからね」
肩をすくめる女性に、トリシャは首を傾げる。
「……同じ場所に、お姉さまもいますよ」
目に涙があふれた。
「そうですか。やっぱり、夢じゃなかったんだ……」
トリシャは、渡された手紙をぎゅっと握って顔を上げる。その表情は、互いに母が違っても、確かに妹と姉の表情だった。
姉が去った後、トリシャは領地の大嫌いな面もたくさん見た。
父も母もトリシャのスキルを知ってから、愛娘としてではなく領地のために消費するべき道具のように扱った。怒りや悲しさに、諦め、そして姉が消えてしまった後悔が相まって、魔物をけしかけることに向かったのかもしれない。
領地を、なかったことにしたいと――そう思ってしまったのだ。
だが、魔物に取りつかれ朦朧とした中でも、最後に姉がいたことは覚えていた。
魔物を集め、その中心にいたトリシャに、姉は会いに来てくれた。大嫌いなものの中、好きでいられるものを見つけて、トリシャは帰ってくることができた。
大好き――その気持ちは、きっと強いものなのだ。怒りや恨みにのまれそうな時、道しるべになるくらいに。
「私、会いたいです……!」
男女は視線を交わし、小さく頷きあう。
ゆくゆく、トリシャはこの2人がコニーとダリルという名前で、姉の恩人でもあると知ることになる。
◆
風谷に、冬がやってきた。高原で、おまけに北の地方だから初雪だって早い。
昨日あたりからうっすらと積もり始めて、畑も、野原も、今は真っ白になっている。風車だけは丁寧に雪下ろしをされて、今日も元気にぐるんぐるんと羽を回していた。
厚着をして、えっほえっほとお屋敷への短い坂を上っていると、視界をちらりと白いものが過ぎる。
「あ、雪……」
また降り始めたみたい。
私は、抱えていたカゴを地面に降ろした。手袋をした手に、雪が乗って、やがて溶けて消えていく。
周りにいたエア達も足を止めた。
「ナイトベルグでも、降ってるかな」
魔物の大騒動から、もう4ヶ月が経っている。
結局、ナイトベルグ辺境伯家は、王国から爵位を取り上げられた。
当主夫妻のお父様とお母様、それから親戚たちに同情はできない。
トリシャの力で魔物を操る――その目的は、どこまでも自分たちのためだったから。魔物を操れるようになれば、都合のいい兵士を得るのと同じ。付近の領地にも強気に出れるし、王国だって、そんな技術があったらナイトベルグ領を厚遇せざるをえない。
本当にどこまでも、自分たちのためだったんだ。
起こした事件からすれば、命が助かっただけでも、十分温情だろう。下手をすれば、隣国どころか王国中に魔物が溢れていたかもしれない。
領民も、新たな領主を快く受け入れているという。
ナイトベルグ領は辺境でありながら財力豊かであったけれど、それは魔物を討伐して、魔石を得ていたから。魔石の収入って、辺境伯家で独占されているから、財力がしっかりと領民に行き渡らなかったんだね。
だから農業や工業は栄えていなかったのだけど――その辺りも、領主の変更で、改善されていくといい。
「わんっ」
励ますように、エアが飛び跳ねた。
可愛らしくて、つい手袋を外してなでてしまう。もふもふの青い毛並みは、あったかくて、ふわふわで、冬にこそ最高だ。
隣にディーネもいたので、ついでに顎の下をわしゃわしゃさすってあげる。
「――クウも、元気かな」
あの戦いで私達を助けてくれたクウは、ナイトベルグ領の神界に戻っていった。もともと、今の私の力じゃ、クウほど強力な神獣を呼び続けるのは、ちょっと難しいらしい。
――私は、この地を見守っているよ。
クウは、そう言っていた。神獣として、今の土地を守るってことだろう。
『頑固なやつじゃのう。気晴らしに、風谷にくればよかったのにのう』
私の手から逃れつつ、ディーネが呟く。
……ちっ。
手袋をはめ、お野菜がいっぱいのカゴを抱え直してから、じろっと睨んだ。
「ていうか、ディーネ。エアが神獣の子っぽいの、知ってたんだね」
『いずれ名のある神獣の子、とは思っておったぞ? それがまさか、嬢ちゃんと前世で縁があったとはわからなかったがのう。まったく世間は――いや、この場合は、異世界は狭い、かのう?』
ふぉっふぉっ、と笑うおじいちゃん。
私はため息をついて、お屋敷への丘をまた登り始める。その先で、丁度ロランさんが外へ出てきた。
私を見つけてにっこり笑い、駆け下りてくる。
「手伝うよ」
その肩には、ルナだ。私は微笑んだ。
「ありがとう、ロラ――」
にやっと笑う。
「『お兄ちゃん』って言った方がいいですか?」
「う、うーん。まだ、ちょっと照れるかな……」
ルナがふわふわの羽毛を揺らし、女性の声で息をついた。
『まったく、自分から言い出したものですのに……』
ナイトベルグ領の魔界化から、4か月。その間に、私の処遇も決まった。
まず、ナイトベルグ領と聖リリア王国に、正式に私の希望を伝えた。
このままセレニス王国で暮らしたい、と。
保護された当初は、状況的にも『アリーシャに便利な力があるなら国に返せ』と言われかねない状況だった。けれど、ナイトベルグ領の異変を収めたセレニス王国、もっといえば召喚士協会は、聖リリア王国に貸しがある。
それに神獣召喚士の力は、みんなの尽力でうまく伏せることができた。ナイトベルグ領の一件は、神獣じゃなくて、召喚士協会の尽力によって解決、というお取り扱い。
おかげで、すんなりとセレニス王国で生きる許しが出た。
ただ、それだけだと身分が宙ぶらりん。というわけで、そして一応は貴族の娘というわけで――ロランさんの家、伯爵家の養子ということになった。
つまり、ロランさんの年の離れた妹である。
前世からトータルすると、『お兄さん』より私の方が年上なのだけど……その辺りも含めて、ロランさんは最後には私を受け入れてくれていた。
前世のことは、神獣達以外には、ロランさんとだけの秘密である。
「おや、これは……」
そのロランさんは、私からカゴを受け取ると目を丸くした。
「ぜんぶ夕食の材料かい? 野菜に、肉に、キノコに……」
「はい! 冬と言えば、お鍋ですからね」
えへんと胸を張る私。
「みんなで囲うお鍋は、おいしいですよ。歓迎も兼ねて、ね」
「なるほど、そうか」
ロランさんは微笑んだ。
「今日は、あの日か」
風谷には、今日、来客がある。
思った時、空にさっと影が差す。カイルさんが乗った天馬、その前側に金髪の小さな女の子が乗っていた。
「トリシャ!」
私は手を振った。
天馬が地面に降り立つと、カイルさんがまず降りて、トリシャに手を貸す。
えっちらおっちら降りたトリシャは、私に気づいた。
2人で、しばらく見つめ合ったと思う。
カイルさんがとりなしてくれるかと一瞬期待したが、『後は水入らずで!』と言わんばかりに一礼して、お屋敷へ入っちゃった。
う……なんて、いおう。いや、でも、ここは正直に。だって、トリシャは私を心配して探してくれたのだから、今度は私の番だ。
歩み寄って、声をかける。
「また会えてよかったよ、トリシャ」
ふわふわの金髪を揺らして、トリシャはぶんと頷いた。
「私もです、お姉さま」
ちょっとの間。
……ぎこちないな。ま、それもそうか。ナイトベルグ領で助けてから、私とトリシャは会っていない。
ロランさん達はお見舞いや様子を見に行っていたようだけど、私もエア達も力を使いすぎて、風谷で休む必要があったんだ。
2人でもどもどしていたけど、ようやくトリシャから言葉を継ぐ。
「それと、ごめんなさい……お姉さまがずっと苦しかったのに、何も言わないで」
「トリシャ――」
そうか、私達、そこからなんだ。
自分の胸に訊いてみる。
トリシャは、私を虐めるお父様や、お母様に対して、何も言えなかった。でもトリシャは完全に黙っていただけではなくて、ふとした時に私を助けてくれていた。
……エアを連れてお屋敷を抜け出す時とか、ね。
「平気。私、トリシャのこと好きだよ」
「お姉さま」
涙ぐむトリシャ。
「私も……お姉さまのこと、好きです」
何かのこと、大事だって、しっかりと告げること。
それって、こんなにも心を幸せにしてくれる。
あの両親の下では私達がこんな風に心を通わせることは決してできなかっただろう。
「紹介するね。この人は、ロランさん。今は私の、お兄さんだけど」
「初めまして」
微笑むロランさん。
今はまだ、トリシャは聖リリア王国、『元』ナイトベルグ辺境伯の子供という扱いになっている。
でも、もう故郷には居づらいだろうし――ゆくゆくは私と同じように、ロランさんの家の養子になってほしいとも思う。
生臭い話だけど、生家を失った貴族令嬢が落ち着ける先は、そう多くない。私達の目も届くし、トリシャの『力』も活かせると思うんだ。
お父様とお母様は子供をすべて失ってしまうわけだけど、これは犯したことの結果として、受け入れてもらうしかないだろう。
……娘や兵士が苦しんでもいい、と思って実験したわけだしね。
「は、初めまして。お世話になります」
緊張気味のトリシャ。
とはいえ、しばらくはトリシャも風谷で暮らす。どうしてかというと、この子のスキル〈王の中の王〉は性質を変えてしまったからだ。
妹は金髪を揺らしてエアやディーネ達に向き直る。
「この子が、神獣達ですか?」
トリシャは身を屈める。魔獣を怖がる国にいたせいか、やっぱりちょっと顔が青い。
「平気?」
「はい……でも、しょ、正直、魔物に比べたら」
『ほうほう、アリーシャお嬢ちゃんに似て、可愛らしい子じゃのう』
ディーネが首を傾げ、トリシャがはっと耳を押さえた。
「やっぱり、声、聞こえる……」
トリシャ、神獣たちの声が聞こえるようになったんだよね。
ロランさんがお見舞いした時に、神獣ルナの声が聞こえてるってわかったんだ。
腕組みするロランさん。
「魔物と話せていた状態で、神獣からの神気を浴びたせいかもしれないね。魔物に命令を出す、つまり話せる状態を、神気で癒した。だから今度は体が神気に馴染んで、神獣と話せるようになった。もともと、大勢と話すための統率スキルでもあるしね」
要は、神獣召喚士ではないけれど、神獣の言葉がわかる――そんな人材になったということ。
代わりに、指揮できる範囲とか、強化を付与する力とか、戦い方面の力はひどく弱まってしまったらしいけど。
でもロランさんでさえ、修行して心を通わせたルナとしか、言葉を交わすことはできない。神獣みんなと話せるなら、セレニス王国にだって必要な人材となる。
今後も、クウみたいに新たな神獣と会えるなら、話せる人は多いほうがいい。
「トリシャ、ほどほどに頑張っていこうね」
「ほ、ほどほどに……」
私は指を立てた。
「大事なことだよ? 基本はスローライフ、お姉ちゃんとの約束ね」
トリシャは噴き出した。
「……そういうの、ずっと前から同じね……あれ、お姉さま」
トリシャが首を傾げてエアを見やる。
「なに?」
「今この子……」
エアが、わんと吠える。
『アリーシャ!』
きん、と子供みたいに甲高い声が頭に響いた。
トリシャと顔を見合わせる。
「エア――喋った!?」
『ほうほう、ついに、思いを言葉にできるようになったか』
『あ、本当だ! 喋れる!? しゃべれる!』
嬉しそうに、くるりとその場で回るエア。私に寄ってきて、かがんだ私達姉妹の頬をぺろりとなめた。
『よかったね、アリーシャ』
「え――」
『それだけ、伝えたかったの! アリーシャが嬉しいと、僕も嬉しいよ! 大好きな人だからっ』
思わず笑みがこぼれた。雪が降っている風谷だけれど、こんなにも温かい。
ロランさんが言った。
「行こうか」
歩き出す。
ロランさんが抱えるのは、村からもらったお肉やタマゴ、それに貯めておいたお野菜がたくさん入ったカゴ。
人が増えた分、けっこう重い。
でも、きっと、幸せな重さだ。
「それじゃ、みんな。お屋敷に入ろう」
今日は、妹の歓迎をこめて、お鍋の予定。
もふもふと家族に囲まれて、これからもずっと、大秘境スローライフだ。
私は妹へ――新しい仲間へ笑いかけた。
「トリシャ、ようこそ、風谷へ」
お屋敷に入ると、詰めている召喚士達や、コニーさん、ダリルさん、カーバンクル達が顔を出す。カイルさんが、トリシャの到着を伝えたのだろう。
ロランさんと、梟のルナ、長毛わんこのディーネ、それにエア――仲間ともふもふ達に見守られながら、私達は微笑み合った。
これにて、物語は完結となります。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました!
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