007 橙色の楽観02
はらりとページをめくる音が響く。アスディルの研究所にある書庫にレイエルは朝から詰めて居た。柑とアスディルは研究者同士話が合うようで、今もおそらく柑の出身国である華国の話で盛り上がっている頃だろう。そしてレイエルは書庫の本を片っ端から読んで知識を吸収していっていた。自分の図書館にある本をすべて暗記できるまで読み込んでいるレイエルにとって新しい本は新鮮で、昼ご飯と柑が呼びに来るまで夢中で読んでいた。
「ほんっと、本の虫と言うかなんというか」
「面白かったか?」
「興味深い。そっちは?」
「華国行ってみたい」
「俺と同じ感想をどうも」
「ふふっさ、あっさりめにしておきましたよ」
「悪いなホント……」
「良いって。でもほんとどんな食生活してるんだよ」
空気中の養分を吸うだけとも言えず何とか笑ってやり過ごすレイエル。
そして午後、3人は研究所最寄りの町へ繰り出した。発明家の町と言うだけあって至る所に部品や素材を売っている店が立ち並んでおり、その中でも発明品市と呼ばれた場所は混沌としていた。
右を見ても左を見ても見たことのない装置ばかり。柑は目を輝かせて見ているが装置の価値の判らないレイエルは困惑する。これらすべて神罰対象じゃないのかと思うほど、そこには発明品があふれかえっていた。
「ゲオルクっ」
「なんだよアス……って後のは?」
「昨日拾った。で、滞在してもらってる」
「拾ったって犬猫じゃないんだから……まぁいいか。アスだし」
「ん。ケン、レイ。発明家仲間のゲオルク」
紹介された青年は金髪をかき上げながら2人の前にスパナを持ったまま立ち上がった。
「ゲオルク・アッシュフォンだ。」
「レイエル・ラージレットだ」
「ケン・レイホウと申します」
「ケンは西の方の奴か?」
「華国だってっもう話聞いてるだけでも面白いっ」
「へぇ。よかったじゃないか」
「おうっ」
「こらアスっ話は聞こえてたわよっ」
後から現れたのは銀髪の青年と茶髪の女性。似た容姿からきょうだいと推察できた。女性の方はアスディルに詰め寄り、男性の方は苦笑いと共にそれを見守っていた。
「拾ったって何。人間拾っちゃダメでしょっ」
「だってぇっ」
「姉さんその辺で。あ、僕はアントン・ロータス。あっちは姉のシャルロッテ・ロータスです。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。しばらくお世話になります」
「アントンっ何納得しちゃってるのよっ」
「仕方ないじゃないか姉さん。アスのちょっと拾った癖は今に始まった事じゃないし」
「そうかもだけど……」
「言われるほど拾ってるのかよアス」
「ぐうの音も出ない……海って結構色んなもの流れ着くし、岬の辺りって結構。だから偶に変なもの拾う」
「人間は?」
「生きてるのは初めて拾った」
「……流れ着くってそう言う……」
想像して少しだけげんなりしたレイエルを他所にシャルロッテの物言いは白熱していく。どうやら彼らがアスディルの研究所に泊まりに来る友人たちであると認識し、柑は話の通じそうなアントンへ話しかけた。
「お2人も発明家仲間なんですか?」
「いえ。僕はこの発明市で販売代行を。姉は食料市でパン屋を切り盛りしています」
「販売代行?」
「アスみたいに販売は二の次でその間にも発明して居たいというタイプの発明家に代わってこの市場で発明品を売る仕事ですね。とは言えそんなタイプはアスしか居ないのでアス専門になっていますが」
「普通販売まで責任持つだろ。なのにアスの奴、販売は二の次だもんなぁ?天才はこれだから」
「でもアスの発明はどれも素晴らしいものばかりなので、売れ行きは良いんですよ」
「まぁ、天才だからなアスは。うん。其ればっかりは納得せざるを得ない」
「天才ですか……確かにご自宅の発明品も素晴らしいものばかりでしたが」
「下手な発明家の渾身の一作レベルがアスにとっての失敗作だからな」
「あの頭脳、いったい如何なっているんですかね」
シャルロッテに説教される形になっているアスディルをゲオルクとアントンはほほえましく見守る。そんな友人たちの輪に苦笑いを浮かべる柑はレイエルに小声で話しかけた。
「この町って変わっていませんか?」
「それは思っている。後で会議」
「了解です」
誰にも聞こえないレベルの小声での会議が終わり、アスディルの方を向くと完全にシャルロッテに押し切られていた。
「と、に、か、くっこれ以上変なもの拾わないようにっ」
「判った、判ったからぁっ」
「姉さん、その辺で」
「シャル。お前説教長すぎ」
「元気なお嬢さんですね」
「元気すぎるってのも考え物だと思うぞ俺は」
「助けろよ、ケンとレイはともかくアントンとゲオルク」
「姉さんは止められませんから」
「シャルを止められると思うか?」
「泣くぞ」
楽しそうな友人たちの掛け合い。ふとレイエルは自分の友人たちがどうしているか気になって思わず空を見上げた。物理的にそこに天界があるわけでは無い。ただ階層として人間界の上の階層に天界は存在している。そこに残っている友人たちを想い、レイエルは青空を見上げていた。
その頃。ビアへエルの地上監察の水鏡の間にはレイエルの友人組が集合していた。滅多に持ち場を離れないスパスィエルも代理を立てて水鏡の間に集まっている。そして皆一様にレイエルの姿を見ていた。
「レイエルさん、元気そうですね。ビアへエルさんから海に落ちたって聞いた時はどうしようかと」
「でもその分対象との接触がスムーズになったんだ。良かった……良かった?のか?これ」
「良く無いっっなんで出現場所が海の上!?しかもケンは泳げないってどういう嫌がらせさぁっ」
「フォルエルちゃん今日も絶好調ね」
「ほらそろそろ本業に戻らせてくださいフォルエルさん」
「うぅ……レイエル頑張って……」
水鏡に映された映像が市場を離れたレイエル達から地上の別の場所に切り替わる。本来あまねく見渡すための水鏡だったが友人特権と昨日から何度も彼にチャンネルを合わせていた。
「はい他の皆さんも仕事に戻るっ」
「は~いっ」
「はい元気なお返事のスパスィエル君。君が一番戻らなきゃならない仕事場でしょう」
「ばれた。じゃあ戻るね」
「俺も戻るわ。なんか異変あったら知らせてくれ」
「フォルエル様っ」
「判っているよアレクエルぅっ」
騒がしい一団がそれぞれの仕事場に戻るとビアへエルはため息を吐いた。そして本業、他に神罰対象になるものが居ないか見張る作業に戻っていった。
レイエル達は発明品市を出て食料市に向っていた。途中書店に足止めを喰らいながらも、たどり着いた食品市は活気にあふれていた。
「へぇ」
「なかなかに盛況ですね」
「シャルのパン屋でパン買って……レイの好きなものって何?」
「……果物とか?」
「主食で頼むわ」
「パンとかなら」
「そこからかよ」
「通りで旅の途中も粗食だと思いました」
「食べられりゃ其れで良いんだよ」
「はいはい。お野菜多めに買っておきますか。荷物持ちは居ますし」
「だなっ」
「荷物持ちって俺かよ」
そうしてレイエルは買い物をする2人の後ろでだんだんに増えていく荷物を持つ係となった。大量の野菜の袋を持たされて、続いてパンの袋を持たされて。こまごまとした食料品を買う柑とアスディルは楽し気に市場を回っていた。
「俺肉より魚派なんだよな」
「僕もです。レイも一応」
「魚は採れるもんな」
「焼く一択でしたけどね」
「それ以上必要ないだろう」
「だから胃腸虚弱になるんだよ……」
「……今これ憐れまれてる?」
「確実に。さて。この辺で良いでしょうか」
「だな」
食料を買い込み研究所に戻る。アスディルが台所に居るのを確認し、気配を常に探りながらレイエルと柑は書庫で膝を付き合わせた。
「あの町、本当におかしいところばかりですよ。あれだけ発明品にあふれて、なのに誰も破綻していない。それに例の神罰とやら、どういう基準なのですか?」
「俺も知らん。だが今あの町に居る人間で対象になるのはアスだけっておかしいよなどう考えても」
「街ごと神罰対象と聞いても驚けませんね」
「俺もだ。だが神罰はアスだけ。となれば昨日見た設計図の発明品が問題なんだろうよ」
「海に深く潜れるだけの品がですか?正直上で聞いた時もそれだけかなと思ったのですが」
「俺もそれは思ったが、人間界の深海ってのは下の階層に繋がりやすいと聞いている。昔、空を高く飛べる装置を開発して神罰食らった奴も居る筈だし、他の階層に近付きやすくなるのが駄目なのかもな」
「上に天界、下に魔界でしたっけ?」
「概念上はな。物理的に上や下にある訳じゃない。ただ上は天界に、下は魔界に繋がりやすくはある。人の身で超えてしまえばそれは神の権能に等しい」
「だから神罰を……ね……」
静寂が書庫を包む。柑はその神罰を受けた身。思うところもあるだろうとレイエルは苦笑いを浮かべた。
「食らった身からしたらたまったもんじゃないだろうがな」
「僕の場合はあの量からして自業自得だと思いますけどね」
「そうかい。とりあえず俺らの仕事は変わりない」
「えぇ。アスと交流を持つこと。レイも交流してくださいよ?」
「判ってる。今人間界の知識を高速で叩き込んでいる所」
「なら良いですが」
「っと、アス来る」
「えぇ。判っています」
ノックの後アスディルがやってくる。その手には3人分のマグカップのコーヒー。
「食事前のコーヒー飲むか?」
「いただきます」
「貰う」
レイエルは初めてのコーヒーに目を輝かせた。一口飲んで内心感激する。あの微妙に美味しくないマナの原液よりずっとこちらの方が美味しいと感じられたからだった。何とか天界にこれを持ち帰れないか考え始めたレイエルの考えはお見通しと柑もまたコーヒーに舌鼓を打つ。この苦さが何とも言えない味わいになっていた。
「美味しいですね」
「あぁ」
「良かった。落ち着きたいときに結構コーヒー飲むんだ。他の奴らは覚醒したいときに飲むんだけど、俺は逆。この匂いで落ち着くんだ」
「そうでしたか」
その後、2人は夕食を作りに台所へ向かい、レイエルはそのままコーヒーを片手に本を読み始めた。
「……本当に良いなこれ……持ち帰りたい……嗜好品扱いでどうにかならないかな……いっそこっそり持ち帰って……駄目だな。バレる」
ことりとコーヒーの入ったマグカップを置き、再びページに目を走らせる。本の虫はどこへ行っても本の虫だった。
アスディルが言う海の友達にレイエルと柑が遭遇したのは研究所に世話になってから1週間後の事だった。
群れが来ているからと言われ地下に入るとそこにいたのは黒と白のカラーリングがまぶしい海洋生命体だった。
「……シャチ……ですよねコレ」
「そ。俺の海の友達っ」
「……すみません。確かシャチって肉食では?」
「あ~北の海とか他の南の海ではそうらしいけど、こいつらは草食のシャチなんだ。海藻とか主に食べてる」
「……ちょっとびっくりした」
「奇遇ですね僕もですよ」
「初めて見ると驚くかもな」
「で、こいつらと遊ぶ為に海に潜る装置を作ったのかよ」
「だって一緒に潜りたかったから」
「御友人想いで良いじゃないですか」
「そういうもんかねぇ?」
レイエルはアスディルに誘われるままシャチの正面へ向かった。天界でも此方でも書物では読んだがそれは肉食のシャチの話。改めて実物を見ても歯の並びなどで若干の恐怖すら覚える。
「……まぁお前さんが食われてないってのが証拠だろうが……正面顔怖いなおい」
「あははっ歯並びは同じらしいからなぁ」
「そうかい」
おっかなびっくりシャチに触れながらレイエルは慣れ親しんだ天界の創造神話を思い出していた。8柱の神々にはそれぞれ真の姿の他に化身が居るとされ、それらはすべて動物で表されていた。南西を守り海洋を司る神カト。その化身がシャチだったと何ともなしに思い出していた。
「群れ見てみるか?」
「えぇ是非」
「1階のサンルームから双眼鏡で見えるんだ」
「俺も行く」
「ん。あ、戻っていいぞ。これは来てくれたお礼な」
シャチの口に海藻を放り込んだアスディルはその足取りで1階のサンルームへ向かった。海の見える広いその場所の端にあった双眼鏡を手にすると海側を覗き込んだ。
「あ。居た居た」
「……結構多くね?」
「この距離、見えるのか?」
「目は良い方でね」
「双眼鏡貸してください」
「ほらっ」
「わぁ……確かに多いですね」
「今日の群れは一番大きな群れだからかも。幾つか群れがあって近くに寄ると1匹はあそこに顔を出してくれるんだ」
「へぇ」
遠くを見ながらレイエルは考察した。複数の発明品が神罰対象になった柑の例を見ても複数の功績で神罰対象になるのはあり得る話。アスディルの対象は、海に潜れる装置と動物と意思疎通できる能力ではないか。過去の神罰対象者の中には動物言語を解析する装置を発明した者も居る。
だがそれでも良いとレイエルは思っていた。アスディルがどんな理由であろうとも神罰の対象である事実は変わることは無い。ならばせめてその日まで穏やかに。そうレイエルは願っていた。
優しく穏やかな日常。それはいつか破綻するものだった。