003 赤色の悲哀02
ソレを前にレイエルと柑は苦い顔をして向き合っていた。
「これは……薬、ですね確かに」
「だろう?不味いとまでは行かないが美味いとも言えない微妙さ……」
2人の目の前にあるのはマナの実を剥いたもの。天界に来てから3日目で無意識に食事を求めた柑が食べるのを見守っている状態だった。
「……確かに一切れで良いですねこれは……仙丹に似ているな」
「センタン?」
「んと、さっき書物で見て思い出した仙道の秘薬です。めっちゃ不味い」
「へぇ……何があったかは判らないけれども身の回りの事は思い出せている感じか」
「の、ようですね。案外けろっと思い出しちゃうかもしれませんね」
「じゃあ発明品見てみるか?」
「あるのですか?」
「最高神様が没収したからどこかにあるはずだ。聞いておいてやるよ」
「ありがとうございます。レイ」
この3日間でレイエルと柑はすっかり打ち解けた。両者本の虫でありレイエルが長らく本で討論できる相手に巡り合えていないのも要因だが、敬語こそ抜けないものの柑はレイと呼び捨てにするほどになっていた。
「じゃあちょっと行ってくる。あっちの仕事も入ったし」
「気を付けてくださいね」
「判ってる」
「では、行ってらっしゃい」
「行ってくる」
幾年かぶりになる、行ってきますを言ってくれる相手。レイエルは心なし機嫌よく最高神の無茶ぶりを叶えるべく神殿へ向かった。
「楽しそうじゃん。レイエル」
「フォルエル……どうしたこんなところで待ち構えて」
神殿の入り口。いつもの場所で待ち構えていたフォルエルはレイエルに詰め寄る。レイエルは親友が何をあらぶっているのか身に全く覚えが無かった。
「そりゃ待ち構えるよ。暇なとき毎日のように顔見せに来てくれていた友人が最難関任務発生直後にぱたりと顔を出さなくなったんだから」
「3日だろ?」
「3日もだよ」
「誤差に近いじゃないかそれ」
天界において時の流れは長いようで早い。10年もあっという間、4000年以上を生きている彼等にとって3日など瞬きの間。それでもフォルエルはこの3日間レイエルを心配し続けていた。
「それでもっ無事かなと考えた僕の心配は受け付けて貰っても良いと思うんだよねっ」
「判った判った……任務は順調だよ。結構記憶の戻りは早い。仙道ったっけ?知能指数高いみたいで本の理論で討論できるぐらいだ」
「……そう」
「ちなみにアイツの発明品閲覧許可は最高神様で良いのか?」
「うん。あ、でも場所は知ってる。いつもの天界最下層の封印倉庫」
「あそこか……ん。まぁ間はどうしても開いちまうが様子見に来るから」
「……絶対だよ?」
「おう。っと、最高神様がお呼びだ」
「気を付けてね」
「お~」
レイエルはまっすぐに最高神の元に走る。その背を見送るフォルエルの瞳に彼方への猜疑心が生まれていることにも気付かずに。
最高神の間、中に入ってレイエルはまず命名の石板と名付けられている天井の石板に目を移した。字としてはこの数日で認識できたそれを読もうとしてもどうもうまくいかない。
「しーつぇ……違うな……」
「どうしたレイエル」
声が下りてくる。レイエルはそこでようやく最高神の前であることを思い出し、体制だけでも取り繕った。
「いえ。あの石板の文字について考察を。本日実物を前に考察してみましたが、確かに彼の国の字に似ていますが発音体系が違うのでしょう。何度読もうと試みても失敗します」
「ふむ……アレの字を使う国は周りにいくつかあったか……縁が出来た時にそこは読ませよう。本日の呼び出しは再びだが東の森だ。また魔物が湧いたらしい」
「此度の数は?」
「20程だ。スパスィエルとリスエルへ出陣命令を出した。合流し、向かえ」
「仰せのままに。あとひとつよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「柑・玲鵬の発明品の閲覧許可を。思いのほか記憶の戻りが良いため実物を見せればと思いまして」
「ふむ。よかろう。場所は最下層の頭脳封印倉庫。次にお前とアレが来た時に入れるよう整えてやろう」
「ありがとうございます。では」
「あぁ。励めよ」
最高神の前を辞し、スパスィエルの武器庫へ向かう。そこではすでに2人は戦闘準備を整えており、レイエルを待つだけだった。本来ならばリスエルは天界軍を指揮する身、だが天界軍は居ない。レイエルとの出陣時はいつもリスエル単騎だった。
「レイエルさん。今日はよろしくお願いしますね」
「おう。俺の分は?」
「ど~ぞ」
「リスエルまで出陣とは豪勢だな」
「20は確認された数ですからね。倍は見積もっておかないと」
「いや、たぶん5倍は見積もっておけ」
彼等の常識外の数字にスパスィエルとリスエルが固まる中レイエルは冷静に状況を分析しながら鎧を身に着けていた。その瞳は真剣そのもの。
「前回、おそらく10体が確認されていたはずだ。その結果が50。なら今回20確認されたなら100は居るとみて間違いない」
「そ、そんなに……」
「俺の任務にスパスィエルとリスエルが追加されたのがそれを予期してる最高神様の思惑だろうよ」
「……その思惑に、レイエルさんは乗るんですね」
「……どんな思惑でも、俺を生かしたのは最高神だ。乗るしかないんだよ」
鎧を付け終わったレイエルはよく借りる剣を手に取った。調子を確かめると門へと足を向けた。
「行くんだろ?置いてくぞ」
「……はいっ」
「ったく……判りましたよ」
3天使は現場へと一直線へ向かう。
そしてレイエルの予感は最悪の形で的中する。
太陽が地平線へ落ちようとしている頃、フォルエルは仕事を放棄しレイエル達を待っていた。今日の出陣がスパスィエルとリスエルとの合同と聞いて以来嫌な予感に苛まれ続けていたためだった。アレクエルが時折様子を見に来るが気を使って仕事を持ってくることはしない。主の居ない武器庫でフォルエルはただひたすら親友達の帰還を待ち望んでいた。
「フォルエルっっ」
ばさりと翼の音と共にスパスィエルが舞い降りた。その身体はいたるところがボロボロで、傷さえ見えた。
「すぐに、泉にっあとマナの原液もっ」
「スパスィエルっどうしたのっレイエルは」
「どけフォルエルっ」
荒々しくリスエルが誰かを背負って駆け抜ける。かろうじて髪の毛の色でレイエルと判断できたその身体は迷わず清めの泉へ向かっていった。
「どう、なって」
「とにかくっ今はマナをっ現場で応急処置もしましたけどっ」
「判った。アレクエルっ居るでしょ?ビアへエルとアナラエルもっ」
「聞こえたわよっ」
「お任せをっ」
怪我も酷いスパスィエルを連れてフォルエルは清めの泉へ向かった。そこにいたレイエルは、左肩に大きな傷を負っていた。
「レイエルさん……僕を庇って……それでっ」
「こんなもん寝てりゃ治る……っ……」
「お前ふざけんなよっ外傷は此処だけだろうが、打ち身は相当酷い筈だ」
「……それこそ寝てれば治る」
「レイエル君っマナの原液持ってきたわよっ」
「スパスィエルとリスエルも怪我酷いじゃないかっほらさっさと食えっ」
「……とりあえず原液を摂取して。スパスィエルも清めて。君も酷い怪我だ」
「レイエルさんに比べたらこんなのかすり傷です……でも、そうですね。清めてきます」
スパスィエルが清めの泉へ入るとレイエルは嫌々マナの木の樹液原液を飲んでいた。みるみる肩の怪我が治っていくのを見てスパスィエルはほっと息を吐いた。
「今日は騒々しいな」
清めの泉の上部、最高神は相変わらずそこから眺めていた。マナの原液を飲み切ったリスエルは込み上げる怒りを抑えながら、天界軍を統べるものとして頭上の主へ戦果を報告する義務を果たした。
「恐れながら、東の森の魔物、本日会敵した数100を超え、神の軍勢一丸となって対応するべき事態かと思われます」
「100か……東の森の結界は?」
「回復したはずですが綻んでおりました」
「……だが、まだお前だけで対応が可能だろう?なぁレイエル」
その言葉に、フォルエルは心の奥底が凍り付くのを感じた。頭上に居る主は、最高神として仰ぐべき主は、何を言っているのか。だけれども、きっとレイエルは言うのだろう。何でもないことのように。
「……えぇ。まだ行けますね。今日は得物間違えたので遅れを取りましたがこの程度どうという事ではない」
「だろうな。お前はそうだろう」
「ですが、1つだけ望みを言ってもよろしいでしょうか?」
それは初めての事だった。レイエルはいつも戦闘に関しては最高神に言われるがまま行ってきていた。それが初めて意見を述べる。最高神の傍に控えるティミエルだけが苦い顔をするが最高神自身は何ごとも無かったかのように泉を見下ろしていた。
「許可しよう。話せ」
「では。お預かりした柑・玲鵬。この先彼の戦闘能力が戻った暁には特級天使と同等の扱いをお願いしたい」
「ふむ……まぁ元より殺戮者。構わない」
「アルト様っ……どういうつもりだっレイエル・ラージレットっ」
「なんというか、直感でな、アイツと組んだら面白そうって思ったんだ。最高神様のご許可も得たし、武術の方をさっさと思い出してもらわないとな」
「まぁ良い。神の軍勢を動かすほどでもないことならばそれに越したことは無いからな」
「そういう事だ。あ、この実、いくつか貰って帰るわ」
「全部あげるから怪我しないでぇっ」
「アナラエル……うん、泣くな?」
ギャン泣きのアナラエルとレイエルの会話の間に最高神はどこかへと消えていく。後に残されたティミエルは忌々し気に下に居る天使たちを見た後、彼もまたどこかへ消えていった。
「……フォルエル」
「……怒ってない……怒ってないよ……」
パチリとフォルエルの傍に静電気が起こる。最高神に近しいほど最高神の権能、雷の影響を受け感情の起伏で静電気を巻き起こす。口では怒っていないと言いつつ腹の中では煮えくり返るほど最高神へ怒りを向けていた。
「スパスィエル。鎧置いて帰るわ」
「絶対養生してくださいねっ」
「判ってるよ。今この状態で帰ったら同居人が煩そうだ」
「そういう意味では最高神様の無茶ぶりも良い方向に向かうんだね」
「ったく……フォルエル」
「何?」
「……いつも心配かけてるな」
「自覚があるなら心配かけさせないでよ」
「悪い。でもこれが俺でな……今更変えられないし、変わらない」
「レイエル……」
「じゃ、またな。適当に様子見に来るし、次は同居人の発明品見に来るから」
「判った。手配しておくけどちゃんと養生しなきゃ承知しないからねっ」
ひらひらとレイエルはマナの実を持った側の手で手を振る。それが右手側なのは言わずもがなだった。
「……正直、今日の俺とスパスィエルは足手まといでしかなかった」
「リスエル?」
「うん……100体の内レイエルさんだけで80体は倒していた……僕達なんてお荷物で、それなのに僕を庇って……っ」
「でもあんな戦闘こなしていたら、いつかレイエルは壊れちまう……そんなの俺だって嫌だ」
沈黙が泉を支配する。スパスィエルもマナの樹液原液を飲み、擦り傷を回復させた。決してリスエルたち神の軍勢が弱いわけでは無い。レイエルがただ1人強すぎるだけだった。
そのレイエルは、とてもいい笑顔の同居人に凄まれていた。マナの実を持ち帰って発明品を見に行ける話をしたまでは良かったのだが察しのよい柑に左腕がまだ動きにくいことを見抜かれたからだった。
「で?左肩を怪我して、あとは足に打ち身、お腹や背中にも打ち身ですね」
「お、おう。よく判るな」
「どうも人体に精通していたようでね。怪我人は見れば一発でどこが悪いか判るようなのですよ」
「……それも凄いな……」
「マナの実、半分いきましょうか」
「は?こんなの後は大気中のマナでどうにか」
「今度神殿とやらに行く際に御友人方に怪我の状況を事細かに報告していいならばそれでもかまいませんよ」
「……お前、性格悪いって言われたことないか?」
「覚えていませんが、言われたことは無いと思いますよ」
「……判った。マナの実半分でいけるんだな」
「えぇ。今日食べた感じと、その怪我の具合からして」
根負けしたレイエルは柑が朝食べたマナの実のおおよそ半分を切り分けかじりついた。何とも言えない味が広がるが確かに左腕は動かしやすくなり、身体の打ち身も痛みを訴えることは無くなっていった。
「……回復……すげぇ」
「普段は大気中のマナで寝てれば治るをやっていたんでしょうがね。効率的ではありませんよ」
「誰も見てなかったから気にもしてなかった」
「あのにぎやかな中級天使さん達は?」
「寝てると寝てるのねで帰るから」
「で、回復するまで寝ていると……そりゃ御友人方も心配になりますよ。ただでさえ僕みたいによく判らない人間を此処に置いているのに、任務で怪我を負ってなんでもない顔して帰ってきて」
「性分だ」
「はぁ……せめて僕も付いていければ一番なのでしょうがね」
「良いのか?」
「え?」
「いや、最高神にお前の武術の腕戻ったら一緒に連れてって良いって確約貰ったから」
「……手早いですね……まだ僕の腕前も見ていないというのに」
「勘は外したことが無いんでね」
「……それはそれは。一応御友人方の前で手合わせしてからにしましょう」
「よっし言ったな」
「とりあえず今日は寝るっ明日も丸々休んで明後日その発明品たちを見に行きましょう」
「判ったって」
ベッドに放り込まれたレイエルはしばらく身じろぎをしていたがやがて眠りについた。その横顔は穏やかで、柑は一息ついた。
「……貴方みたいな死にたがりは、どこの世界にも居るのですね」
柑のつぶやきは誰も居ない図書館に落ちて、消えていった。