002 赤色の悲哀01
その呼び出し連絡がレイエルの元に来たのは大量魔物駆逐事件から6日後の事。いつもならば念話と呼ばれる頭の中に直接語り掛ける最高神だけが使える通話手段で一方的に呼び出すのだが今日は神殿から直接文章が送られて来た。首をかしげながらもレイエルはいつも通りに神殿へ赴く。そして入り口にアナラエルの姿を見てさらに首を傾げた。
「あれ、アナラエル?」
「いらっしゃいレイエルちゃん。皆さまお待ちかねよ」
「何もかも珍しい。大体フォルエルの奴が待ち構えてるのに」
「今日はフォルエルちゃんも最高神様の横よ。さ、行った行った」
促され最高神の間に足を踏み入れる。入っただけで、その威圧感は存在していた。
最高神の玉座の下、重厚な手枷と足枷で縛められているそれは、まぎれもない人間の青年だった。
「来てもらってすまないなレイエル」
「……何事だこれは」
「昨日神罰を下した。彼は人の身では成しえてはいけない領域まで知識の翼を広げてしまった」
ビアへエルの地上の観察は主な任務がこの異端の発明家を探し報告すること。調査しその発明家が神の領域に手を届かせようとしているならば神罰という形で拘束。通常ならば天界に来た時点で人間は死亡していて、神界最下層の頭脳倉庫と呼ばれる場所に発明品が格納される。だが、今回の青年はどう見ても生きていた。
「……生きた人間をこの神界で拝めるとはな」
「私も驚いた。まさか、神罰を下され、天界に連行されてまさか生き延びるとは……今回それはどうでもいい。生きているのならばそれは良いことだろう。ただ問題があってな」
「問題?」
「この人間……ケン・レイホウは神罰の時点で記憶喪失になっていたようで、現時点でも自分が何者なのか判らない状態のようなのです」
「せっかく没収した発明品の説明を本人から聞ける好機だというのに。それはあまりにも残念。と言う訳だ」
「……まさか」
嫌な予感に玉座を見る。表情一つ変えず座っている最高神アルトは拘束された青年を見て、レイエルを見た。
「ケン・レイホウは元々書物に囲まれ穏やかに暮らしていた。確か仙道とか言ったか?寿命を延ばす修行を行う者たち。その内の1人だった。ならばレイエルの図書館は都合がいいのではないかなと思ったのだ」
「……言うと思ったよこの最高神様は」
「不敬だぞレイエル」
「構わないティミエル。レイエルはそうでなくてはな」
「御意」
不満げなティミエルに周りのレイエルの知り合い天使ははらはらと見守っている。一番心配しているのはティミエルの反対側で最高神の傍にいるフォルエルだった。
「判った。ただし」
「なにかね?」
「家には中級も来るんだ。あんな威圧感満載の枷はお断りさせてもらうぜ?」
「……ふむ。それもそうか」
ぱちんと最高神アルトが指を鳴らせば仰々しい大きさの枷はすべて腕輪サイズとなった。突如として軽くなった身体に慣れなかったのか黒い髪を揺らし、青年はそのまま倒れ込んだ。
「じゃあ預かる。それで良いんだな」
「あぁ。出来れば記憶がすべて戻り、あの発明品の説明をしてもらえると助かる……あと、あの古代文字も解読してほしい」
「あれをか?」
最高神とレイエルが見上げた先。最高神の間の天井近くには1つの石板が嵌められていた。其処に書かれているのは2つの文字。文字と伝わっているだけで、天界にて使わている文字とも地上で広く使われている文字にも似てはいない。そんな文字の解読こそ最高神の悲願だった。その石板は彼が8柱の原始の神から最高神の座を賜った際、名として贈られたもの。他の者に通じるアルト・エーラと言う名も賜ったものだがその石板の名はすべての力を引き出す為に必要なトリガーとなっていた。
「彼の国で使われていた文字がとても似ている。だから期待しているぞ」
「……こいつの回復次第だな」
レイエルは青年を担ぎ上げる。見た目の想像以上に軽い身体を担ぐとそう言えばと振り返った。
「人間はマナでは栄養を取れない。それはどうなっている?」
「神罰の時点でマナにて栄養を取れる体に変化させている。しかしそうだな。慣れないようならば果実を与えればいい。マナの実は特になじむまでの補助に良いだろう」
「判りました。本日のご用件は以上ですね?」
「あぁ。頼んだぞレイエル」
「お心のままに、最高神アルト・エーラ様」
青年を抱えたまま器用に礼を取ったレイエルはそのまま神殿を出ようとした。だが入口のアナラエルに引き留められた。入口で青年を横に抱えたまま不承不承ながらに待っているとぱたぱたとフォルエル達先ほど最高神の傍にいた知り合い天使たちが駆け付けた。
「なんでっ2つ返事で了承しちゃうかなぁっ」
「仕方ないだろ最高神のご命令なんだから」
「でもぉっ」
「目覚めない場合だってあるんだよ?」
「そしたら家に寝かせておくだけだ。そっちの方が何倍も楽だ」
「そうかもしれないけれども」
「とにかく俺は帰る。またな」
「うん……気を付けてね」
そうしてレイエルは青年を自分の図書館まで連れ帰った。ソファをベッドに作り替え、横たわらせる。そしておそらく彼の出身地付近である地域の書物を紐解いた。この図書館の蔵書は地上の大半を占める東の国だけではなく彼の出身地である西方の地すら網羅している。はらりと紐解いた西方の文字の欄を見ながらレイエルは思考の淵に落ちて行く。
「……確かにあの字は似ているな……でもならなんで読めないんだ?読み方が違う……発音形態が違う……」
「んっ……」
身じろぎをして瞳が開かれたのを確認し、レイエルは最大限の警戒をしながら彼に近づく。記憶喪失とは言え戦闘の記憶まで無くしている保証はなかった。だが青年は覗き込んだレイエルを見るとぽかんとしただけだった。
「あの……ここは?それに貴方は」
「自分の事は?」
「名前……あれ……?」
「……まずお前の名前からだな。ケン・レイホウと言うらしい。もっとも文献を見る限りレイホウ・ケンが名字と名前の正しい順番だろうがな」
「ケン……柑……あぁそうだ……僕の名前……玲鵬柑……」
「それ以外は?」
「まったく」
名前を大事に握りしめていた柑は外の事となると肩をすくめて否定した。その落差が面白くてレイエルは椅子を持ってきて座って話を始めた。
「そうか。どうやらお前さんは神の怒りを買っちまったようでな神罰によって此処、天界へ連れてこられた。俺はその天罰食らわせた神からお前を預かり、家に連れてきた。あぁ、レイエル・ラージレットと言う。言い辛かったらレイで良い」
「レイ……さん……僕はどうなるのでしょうか」
「その両腕と両足についているのが枷だ。名目上は虜囚だが感覚としては招かれた客人に近い。何せ、天罰を喰らって生きてこの神界に辿り着いた人間は……永いこと生きているがお前が初めてだろうよ」
「そう、なんですか?」
そっと柑は自分の両腕に付いた鎖状のブレスレットに擬態した枷を眺める。そんな彼の姿を見ながら記憶が無いのは本当の事だろうとレイエルはあたりを付けた。
「だから最高神はお前が神の怒りを買う原因になった発明品の解説を求めている。だが」
「……すみません。自分の名前以外何も……」
「だろうな。まぁなんかの拍子で記憶が戻るかもしれない。天界の住人は長生きな分気も長い。ゆっくり思い出しても問題ないだろうよ」
「……でも、ここでお世話になる訳には」
「構わない。どうせ1人暮らしの司書だからな。本なら腐るほどあるから好きに読んでいいぞ?客人は本を読む気のない天使ばかりだ」
「……良いのですか?」
「あぁ。よく無かったらそもそも最高神から預かってこないからな」
そう言ってレイエルは柑の瞳を見る。茶に近い赤の瞳は揺らいでいて、それでもと前を向いた。
「お世話になります」
「あぁ。とりあえず適当に読んでいてくれ。此処に来られた段階で神域文字の読み書きは出来るようになっているはずだ」
「……本当だ……あ、これ……見覚えがある文字だ……」
「お前さんの出身地域の文字らしいな。よくそんな角々とした文字を書けるもんだ」
「朧気ながら理解した分で言うならばすごい画数の文字もあったみたいですよ。詳しくは覚えていませんが」
「へぇ……帰ってきたらその辺の話も聞いてみたいな」
「どちらへ?」
「食うもの調達してくる。如何せん食事の必要は無いが、しばらく慣れる為にも果実あった方が良いだろって最高神様のご指示だよ」
「……置いていっても良いのですか?」
「枷は逃亡防止にもなってるし、盗まれて困る物なんて無いからな」
レイエルは対価になりそうな鉱物を手に取り塀の中の市場へと向かった。残された柑はあっけなさにぽかんとしていたが穏やかにほほ笑むと自分の出身地について書かれている書物を大切に読み込んでいった。
塀の中の市場には唯一食料の分類に属されたマナの実を売っている食材屋がある。其処に辿り着いたレイエルはいくつか良い実を見繕うと鉱物と交換で入手した。
「で?迷子になりやすいお前が、わざわざ神殿から出てきてまで説教か?フォルエル」
「……レイエルには聞いておいてほしいことだから」
「手短にな」
人気のない塀の傍まで歩いていったフォルエルとレイエル。揃って並び、空を見上げる。其処に輝く太陽は太陽の一族が司っている物。太陽の王は最高神とは真逆のまさに太陽のような青年であることを思い出しているとフォルエルはようやく重い口を開けた。
「さっきの、ケン・レイホウの話。最高神様はあれだけしか言わなかったけれども」
「まだ何かあるのか?」
「……神罰が下るその直前まで、ケン・レイホウは自分と同じ仙道と呼ばれる人間を殺しつくしている」
「……あの細っこいのが?」
「そうだ。その数こちらで確認しただけも5000。敵対していた人外も含めると万はくだらない筈だ」
レイエルは先ほどまで一緒に居た青年の姿を思い返す。確かに武術はやるのだろう。必要最低限の筋肉は付いていて、それでもその身体はフォルエルと変わりないほど細身だった。
「……あの細さでねぇ」
「だから」
「気を付けろってか?」
侮るなの表情を向けられたフォルエルは押し黙る。それでもと何とか親友の為ならばと言葉を口にした。
「だって……だってレイエルは……いつも無茶して……」
「まぁそりゃ心配になるよな」
「だったら」
「でもな。アイツの目、きっと重すぎる理由があってそうしたってわかる目をしていた。記憶喪失だって神罰の前だったんだろ?」
「そう、聞いてはいるけど」
「ならその大量殺人の反動だろうさ。記憶を取り戻して不老不死絶対殺す状態ならまた考えるが……アイツはそんな感じじゃないよ」
「どうしてそんなことが言えるのさ」
「勘」
「か……は?」
「昔から勘は外したことが無いんだよ。お前が俺の味方になってくれるって勘で思ったようにな」
そう言ってレイエルは淡く笑う。仏頂面がデフォルトのレイエルが笑うのは心を許した物の前だけ。それでも見られることは殆ど無い笑顔にフォルエルは見入っていた。
「っと。戻らないと。フォルエルもだろ?」
「う……わかっているよ……アレクエル待たせているし」
「早く戻ってやれ」
「うん……でも、気を付けてね」
「心に留めておく」
近くに控えていたアレクエルと共に立ち去ったフォルエルと別れたレイエルは急ぎ自宅へと戻った。あのお気楽中級天使たちがやってくる前にと思ったが自宅兼図書館から聞こえてきた声に遅かったと天を仰いだ。
「すごぉいっこんなにもご本を読めるのねっ」
「えっと……」
「楽しいのか?楽しいのか?」
「その……」
ドアを開ける。そこにいたのは多数の書物を積んで読んでいたであろう柑とその周りを舞うスィデエルとアツァエルの姿だった。
「スィデエル、アツァエル」
「あらレイエル。おかえりなさい。この方はどなた?」
「客人だ。今日から此処に住む」
「そうなの。ご本を読む速度が速いからびっくりしたわ」
「うんうん」
「の、ようだな。本を読んでくれる奴が居るのは俺も本も助かる」
「そう、ですか?」
「あぁ。ほらお前らは帰れ。暇人ども」
「はぁい」
「またね、髪の短いお兄さん」
ふわふわといつもの中級天使たちが帰るのを確認し、レイエルは気付かれず息を吐いた。柑の枷は枷として機能しつつ中級天使に影響の無いように正しく作動している。それを確認できたのは良かった。そしてレイエルは柑の手元を見る。いつの間にか人間界の他の国の事を記した書物に移っていて、見れば柑の周りの書物は殆どが彼の国や他の国の事を記した書物だった。
「……楽しいか?」
「はい。本を読むのは好きだったようで、きっと行ったことのない国の事もここでは読めるから」
「そうか……天使の主食は大気中のマナ。お前もここに来た時点でその栄養摂取で大丈夫なんだが、固形物を食べないと不安になる時もあるだろう。で、買ってきた。マナの実だ。一切れで100日は生きていける代物だ」
「……便利ですね。今よく覚えていないのですけれども地上でそんなすごい食物があればよかったのにと真剣に思っています」
「神罰対象ってことは大体研究者だ。研究に没頭して食事忘れるタイプだったんだろう」
「かも、しれませんね」
「ま、気が向いたら食ってくれ。食いすぎは体壊すから適度にな。正直原木とか実とかはそこまで美味いもんじゃない」
レイエルの言う通り、天使の身で贅沢は言えないが大気中のマナはともかく原液や実のマナは美味しくはない。それでも怪我を治すにはと無理やり食べること多々。レイエルの中でアレは薬のようなものと認識していた。とにかく美味しくない。ただ其れに尽きる。
「実があるということは木があるのですね」
「あぁ。樹液、葉から出る養分、実が熟しきって弾けた時。大気に触れた瞬間から大気中のマナとなる。あと原液とか実を食べるのは怪我した時だな」
「怪我とか、するのですか?」
「こう見えて荒事の討伐許可持ちの特級天使でな。怪我は日常茶飯事だよ」
「……変わっているって言われません?」
「言われ続けてもう何も感じないぐらいにはな」
笑い声が零れる。ようやく笑った柑を見ながらレイエルは再び最初に読んでいた本を手に取った。
静けさを取り戻した図書館にはしばし、2つの本をめくる音だけが響き渡っていた。