間章 天利悠希の恋愛事情・五
突然振り出した雨に、私達はとりあえず、街路樹の下に逃げ込んだ。
「まったく。天気予報も当てにならないわね」
幸いなことに、すぐに避難した為にほとんど濡れてはいないけれど……。
「でも、どうしよっか?」
嶋搗に尋ねる。
雨は、けっこう勢いが強い。
「しばらく雨宿りしてもいいが……いつ止むかも分からないからな」
空は、灰色。
すぐに止む様子ではない。
「んー……あ、あれコンビニじゃない?」
道のずっと向こうに、それらしい店を見つける。
「ん……ああ、そうかもな」
「ビニール傘、買おっか」
「そうするか……それじゃ、お前は待ってろ」
「え……?」
嶋搗の言葉に首を傾げる。
「二人揃ってあそこまで濡れてくことないだろうが。俺が買ってくる」
あー……。
そうよね。
あそこまで行くにしても、このままじゃ二人ともずぶ濡れだ。
でも、だからって嶋搗だけ濡れさせるってのもなあ……。
「じゃんけんで決めない?」
言う私に、嶋搗は気の下からさっさと出てしまった。
「あー!?」
「手遅れだな。もう濡れちまった」
言うと、嶋搗はさっさと走り出してしまう。
……はぁ。
変に強情な奴……。
まあ、帰ってきたらお礼の一つでも言えばいいか。
†
「シーマンはどこの紳士だ?」
「本人としては無自覚でやってるんだろうけどね」
物影から明彦と、残った悠希の様子を窺う。
ちなみに、私達は二人ともずぶ濡れ。
尾行してるせいで派手に動けないから、雨が降って来た時に避難しきれなかった。
……もうここまで濡れたら、むしろ意地でも悠希から目を離すわけにはいかないよね。
その時、
「って、なんだありゃ?」
悠希の目の前で、一台の車が停止した。
「ほんとだ、なんだろ……」
その車の窓が半分くらい開いて、見知らぬ男の人が顔を出す。
髪を金髪に染めた……なんて言うんだって、ああいうの。えっと……そうだ。チャラい、だっけ?
「明彦の同類みたいな人だ」
「失礼な。オレは派手なだけで決してあんな馬鹿そうな顔はしてない」
そうでもないと思うよ。
「で、あれは何をしてるんだ?」
「えっと……ナンパ?」
その男の人が悠希に話しかけるが、悠希は二言三言返すと、それっきり無視を通す。
それでもめげずに、男の人はついに車から降りて悠希に近づいた。しかも一人じゃない。車の中から現れたのは、三人。
全員、最初の男の人と同じ系統の人達だ。
……うわー。
「三人で女の子一人ナンパとかねーわ」
隣で明彦が呆れたように呟く。
うん、私もそう思うよ。
「助けた方がいいと思う?」
「いんや、必要ねえだろ。あんな軽そうな男三人でアマリンがどうこうできるわけねーっての」
「だね」
†
……傘がない。
コンビニについて、思わず唸る。
どうやら、この雨に困っていたのは――まあ当然だが、俺達だけではないらしく、傘は飛ぶように売れてしまったようだ。
さて、どうしたものかな。
とりあえず、レジに向かって、店員に傘の余りはないかと尋ねる。
すると店員は店の奥に入っていって、少ししてビニール傘を一本だけ持ってきた。
どうやら最後の一本だけ、偶然にも余っていたらしい。
一本か……まあ、残ってただけ十分だろう。
俺はそれを買って、さっさと天利のところに戻ることにした。
†
天利さんからは気付かれないようなところで、雨宿りをしていた。
嶋搗君が、コンビニに向かって駆けだす。
ああ、傘を買ってくるつもりなのかな……。
優しいんだな。
そんな彼だから、天利さんも付き合ってるのだろう。
それを思うと、なんだか溜息が零れてしまう。
この天気のように、気分がどんどんと陰鬱になっていった。
はあ……。
と、天利さんの前で、一台の車が停まったことに気付く。
あれ、誰か知り合いかな?
思ったが、車から顔を出した男性と天利さんの様子からして、それはないだろう。
明らかに天利さんは、話しかけられるのを鬱陶しがっていた。
しばらくすると、男性が車から降りてくる。他にも、二人車の中から出て来た。
その人達は天利さんに詰め寄ると、車に乗る様に迫っているようだ。
……いけない。
飛び出して行こうとして、ふとその足が止まってしまう。
ここで出て行ったら、天利さんに今日一日付きまとっていたのが気付かれてしまう。
それに、僕があの三人をどうにか出来るのだろうか?
……でも。
でも、ここで逃げたら僕は何も変われない。
天利さんを好きになったあの日、変わるって、そう決めたのに。
気付けば。
僕は天利さんにむかって駆けだしていた。
†
うざい。
「いいだろ? 家まで送ってあげるよ」
「ついでに楽しいところにも寄ってこうぜ!」
「金もあげよっか?」
あー。
結構日常茶飯事にこんなことはあるんだけど……今日は特別うざい。
なんだろ。
酷く気分が害される。
「さっさとどっか行ってくれない? 邪魔」
言うと、男達は顔を見合わせ、笑いだした。
「かっけー!」
「そういう子大好き!」
「お前Mかよ!」
……よーし。
さっさと手、伸ばしてこないかなー。
セクハラでぶっ飛ばしてやる。
「まあ、とりあえず車乗れって」
きた……。
男の一人が、私の方を掴む。
よし顔面殴る。
そう決めて、拳を握り締めた――その瞬間だった。
「や、やめてください!」
そんな声が、雨音の中に混じった。
「ん?」
「あ?」
「お?」
男達が、奇妙な三重奏で振り返る。
そこに立っている姿に、私は見覚えがあった。
……大和銀河。
そういえば……このデートって大和がついてきてたんだっけ。
正直、ちょっと頭から抜け落ちてた。
それで、その大和がどうしてこんな堂々と現れたの?
「い、嫌がってるじゃないですか!」
なんという正義の人。
どうやら私を助けに出て来たらしい。
ちょっと見直す。ただのしつこいだけの優男ではなかったようだ。
「あん、なんだお前」
「邪魔すんなよ」
「どっか行け、ほら」
男達が、大和を囲んだ。
それに怯みながらも、しかし大和は逃げない。
「僕より先に、貴方達がどこかに行ってください!」
なかなか挑発的な発言だった。
まあ、でも……、
「んだと、このガキ……!」
見かけに違わず、あっさりとキレた男の一人が大和に掴みかか――ろうとしたその手を、掴む。
「あ……?」
そのまま手首を中心に、男の足を払い、その足を地面に叩きつける。
「まず、大和に言うことは、実力の伴わない啖呵はきらないほうがいいってこと。そういうのは嫌いじゃないけどね」
そのまま、足の爪先で掠めるように地面に倒れた男の顎を蹴る。人間というのは案外脆いもので、例え軽くであっても急所を狙われるとそれなりの効果を受けてしまうのだ。
顎から伝わった衝撃が、男の脳を揺さぶる。
「う、おぅぇ……!」
それによって、酷い吐き気でも覚えたのか、倒れたまま嘔吐する。気持ち悪いものは見たくないのでさっさと視線を逸らす。
「な……!」
「それで、馬鹿三人にいいたいのは二つ」
驚いている男の片割れの襟首を掴んで、引き寄せる。そのままの勢いで首の後ろに手刀を叩き込んで、意識を奪った。
「一つは、女の子の肩をいきなり掴むのはセクハラってこと」
そして最後の一人。
「もう一つは、」
私は男の背後に回り込むと、その腕をつかんで、思いきり捻りあげる。
「――っ!」
男がその痛みに呻き声を漏らした。
「ナンパするならもう少し女の子の気持ちを理解出来るようになってからしたほうがいいわ、ってことよ」
「っ、わ、分かっ、た! 悪かった、悪かったから、も、止め……!」
……まあ、いっか。
気は済んだので、わめく男を離す。
すると男は嘔吐する男と気絶した男を車の中に押し込むと、そのまま車を発進させた。
「それに、ナンパする相手はちゃんと選ぶことね」
……あ。
三つになっちゃった。まあ、いいか。
さて、と。
「大丈夫?」
「あ、はい……」
私が尋ねると、大和は呆然としながらも、こくりと頷いた。
†
「隊長! 非常事態!」
「まさかここでしゃしゃり出てくるとは思わなかったぜ……! 正直今の今まであいつの存在を忘れていた!」
「私も忘れてた! でも、どうしよう……?」
「くっ……もうこうなったら手遅れだ。見守るしかねえだろ……」
「折角ここまでいい調子だったのに……あ、臣護だ」
†
「あん……?」
戻ると、天利の側に見慣れないやつがいた。
……なんとなく、あいつが大和銀河なんだろうな、と察する。
しかし、どういうことだ?
天利の足元に……形容するのも気持ち悪いものが広がってるんだが……。
「天利」
「あ、嶋搗。お帰り」
声をかけると、天利はあっさりと俺を迎え、大和銀河が片をびくりと震わせた。
「それで、これは一体どういう状況なんだ?」
「あー、手短に説明すると……」
天利が俺がいなくなってからあった出来ごとを説明する。
……なるほどな。
「あ、あの……すみませんでしたっ!」
と、いきなり大和銀河が頭を下げた。
ん……一体なんだ?
「その……実は、今日一日、お二人の後を……その、つけて、ました」
「まあ気付いてたけどな」
「ええっ!?」
大げさなくらいに大和銀河が驚く。
……なんてことない。
天利の話を聞いて、しつこくて粘着でストーカー気質の男かと思ったら、案外そうでもないんだな。
「そ、そうだったんですか……」
申し訳なさそうにする大和銀河を見て、一つ、溜息。
……ったく。
「ほら」
「え……?」
大和銀河に持っていた傘を投げ渡す。
それを慌てて受け取って、大和銀河は俺を見た。
「これは……」
「コンビニまで行ってた俺よかお前の方が濡れてない。お前と天利で使った方がいいだろ。送ってやれ。俺の家はここから近いしな」
「ちょっ、嶋搗!?」
天利が声を上げるが、無視。
「じゃあな」
そのまま、さっさと歩きだした。
大体、何で俺はこんな茶番に付き合ってたんだったか……。
†
「シーマン!?」
「臣護!?」
オレとアイアイの声が重なる。
あいつ、なに格好つけちゃってんの!?
ここでアマリンを送るのはお前の役目だろーが!
「くっ、臣護の馬鹿……!」
「全くだ! シーマンは何考えてるんだ! 理解できねえ」
「好き勝手に言ってくれるな」
「そりゃ言うよ! まったく本……と、う……に……」
「もうこうなったら、ここは一発殴……って、あれ?」
あれ、この声は……。
オレとアイアイが振り返ると……そこには、今話題のシーマンその人が。
おんやー?
「つかぬことをお伺いしますが、シーマンさんや」
「なんだ?」
「……いつから、気付いてたのかな?」
「カフェのところからだ。お前、双眼鏡に日光が反射してたぞ」
「しまった――!?」
なんという初歩的ミス!
「明彦の馬鹿!」
アイアイに頭を叩かれた。
「さて、と。それじゃあお前ら……変な茶番に付き合わせてくれたお礼をしてやろうか?」
「ま、待つんだシーマン! オレ達は、お前とアマリンのことを考えて……!」
「そ、そうだよ!? 私達は、臣護達がいつまで経ってもはっきりしてくれないから……」
「意味の分からないことを言ってんじゃねえ。さっさと行くぞ」
「え? 行くってどこに?」
「俺の家だ。このまま風邪引くのも馬鹿馬鹿しい。風呂くらいは貸してやる」
そういや、オレ達びしょ濡れだっけ。
……シーマン、まさか、なんだかんだ言ってオレ達の身体のことを気遣って……!?
「その後で、ゆっくり話は聞いてやる」
ですよねー。
ちなみに。
シーマン宅にて。
「もうアマリンと結婚すれば?」
「私もそう思う」
「そんな冗談を言ってる余裕があるなら土下座させてやろうか?」
すみませんでした。
……こりゃ、もうしばらくは無理っぽいな。
間章なのにナゲー!