5-11
一番好きな泳ぎ方は、潜水。
水中を見るのが好きなのだ。
水面から差しこんだ光とかが綺麗で、なんだか落ちつく。
ついでに言うと、ゴーストのお陰で肺活量は人一倍あったりする。
長い潜水を終えて、私は水面を突き破って顔を出した。
「っぷは」
肺に酸素を取り込む。
「佳耶は泳ぐのも上手いわね」
さっきまで一緒に潜水していたのだが、息切れで先にリタイアしたリリーがそう言う。
「んー、ほら。リハビリの一環であったんだよ、水泳は」
リハビリ、というのはもちろん私が身体を動かせるようなった時のことだ。
ゴーストで身体を補助したのはいいが、流石に今まで何年もベッドに縛られていた私がいきなり身体を動かせるわけがない。そこで、リハビリを半年くらいやっていたのだ。
しかし、思い返せば、ゴーストを身体に馴染ませるまでにかなり痛かった。
全身激痛に襲われたまま温水プールで溺れかけたのは一度や二度ではない。
……よく私、水にトラウマできてないなあ。
「……ごめんなさい。嫌なことを聞いたわね」
「別に謝らなくていいよ。そりゃ嫌っちゃ嫌な思い出だけどさ、でもそれがあったから私はここにいることが出来る。だから、その思い出に気分悪くしたりはしないよ」
むしろ、この思い出は結構大切にはしているのだ。
頑張れた自分は、好き。
頑張れない自分より、ずっとかっこいいと思うから。
私にとって、リハビリしていた頃の私は目標で、同じくらい頑張って、それ以上にかっこよくなっていきたい。
……ちょっとくさいかな。
まあ、とにかく、
「そんなこと気に病むよりさ、時間がもったいないよ。遊ぼう?」
「……佳耶は、強いわね」
「え……?」
小さくリリーがこぼした言葉を聞き取れかった。
「いえ。なんでもないわ……それじゃあ佳耶。競泳しましょうか。向こうの岩場まで、どう?」
競泳か。
「私、手加減しないよ?」
「あら、佳耶。私がそんなもの、必要とするとでも思っているの?」
不敵なリリーの笑み。
「潜水ならともかく、競泳でなら、佳耶にも負けるつもりはないわよ?」
「言うね」
自信、あるみたいだ。
でも、私だってそれは同じ。
私の身体能力を舐めてもらっちゃ困る。
「それじゃあ、早速いく?」
「いいわよ」
私とリリーが、今にも飛び出せる体勢をとる。
「……三……二……一……」
波が揺れる。
「ゼロ!」
その波間に、私達は飛び込んだ。
†
「ねえ君達。もしかして二人だけ?」
そう話しかけて来たのは、金髪二人組。
「今はそうだが、それがどうした?」
お姫様は分かってないみたいだけど、私はもうなんとなくその二人の目的が解っていた。
……というか、うん。
分かりやすい態度してるよ、この人達。
「まともに取り合っちゃだめだよ。それ、ナンパだから」
「ナンパ?」
聞きなれない単語らしく、お姫様が首を傾げる。
「んー。唐突に男が女に言い寄ることだとでも思えばいいよ」
「ほう」
と、お姫様が興味深そうに男二人を見た。
「ナンパか?」
「ぶっちゃけると、そう。君達すごいかわいいし。外国人? 日本語上手いね」
……お姫様、どういうつもりなのかな。
ナンパなんて付き合っていいことない、っておじいちゃんが言ってたよ?
しかも、私は見た目普通に子供なわけで、そんな私も含めてナンパしてくるって、絶対に真っ当な神経してないよ。
「勉強したからな」
「へー! 日本好きなの?」
「ま、嫌いではないさ」
「そっか。それじゃあ俺達が日本のこと、もっとよく教えてあげようか?」
……うわー。
なんというか……下手なナンパだなあ。
もっとまともな文句はなかったんだろうか。
「ほう。例えば、どんなことをだ?」
「そうだな……気持ちよくなれること、とか?」
にやにやと男が言う。
――これ、いつまで付き合わなくちゃいけないんだろ。
そんな気持ちをこめて、お姫様を見る。
「気持ちよくなれること、ね。ふん……一応聞くが、どうやるのだ?」
「そりゃもちろん、こうやって」
ついに、男がお姫様に手を伸ばした。
その手が肩に触れて、さらにもう片方の手がお姫様の胸に伸びた――その時。
お姫様が男の手を掴んで、そのまま男の身体を水中に沈めた。
「ナンパはどうかしらんが、セクハラが犯罪だということくらいは知っているぞ?」
にやり、と。
お姫様が水中で暴れる男を抑えつけたまま笑う。
……うわー。
「っ、て、てめっ……なにしてんだ!」
呆然としていた、もう一人の男がお姫様に掴みかかろうとして、それをひらりと避けてお姫様は沈めていた男を離し、私の横にやってくる。
「問題はあるか?」
「好きにしなよ」
お姫様、ずっと王宮の籠の鳥だったから、身体動かすのが嬉しいみたいだね。
短い言葉の応酬の後、お姫様はどこか愉快そうに男二人を見た。
「がほっ……てめぇ、なにしやがる」
「セクハラという犯罪に抵抗しただけだが?」
「っ、この、クソ野郎!」
あっけらかんとしたお姫様の態度が頭にきたのか、汚い言葉遣いで男が拳を振り上げた。
気、短いな。
「二つ言わせてもらおう」
お姫様が自分に振るわれる拳を視界にとらえながら、冷静に言った。
「まず、妾は女で、野郎ではない」
お姫様の頬を捉える筈だった拳は、しかしお姫様が身を引くことで空を切る。
「そして……男が簡単に女に手をあげるな」
そこから、お姫様の裏拳が男の顔面に叩き込まれた。
容赦ないなあ。
そんなことを考えている私の背後に気配。
「おい、動くんじゃねえ! 動いたらこのガキ――」
「ガキ扱いは嫌いなんだよね」
その単語が耳に入った瞬間に、後ろに立つ男の鳩尾に肘を叩き込む。
さらに、それで身体をくの字に曲げた男のこめかみのあたりに、上段蹴りを放った。
「酷いな。手加減はなしか?」
「いやいや、私が手加減してなかったら今頃この人死んでるって」
苦笑。
「て、てめぇら……こんなことしてタダで済むと思ってんのか!?」
と、お姫様の殴った男が鼻血を流しながら叫んだ。
私のやった男は軽い脳震盪を起こしているらしく、苦しそうな顔でこっちを睨んでいた。
「ふむ……もう少し灸をそえるべきか?」
「もういいよ。時間の無駄だから、もう行こう」
周りからいろんな人達がこっち見てるし。
目立つのは、あんまりいいこととは言えない。
シオンにもお小言とか言われそうだし。
「それもそうか……」
お姫様の周りから注がれる視線に気づいたのか、肩をすくめる。
「待ちやがれっ! てめぇら、覚えておけよ!」
三下な台詞を背中に、私達はさっさとその場を離れた。
†
岩場にたどり着いたのは……二人同時だった。
「むぅ……惜しかったなあ」
リリーは、速かった。
というか、普通に驚いた。
まさかここまで速いとは……。
私より手足が長いっていう点もあるんだろうけど、それにしたって私に並ぶなんて、普通は出来ることじゃない。
舐めてたのは私だったなあ。
「私も捨てたものではないでしょう?」
「そだね……うん。凄いよリリー」
リリーは褒められて満更でもなさそう。
「でも、少し疲れてしまったわね。そこに腰を下ろしましょうか?」
言って、リリーが岩場の一角を指さす。
頷いて、私はその岩場によじ登ろうとしたところで――波が襲って来た。
「うわっぷ!」
岩場だからだろうか。波がちょっと激しい。
油断したら身体、持っていかれちゃうかも。
「気をつけてね、佳耶」
「うん。そういうリリーも――きゃっ!」
言ってる傍からまた波。
岩をしっかりと手で掴んで耐える。
……と。
「え、ちょ……ええ!?」
波の衝撃で、背中のところで結ばれた紐がほどける感触。
「ちょっ、待――!」
だが、波は待ってはくれない。
そのまま、波はすっと引いて行く。
私の水着は、こう……胸から背中をぐるって一周して、背中側で紐を結ぶ水着なわけで……そうなると、背中の紐がほどけた水着は……。
「う、ぁあああああああああ!?」
そのまま波に攫われて行ってしまった。
「わ、私の水着――!」
海の中に消えていく水着の姿を目で追う。
けれど手は伸ばせない。
片手は岩を掴み、もう片方は胸を隠す為に使っているから。
そのまま、水着はその姿を消した。
「あ……ああ……!」
ど、どうしよう!?
ていうか、恥ずかしい!
岩場だから人目がなくていいけど、それでも凄い恥ずかしい!
困惑しながら、私は近くにいたリリーを見た。
「って、なにしてんの!?」
リリーは、大海原に親指を立てていた。
「いえ……海のこと、私大好きになりそう」
「下らないこと言ってないでよ!」
「とりあえず佳耶、その手をどけて?」
「どけたら丸見えでしょうがっ!」
怒鳴りつけると、リリーは少し苦笑して、私の腰を掴むと、そのまま岩場に引っ張り上げてくれた。
「……ありがと」
「どういたしまして」
「でも、うう……どうしよう」
もうあの水着を見つけるのは絶望的と言っていい。
「仕方ないわね、佳耶。少しここで待っていてくれる? 私が新しい水着をとってくるから」
「え……?」
思わずリリーの顔を見てしまう。
水着をとってきてくれる、というのは嬉しいんだけど……私、ここで待ってるの?
このまま?
上半身裸で?
……ぁ、あう、あうあう。
「お、置いてくの?」
「……佳耶の為とはいえ、そんな涙目で見られると凄い罪悪感を感じてしまうのだけれど……」
若干、リリーが怯む。
「大丈夫よ、佳耶。こんな岩場、滅多に人なんて来ないもの。例え来たとしても、佳耶なら水中に隠れれば問題ないでしょう?」
そ、それもそうなんだけど……でも、心細いって言うか、なんていうか。
「それじゃあ、佳耶。行ってくるわね」
でも、いつまでもこうしているわけにもいかない。
……海の馬鹿野郎。
そんなことを思いながら、
「うん……急いでね」
頷く。
もうこのあとのリリーの行動が丸わかりだ。