5-5
シーマンが……シーマンがっ!
「アイアイ、シーマンが……!」
「明彦、言わなくていいよ」
アイアイが沈痛な面持ちで、そう首を横に振った。
今、シーマンは大変なことになっている。
具体的に言うと顔を真っ青にして冷や汗を流しながら硬直している。その目はせわしなく左右に動き、手は肘かけをしっかりと震えるくらいの力で握りしめている。
あのシーマンが。
あの、いつも飄々としているシーマンが。
なんだかんだ人間嫌いっぽい態度をとりながらもオレ達にいつも付き合ってくれるツンデレなシーマンが。
こんなまるで余命幾ばくもない重症患者が最後の力を振り絞って終生の旅に出るかのような様子を見せるなんて……オレぁ夢にも見なかったぜ。
ちなみに現在、オレとアイアイは通路挟んでシーマンとアマリンの逆側の座席から、バス最前列、運転手席の真後ろの座席へと移動していた。
何故かって?
それは、シーマンの周りの座席配置を見れば分かる。
シーマンの横には、かなり不機嫌そうなアマリン。そして――補助席を出してその隣に銀髪ポニテのぶったまげるほどの美少女が一人座っている。さらにその美少女の隣、つまりさっきまでアイアイが腰を下ろしていた席に腰を下ろすのは、これまた不機嫌そうな背の低い美少女。
横から順に、アマリン、シーマン、銀髪、低身長、空席、って感じ。
オレとアイアイは、戦術的撤退をして、だから今の席に座っているわけだ。
シーマン、恨むなよ。
そんな地獄的雰囲気を放つ一帯にはオレ達だって近づきたくないんだ。
「でも、あの女の子達、誰なんだろうね?」
……それはオレも気になっていた。
だって、あの様子を見てみろ。
若干頬を赤らめて、シーマンにいろいろと話しかけている。それは「いい天気ですね」だとか「臣護さんは海は好きですか?」だとか他愛もないものなんだが、その度にシーマンは「ああ」とか「まあな」とか簡素に答えて、そしてアマリンと低身長ちゃんがどんどん不機嫌になっていく。
少なくとも、あの銀髪ちゃんの態度は、普通じゃねーなー。
「銀髪の方は私の娘でね、リリシアというんだ」
疑問に答えたのは、なんと運転手――なんでもM・A社の社長らしい――だった。なんで社長が運転手なんだ?
「臣護君には前に世話になってね。それ以来リリシアは臣護君のことを尊敬しているんだよ」
「へー」
シーマンを尊敬?
あんな美少女がねえ。
「なんとなく、分かるかも。臣護って、なんとなく人を寄せ付ける魅力みたいのあるよね?」
「そーかねえ」
少なくとも本人はそんな魅力出してる自覚はないんだろうな。
「でもさ、あれ尊敬とかいうレベルじゃなくね?」
リリシア――……たんま。
えーっと、あー、んー。
……リリシア。リリシア。リリシアねえ。
…………リリ――いや、シア? んー。リシ。リア。リアか? リシャー……違ぇな。シアシア……微妙。リ……リ……んー、あー、リリシア……リリ……シンプルに行くか?
よし。
決めた。
リリシアの呼び方はリンリン!
リしか合ってないけどまあオッケ。
というわけで。
「あのリンリンのシーマンを見る目は恋する乙女だろ」
「リンリン……?」
「今決めた」
アイアイが首を傾げるのでリンリンを指さして、親指を立てる。
「……また変な名前にするんだね」
「そーか?」
いやー、今回は難産だったぜ。
「リンリン……いいんじゃないかい?」
「ほら父親のお墨付き!」
おっちゃん分かってるー。
「……まあいいけど。でも、確かにリリシアさんの臣護を見る目はちょっと乙女だよね」
「うむ。私もそう思って前々から臣護君とくっついてしまえと言っているのだが……あの子はあくまでも臣護君は尊敬しているだけであって、恋愛対象として見れないと……ついでに言うと、今リリシアがご執心なのはあの隣の小さい子。確か、麻述佳耶さん、だったかな?」
麻述佳耶。
「カーヤンだな」
「はいはい」
アイアイにあっさり流された……。
「って、同性……まさか、娘さんって……」
「両性愛者、というやつだ。男も女もいけちゃう口だよ」
ほー。両性愛者とはまた。
身近にはいないタイプだな。
両性愛者と知って思うのは、そのくらい。別に軽蔑とかはない。好きなら好きで、別にいいと思うし。
カッコよく言えば、肯定も否定もしない、って感じかねえ。
「ま、それはいいとして……ならアマリンのライバルじゃねーのか」
「うん。安心した」
いや、あんな美少女が相手じゃ流石にアマリンでも苦戦しそうだしな。もちろんアマリンも美少女だが。
あれ、なんでシーマンあんな美少女に囲まれまくってんの? なんか今更ながら羨ましくなってきたぞ。
……でもあの地獄に飛び込む勇気は俺にゃねーんだわ。
「おっと。ここだここだ」
いい感じにシーマンのライフポイントが削られている中、おっちゃんの言葉と共にバスが停まった。
「ん。なんだ?」
「いや。ここでちょっと物を受け取る予定でね。ほら、そう言っている間に来たぞ」
バスのドアが開いて、そこから黒いスーツを着た連中がバスに乗り込んできた。その手には大きなバッグがそれぞれ両手に持たれていて、黒スーツ五人、計十個のバッグが運び込まれた。
黒スーツ達はそれをバスの後ろの方に置くと、さらに新しく入って来た黒スーツが白い巨大な布を取り出し、それをバスの真ん中辺りに張った。布でバスの前と後ろを仕切る形だ。
黒スーツ達は作業を終えると素早く撤収していった。その間、一分にも満たない迅速な動きだった。
「なんなんだ……?」
「いや。海に行くなら、まず必要なものがあるだろう?」
「……ああ」
言われて、なんとなく察しがつく。
海に必要なものといえば……水着だ。
てっきり海の家とかで現地調達するものとばかり思ってたんだが……なるほど。
「じゃああのバッグの中身って……」
「女性陣の水着だよ。とりあえず手当たり次第に運ばせた」
さすが社長さん。
あれだけの大きさのバッグ十個が一杯になるまでの水着ともなれば、決して安くはないだろう。
――ふと、ここで俺は衝撃の事実に気付いてしまった。
「……しゃちょさん。しゃちょさん。あの仕切りって……まさか……」
「ああ。水着を選ぶなら試着もするだろうと思って」
つまり、あの仕切りの向こうで女の子達がすっぽんぽんに!?
なんて、桃源郷!
「え、ええ!? バスの中なのに……!?」
アイアイだけじゃなく、しゃちょさんの言葉にバスの中の女性陣の多くが眉をひそめた。
「安心したまえ。我々は紳士だ。覗きなどと言う真似はしないさ。なあ?」
「ええ、もちろん」
全力で俺は頷いた。
……へへへ。
†
「一体彼は何がしたかったのでしょう」
「見てやるな。馬鹿な男の末路だ」
「ああ……ほんと、馬鹿なやつだよ」
シオンが首を傾げ、俺ともう一人の男――能村隼人がバスの通路に転がる肉塊を見ながら言った。
本当に、馬鹿な奴だ。皆見。
なにがあったかなど言うまでもないだろう。
俺達の後ろにある仕切りの白い布。
皆見はその布から向こう側を覗こうとして……可哀そうなことになった。
凶悪な笑みを浮かべた天利にボコられ、顔を真っ赤にしたアイにボコられ、迫力のある無表情のリリーにボコられ、何かの鬱憤を晴らすかのように麻述とかいうのにもボコられ、周囲のノリに合わせるような能村の姉にボコられ、同じく周囲のノリに合わせたイェスにボコられ、とりあえず通過儀礼的な流れでルミニアにボコられ……。
いくらなんでも覗きの代償がこれでは気の毒すぎる。
「まあ、覗きたいという気持ちは分からんでもないがな」
能村が呟く。
「覗いたらどうだ。何があっても助けないけどな」
「そりゃ、勘弁」
「そうかい。賢明だな」
まあこんな皆見の惨状を見れば、覗く気力もわかないだろうさ。
俺は、もう覗きとかどうでもいい。
今はとりあえず……天利のプレッシャーから解放されたことを喜びたい。
予想以上に皆見のところが長くなって、海がまた一歩遠のいた。
とりあえず皆。皆見に敬礼!
というか登場人物が、多すぎる!