5-4
「まあ、とりあえず行くか」
そんなことを言うルミニアに、半ば無理矢理に俺達は連れだされた。
天利のマンションを出ると、そこに見慣れないものを見つける。
バスだ。
マンションの広くない駐車場にバスが居座っていた。
そのバスの車体に視線を向けて、思わず眉をひそめた。
M・A社とバスの側面には書かれていた……。
ということは……ヴェスカーさん。
社長だからって、会社のバスをルミニアに貸したのか……。
公私混合だろ、それ。
にしても、バスを用意してあるとはいやに準備がいい。
「ルミニア……ヴェスカーさんはいるのか?」
「ほれ、あそこだ」
そう言って指さしたのは、バスの運転手席。
……軽く自分の目を疑った。
そこに、バス運転手っぽい服や帽子をかぶったM・A社の社長が笑顔でこちらに手を振っていた。
……なにやってるんですかヴェスカーさん。
社長が運転手……というかあの人バスなんて運転できたのか。
「嶋搗、あの人は?」
「M・A社の社長。それと、前円卓賢人第四席」
「「ええっ!?」」
天利とアイの驚きが重なる。
「M・Aって……え、冗談でしょう!?」
「前第四席って、高速魔術戦闘の!? 亡くなったんじゃなかったの!?」
二人とも、とても信じられないと言う様子だ。
無理もない。
まさかそんな人がバスの運転手として笑顔を振りまいているだなんて……なんの悪い冗談だ。
俺は開いているバスのドアから社内に入って、ヴェスカーさんに声をかけた。
「本当になにやってるんですか」
呆れを前面に出して尋ねる。
するとヴェスカーさんは帽子のつばを指先で押し上げて、苦笑を俺に見せた。
「いや、なんというか……姫君に頼まれては断れないというか」
「そもそも会社の業務は……」
「部下はこういう時の為に優秀な人材を揃えている」
こんな時の為なんかに揃えられた人材がかわいそうだ。
「それに、ほら。この後実は娘も合流するのだよ。最近あの子とは顔を合わせてないので寝、父親としては久しぶりに子供に会いたいのさ」
「……リリーが?」
「愛称で呼ぶなんて流石は将来の旦那さんだ」
にやりとヴェスカーさんが口を歪める。
「……本人にしつこく愛称で呼べって言うから、仕方なくそう呼んでるんですよ」
まったくあいつは。出会って間もなくいきなり「リリーって呼んでください」だぞ。リリシアって呼ぶたびにそうやって言ってくるんだから……俺だって諦めたさ。
「リリーって誰?」
「……!?」
不意に後ろからかけられた声に、身体が跳ねた。
見れば、そこに天利が立っていた。微妙に引き攣った笑みで。
「な、なんだ天利、気配を消して……」
なんだか今、天利の声に背筋が凍えたのだが……何故だろう。
「それで、リリーって誰?」
「前に知り合った魔術師で、今はSWやってるやつだよ。俺らと同い年で、M・A社の第一位」
「それで私の娘です」
ヴェスカーさんが付け加える。
「……ふうん。嶋搗って、意外と女の子に知り合い、多いのね?」
「そ、そうか……?」
なんか、天利が青筋を立てているように見えるのは俺の気のせいか?
この威圧感はなんなんだ……?
と、そこで。
「あ、お兄ちゃん」
そんなふざけた声が聞こえた。
見ると、バスに一人の少女が乗り込んできていた。
浅黒い肌の、どこか純真な雰囲気をまとった少女だ。
イェス、だったかな。確か。
「イェス……お前、今までどこにいたんだ?」
「パフェ食べてたんだよ。どうせこんな平和な国でお姫様のこといちいち守る必要なんてないだろうし、ちょっとだけ自由行動でね」
パフェって……女は甘いもの好きだよな。まあ俺も嫌いじゃないけど。
「やっぱり日本は食べ物がおいしいよね。マギと違って」
そういえばイェスは王宮で暮らしてるんだよな。
あっちの飯も不味くはないのだが……微妙なのだ。そもそも調味料などからして充実していないし。
「あ、これ途中で買ったケーキ。お姫様、食べるでしょ? チョコレートケーキ」
イェスが片手に持っていた箱をルミニアに差し出す。
「ふむ、分かっているではないか」
それを嬉しそうに笑い――まるで悪だくみするかのような笑みだが、あれでルミニアの場合は嬉しいと言う感情を表しているつもりらしい――バス後方の一番広い座席に向かった。その後をシオンが挙動不審で視線をあちらこちらに移しながらついて行く。
シオンにはこっちの全てが珍しく感じるのだろう。
それと比べると、ルミニアは来るのこそ初めての癖にどこか慣れた雰囲気だ。
「それじゃ、私も座ろうかな。お兄ちゃんも一緒に座る?」
「ルミニアの近くには座りたくない。面倒だ」
「言うと思った」
小さく笑みをこぼし、イェスもルミニアとシオンの後を追った。
そして――。
がしり。
骨が軋むくらいの強さで天利が俺の肩を掴んでいた。
「お兄ちゃんって、なに?」
正直に言おう。
怖い。
なんだか天利が今だけは、ひどく恐ろしい。
「あ、いや……魔術を習ったのが同じ人なんだよ。それであいつ、勝手に俺のことをそう呼んでて……」
「へえ……? あの子も魔術師なんだ……嶋搗と同じ」
目には見えない瘴気がじわりじわりと俺に迫る来るような感じに、思わず息を呑む。
ア、アイ……!
恥も外聞もなく、俺は天利の肩越し、こちらを見ているアイに視線を向けた。
視線を逸らされた。
そのままアイは決して俺と視線を合わせずにバスに乗り込む。
あいつ、これまで俺にさんざん世話になってる癖にいい度胸だ……。
が、今の俺はそんなことを恨んでいる余裕はない。
何故だか知らないが目の前で引き攣った笑みを浮かべながら静かな怒り滲み出させている天利を落ち付けさせなくては……俺の身が危ない。
もしここにレールガンがあれば俺の身体にいつか懐かしの風穴が一つどころか二つ三つほど開いてしまうかもしれない。
と、視界に新しい人影を、俺は捉えた。
なんでここにあいつがいるのか、とか。相変わらず虹色のアロハシャツとか意味不明で派手な服装だな、とか。いろいろ言いたいことはあるが……この時ばかりはそんな些細なことはいい。
「み、皆見!」
「おー、シーマン。どうしたん? なんかM・A社のバスがアマリンの家の前に停まってるから不思議に思って見てみたら……痴話喧嘩?」
「誰が痴話喧嘩よ!」
バスの車体の高さを利用して、天利が脚を後ろに振り上げる。その踵が、見事に皆見の顎に叩き込まれた。
「ぶはぁっ!?」
口から折れた歯が飛び出さないのが不思議なくらいに見事に決まった蹴りで、皆見が地面に大の字に倒れる。
そして次の瞬間すぐに立ち直った。
「な、なにすんだアマリン!」
「あんたがふざけたこと抜かすからでしょうが!」
天利に怒号を飛ばしてから、天利の瞳がぎらりと俺を睨みつける。
「嶋搗……覚えてなさいよ!」
俺が一体なにをした。そして何を覚えていればいいんだ。
天利は荒い足取りで座席に向かって言った。
……女って、なんなんだろう。
「……シーマン、これなんのイベント?」
「イベント……まあ、イベントっちゃイベントなんだが……」
だとしたら悪趣味で少しも面白みのないイベントだよ。
……ふと、思いつく。
天利。ルミニア。アイ。イェス。シオンは周囲の見慣れぬものに視線を向けるのに忙しく口を開きそうもないし、ヴェスカーさんは運転手。
このままじゃ、なんだか男一人で俺の肩身が狭くなりそうで不安だ。
「皆見」
「んー?」
「お前も参加だ」
皆見の服の襟を掴んでバスの中に連れ込む。
「おわっ!? シ、シーマン、そんな大胆なっ……オレは普通に女の子が好きなんだっ!」
「なにをとち狂ったことを口走ってるんだ。どうでもいいからお前も悪夢に付き合え。どうせこれから異界研に行く予定で、それ以外まったくの暇人だろうが。ヴェスカーさん、出してください」
「了解」
毒を食らわば皿まで、というが……どうせなら巻き添えだっていたほうがいいに決まってる。なんだか意味が違ってきそうだが、ともかくそういうこと。
バスのドアが閉まり、エンジンが鳴る。
「一体なんなんだよ、シーマン。オレになんの説明もナシか?」
「ちゃんと説明してやる」
そして俺は手短に皆見に事情を説明した。
天利に話したのと同じレベルの内容の説明だ。
すると皆見はバスの中を見回して、一つ大きく頷き、俺に親指を立てて見せた。
「シーマン、ここはなんてハーレムだい!? うははははー! 海最高!」
俺は選択肢を間違えたのかもしれない。
†
……何故こんなことになったのだろう?
俺は、自問自答を繰り返していた。
後ろの方の座席ではルミニアとイェスがチョコレートケーキをつつき――箱が大きいと思ったらあいつワンホールまるまる買ってやがった――その隣でシオンは窓の外を流れる風景をじっと眺めている。
そして、俺は、皆見の隣に座っている――筈だった。
確かに、バスが出発した直後は俺は皆見の隣に座っていたんだ。
通路を挟んで反対側には、不機嫌顔の天利と苦笑するアイが座っていて、俺は出来るだけそちらに視線を向けないように気をつけていた。
しかし、ふとアイが立ち上がり、言った。
「明彦、そういえばあのことについてちょっと相談があるんだけど……」
「ん、あのこと……? あー、おう。あのことかっ!」
なんだか違和感を感じる態度でアイと皆見が会話を始めた。
「と、ごめん臣護。ちょっと明彦と話したいことがあるから席代わってもらっていい?」
「ん、ああ。じゃあ俺は前の方に――」
そう言って立ち上がろうとして、そんな俺にアイは言った。
「私の座ってたところに座ってね?」
……空気が割れた。硝子が砕けるような音とともに。
なん……だって?
俺の身体が一瞬だけ硬直した隙をついて、アイが俺の身体を引っ張り強制的に俺を天利の隣へと座らせた。
「な、待……っ!」
「それじゃ明彦。相談なんだけど――」
「おーう。相談だよなー。相談じゃあ、シーマンにどいてもらったのも致し方ないことだ」
俺が何か言うより先に、二人は話しこみ始めてしまう。
……よし。
「俺は前の方に――」
「あら。私の隣じゃ不都合があるとでも言いたげね?」
「――そうでもない」
席から立ち上がることが出来なかった。
まるで凍りついたかのように腰から下が席に張り付いて動かない。
俺は、金属生命体に襲われて以来の強い危機感を骨の髄まで感じていた。
「というか、私思うのよ」
「なにをだ……?」
今度はいったい何を言われるのか。
我がことながら、どうしてここまで怯えているのだろうか。
「皆、嶋搗のことを臣護って呼んでるわよね。あとはお兄ちゃんとか」
ルミニア、アイ、イェス辺りのことだろうか。
「そ、それが……?」
「おかしくない? 私結構あんたの側にいるけど、そんな私が一番他人行儀で『嶋搗』よ?」
だから、それが一体どうしたっていうんだ。
†
「だ、だから……私も、その……上の名前とかじゃなくて……」
隣の席で悠希がどうにかそのことを言おうと頑張っている。
その様子を、私と明彦は覗き見ていた。
「が、頑張れ悠希……!」
「アマリン……今こそ女を見せる時だぜ!」
人知れず、悠希のことを二人で応援していると……バスが停まった。
信号かな……?
そう思ったのも束の間、バスのドアが開く。
あれ……?
「合流組の到着です」
運転手である前第四席が、そんなことを告げた。
†
合流組。
そう言われて入って来たのは……げ。
その一際目立つ姿を見つけて、内心変な声が漏れた。
「……ぁ」
向こうも、こちらを見つけてしまったらしい。
小走りでこっちに駆け寄ってくると、そいつが……リリーが俺の手を掴んだ。
なにをする、と文句を言う暇もない。
「お久しぶりです、臣護さん……」
なんだか軽く赤くなった顔ではにかむように、リリーがそう挨拶して。
「し・ま・つ・き?」
気持ち悪いぐらいの満面の笑みで、天利が俺の名前を呼んだ。
――俺、死ぬかもしれない。
そんな覚悟をさせるような、ぞっとする声色。
あと……もう一つ。
「……!?」
リリーの後から入って来た、イェスよりも背の低い少女が、俺の事を凄い目つきで睨みつけて来た。
……一体、なんがどうなっているんだ。
後ろの方から聞こえてくるルミニアの含み笑いが無性にむかついた。
海が遠い……っ!
そしてアマリンかわいい!




