間章 婚約者・四
「貴方、なんで顔に痣なんて作ってるのよ……?」
「知り合いと喧嘩した」
「え、嶋搗が……喧嘩? イメージないわね」
「俺だって好き好んで殴り合ったわけじゃねえよ」
「まあ、それはいいけど……そうだ。今日はアイと皆見も一緒に来るみたいよ?」
†
待ち合わせ場所は、俺の家。
古臭いマンションの一室。俺とシアはテーブル越しにしばらく沈黙していた。
……ここは俺が切り出すか。
怯んでたら男じゃない。
「なあ、シア」
「……なにか?」
少しだけ不器用な日本語。
そう言えば、出会ってすぐの頃、シアはイギリス人だって言っていたけれど、あれも嘘だったのだろうか……。
いけないな。なんだか、疑い深くなっている。
懐疑的な目で見たら、それだけ彼女が辛い目を見る。俺はいつもの俺らしくいこう。
「臣護に聞いたんだ。シアは、俺に嘘とか、都合のいいことばかりしか言ってないって。それって、本当か?」
「……」
こくり、と。
小さくシアが頷いた。
「いつか、話せなければと思うていた……けれど、出来ずにあった」
「そっか……うん。正直、ちょっとショックだ。あ、勘違いするな? お前に対してじゃなく、そんな風にお前が悩んでいたなんて気付けなかった俺自身が情けないって意味だから」
ほんと、情けねえ。
女の悩み事の一つ二つ見抜いてパパッと解決出来ないで、なにが結婚だよ。
臣護にどうこう言えねえな、これじゃあ。認められなくても当然だ。
あの臣護の言葉は案外、シアにだけでなく俺にも向けられたものだったのかもしれない。
俺も、そしてシアも、結婚なんて口にするにはまだまだ早かったのかもしれない。
……けど、後悔はない。
早過ぎるってんなら、一緒にいる時間をこれから今まで以上に作ればいい。
お互いを知らないってんなら、これから知っていけばいい。
その為の結婚でもあるんだ。
俺とシアが、これまで以上のものを手に入れる為の、結婚だ。
「……嶋搗臣護に、どこまで聞いたか?」
「なんにも。なーんも聞いてない。臣護が、聞くならシア本人に聞くべきだってさ。俺もそう思う。だから、教えてほしい。お前のこと。全部」
真っ直ぐにシアの綺麗な瞳を見つめる。
初めて会った時から、ずっと変わらない、どこか強くて、儚くて、綺麗で、深い瞳。
その瞳に俺は最初惹かれたんだ。
瞳の奥に俺とは全く違うものを持った、シアという女性に。支えたい、と思ったし、支えてもらいたいと思った。
だから――、
「俺は、お前を悲しませない。誓うよ。どんなことでも受け止めて見せる。絶対に、絶対だ」
「……貴方にそうも言わられては、私も逃げらるない」
か弱い笑みを浮かべ、シアが口を開く。
「聞いて、くれようか?」
「ああ」
迷わず頷く。
「……そう」
そして、シアは話てくれた。
全てを。
自分がマギの人間であること。
純粋に殺人だけを求められて生みだされたこと。
子供の頃から人を作業的に殺してきたこと。
自分の魔術がどれほど醜いかということ。
マギの王宮というところの征伐部隊という部隊の隊長だったこと。
殺人がどれほどの罪かを自覚したこと。
自分の使命を放棄して彷徨ったこと。
人を癒すことを知ったこと。
送りこまれた征伐部隊を殺したこと。
アースへと逃げてきたこと。
異界研の医療棟で働いていること。
恐れながら、後悔しながら、シアは一つ一つ、ゆっくりと語り聞かせてくれた。
驚きは、もちろんある。
俺が想像してたより、ずっとハードな秘密だった。
「これが、私の全て」
「……そうか」
と、シアが自分の指に嵌められた指輪をはずして、テーブルの上に置いた。
俺が彼女に送った、婚約指輪。
「……なんのつもりだ?」
「もう、貴方と一緒に、いることができるわけもないから」
俺はシアが手を引っ込めるより早く、その手を掴んだ。
「――悲しいこと言うな」
そして、もう片方の手で銀の指輪を拾い上げる。
「言ったろう? 全部受け止める。絶対にお前を悲しませないって」
指輪を、シアの指にゆっくり嵌めた。
それに驚いたように、シアは見開いた目を俺に向けた。
「でも……」
「でも、じゃない」
少しだけ、強く言う。
「もう面倒だから、はっきり言う」
そうだよ。
肝心なのは、それだけなんだ。
「俺は……お前が大好きだ。愛してる。世界の誰よりもお前が大切だ」
もどかしい。
どんなに言葉を重ねても、この想いを上手くシアに伝えることが出来ない。
「お前が人殺しでも、アースの人間じゃなくても、そんなの大した問題じゃない。俺は、シア。お前が好きなんだ。昔のお前じゃない、今のお前が大切なんだよ。過去は、過去だ。それに、自分のしてしまったことに後悔して、どうにか償おうとしているんだろう? なら、やっぱりお前は俺の愛してるシアだよ。だから、指輪を突き返すなんて悲しい真似はしないでくれ」
「――っ!」
途端、シアの目から涙が溢れだした。
「いい……の?」
「お前じゃなきゃ駄目だ。お前がいい」
「――――――……!」
なにか、シアが言葉を作る。
聞いたこともない発音で、けれど……なんとなく、それがマギの言葉で、愛しているっていう意味なんだって分かった。
だから、俺も返す。
「ああ。俺も愛してる」
†
後日。
「すみませんでした……」
俺はシスターに頭を下げていた。
……なんで俺はあんな約束をしてしまったんだろう。
話がまとまったらシスターに頭を下げる、だなんて……馬鹿か俺は。
が、後悔先に立たず。
一度した約束を破るほどいい加減なつもりはない。
まあ……いいか。
陽一さんとシスターが上手くいったみたいだし、俺はその些細な犠牲だ。
「よーし。というわけで、俺とシアの婚約は万事問題なく受け入れてもらえるよな?」
「ええ。それはもちろん。というか……流石の俺も、今の二人を止める気力はありません」
二人の幸せそうな顔と言ったら。まったく。
「まあ、シスター。たまに阿呆な叔父だが、よろしく頼む」
「……貴方よりも阿呆ではなしと思う」
言ってくれるよ。
「それと、三つお願いあり」
「ん?」
シスターが俺に?
「まあ、将来の叔母になる人に恩を売っておくのも悪くはないし、とりあえずお願いが何か聞かせてくれ」
「一つは、アインスリーベ=クレニアレスト=ヴォルシンを紹介してほしい」
「アイを……? またどうして」
「日本語をきちんと覚えたい」
なるほどね。
確かにアイが日本語が普通に上手いからな。同じマギ出身。教わるにしてもこれ以上の適任はいないか。
「まあ、紹介くらいはいいけど、頼むのは自分でやってくれ」
「それは、分かってある」
……うん。俺としてもこの不気味な日本語はどうにかして欲しいしな。
「二つ目は、臣護と呼びで構うないか?」
「……は?」
なんだって?
「だから、シアはお前のことを呼び捨てにしていいかどうか聞いてんだよ」
「…………いや、好きにすればいいだろ?」
そんなこといちいち聞くか?
「お前は女心が分かってねえな。シアの繊細な感情を理解するにはまだまだ子供ってことか」
なんでそんな偉そうに言われなきゃいけないのだろうか。
「とりあえず、呼び方なんて好きにしてくれ」
「……分かた。臣護」
「それで、三つ目は?」
「それはな、実は俺のお願いなんだ」
陽一さんの?
「俺にマギ語、教えてくれ」
「……は? またそれはどうして?」
「そりゃ、シアにばっかり日本語を勉強させるのが嫌だからだよ。俺だってシアの言葉を喋れるようになりたい」
……はあ。
また変なことを考えるものだ。
でもまあ、陽一さんだから仕方ないか。この人はそういう人だと昔から知っている。
「分かりましたよ。時間のある時に少しずつでいいなら教えます」
「おう、サンキュ」
「とりあえず発音一つ間違える度に一度殴ります」
「いや、それは単なるいびりじゃねえか!」
「俺はそうやって覚えましたよ?」
正確には、俺の場合殴りなんて生易しいものじゃなく、魔術だったけど。あれは普通に死ぬかと思う。
「……というか、そういえばお前はどこでマギの言葉なんて覚えたんだ!? シアのことも知ってたし」
……あ、マズい。
「それじゃ、今日はもうお引き取り下さい」
「誤魔化すな!」
これに関しては流石に陽一さんには言えない。
さて……。
どうやってシラを切るかな。
というわけで、間章終わりっ!
次回はついに第五章ですね!