間章 婚約者・二
――自分の過去。
そんなもの、忘れてしまいたかった。
だって、昔の私はあまりに醜いから。
†
私が初めて人を殺したのは、五歳の頃だった。
私の家系は代々、マギの王宮に逆らう反徒を抹殺する征伐部隊と呼ばれる暗部に属す。
父も、母も、祖父も、祖母の、それより前の何代にもわたって、私達の血は人を殺し続けてきた。
人殺しのエリート。
私は生れてすぐに血を浴びた。
赤子の私の目の前で両親は何度も何度も人の首をはねた。
だから、それが当然だと思っていた。
この世界ではそうやって子供の目の前で人を殺して、子供に人の死を慣れさせるのが当然なのだと思っていた。
人殺しとして、人殺しの技術を学び、人殺しの為の魔術を磨き、人殺しの為の生活を送る。
王宮の敵は我が敵。抹殺対象。
そう意識の奥底にまで刻みこまれ、私はそう生きた。
初めて私が手を下した相手は、一組の夫婦。貴族でありながら、マギの現体制に刃向かった愚か者たち。
――それが虐げられる魔術の使えない一般人の為の反逆などと知らずに、私は無表情のまま、当然のように二つの身体を破壊した。ゆっくりと、着実に、脚の先から頭のてっぺんまでを。
傷めつけ、殺せ。それが命令だったから。
人体の効率的な破壊の仕方を、まるで勉強の復習でもするかのように淡々と行った。
爪を剥ぎ、骨を折り、肉を削ぎ、刃を突き立て、ねじ切り、引き摺り出し、潰し、焼き、切断し、抉り、毒で苦しめ、最後に首を裂いた。
なんの感情もなかった。
機械的に定められたことをしただけ。
私は自分の処理した二つの肉塊に背を向け、仕事を終えたと言う僅かな達成感を抱いたまま、自室に戻ってベッドに横になった。
それから、私は正式に征伐部隊の一員となった。
若干五歳にして征伐部隊に入ると言うのは、異例の速さらしい。
周りの誰もが私を畏怖していた。
けれど、私本人はその畏怖に首を傾げるしかない。
皆も私と同じ頃に人殺ししたんじゃないの?
人殺しなんて、恐れられるようなことじゃないでしょ?
どうしてちゃんと殺したのに褒めてくれないのだろう?
思いながら、殺し続けた。
ある時、仲間の一人が何故か発狂したので、それも殺した。
両親はいつの間にか死んでいた。任務に失敗したのだから当然だろう。別に特別変わったことではない。両親の死を聞いた直後に人を殺した。
私が部隊に入ってから、二十三人の仲間が発狂し、それと同数それらを殺した十二歳のある日、私は征伐部隊の隊長になった。
その頃には、感情という言葉すら忘れていた。
一日に数十人殺すのなんて当然だった。
部下には人殺しの方法を教えた。
部下が任務に失敗すればその部下を殺し、代わりに私自身がその任務を片付けた。
部下を百は殺した。
その十倍以上の敵を殺した。
それでも敵はいなくならない。
殺し、殺し、殺し続け。
そしてある時。
とある貴族を殺す為に、小さな町にきていた。
その貴族の領地は王宮へほとんど貢献していなかった。だからその貴族は殺されるのだ。
貴族の命を奪う機会を私は狙っていた。
そんな中で、見る。
町の人間は、笑顔だった。
信じられないくらいの笑顔だった。
見たこともないような笑顔。
子供も、笑っている。
私の知らない表情をしている。
私は首を傾げた。
なんでそんな表情が出来るのだろうか。
そして、一つの家族が私の前にいた。
笑う両親と、笑う子供。
子供が転んだ。
泣きだした子供を両親が宥める。
優しい光景。
……優しいってなんだろう?
なんであの子供は転んで泣くんだろう?
泣くって、なんだろう?
気になって、私は少しだけその町を調べてみることにした。
任務中に気をとられたのはこれが最初で、そして最後。
愕然とした。
普通の子供は人を殺さないと知った。
普通の人間は人を殺さないと知った。
人殺しは罪だということを知った。
親は子を愛すものであり、子は親に甘えるものだと知った。
ここの貴族が王宮に貢献しないのは、民から理不尽な略奪をしないからだと知った。
他の貴族が王宮に貢献しているのは、罪のない人々から理不尽に略奪した食糧や金銭なのだと知った。
征伐部隊の隊長が密やかに虐殺の魔女と呼ばれていることを知った。
この瞬間、私は理解したのだ。
なぜこれまで何人もの仲間が発狂したのか。
人殺しに対する罪悪感。
私と他の仲間は、違っていたのだ。
他の皆は止むに止まれぬ事情があって、それで征伐部隊で人を殺していた。
私と違って、彼らにとって人殺しは異常なことだった。
それを受け止めきれずに、狂ったのだ。
なんてこと。
私は狂わない。
私にとって人殺しはただの生命活動だから。
呼吸をすることで狂う人間はいない。
歩くことで狂う人間はいない。
私は、人殺しで狂えない。
だからこそ私は、化物だった。
自分の醜さを自覚する。
あまりに手遅れだった。
自分の手は血塗れだ。
後戻りは、もう出来ない。
任務を失敗した。
殺せなかった。
命を奪うことを恐ろしいと、初めて感じてしまったから。
王宮に帰ることは出来ない。
もうあんな場所には、帰りたくない。
なんて恐ろしい場所。
私のような化物を生み出し、飼う。そんな場所が、まともなわけがない。
身を隠し、彷徨った。
彷徨う中で、何人もの弱者と出会った。
弱者は強者に全てを奪われ、道端に打ち捨てられる。
そうやって死んでいく。
酷い怪我をした弱者に、手を差し伸べるという行為をした。
魔術を、使った。
私の魔術は、醜い。
身体を作る小さな、細胞という組織を破壊する。それによって、これまで何人もの人間の身体を壊死させてきた。
けれど、思ったのだ。
細胞を壊すことしか、自分にはできないのか、と。
これまで考えもしなかったことだった。
私の生体魔術は細胞に干渉する魔術。
であれば、逆のこともできるのでは?
細胞を活性させて、増殖させて、怪我の治療は出来ないのか?
いや、むしろ生体魔術とはそれこそが本道なのだ。
私の魔術は、殺人という手段の為に歪んだだけ。
一人の弱者の怪我を治した。
感謝された。
涙が出た。
感謝されるということがどれほど嬉しいものか知った。
そして、感謝されると、なんだが胸が軽くなった。
沢山の人を殺した。
沢山の人を治したいと思った。
だから、治し続けた。
償うように、何人も何人も、怪我を治し、治し、治し続けた。
そうするうちに、私の存在は有名になった。
有名になって……だから、王宮から征伐部隊が派遣された。
征伐部隊の隊長でありながら任務を放棄したから、私は殺される対象に選ばれた。
数十名の征伐部隊が私を同時に襲う。
身体は、自然と行動を選択していた。
身体に染み付いた習性。
気付けば、私を殺しに来た征伐部隊の人間は全員、壊死していた。
やっぱり、そうなのだろうか。
私は、結局人殺しなのだろうか。
人を治すなんて立派なことをしていい人間ではなかったのだろうか。
人を殺した手で、人を治すなんて行為、赦されることではなかったのだろうか。
不意に。
目の前に立つ老人がいた。
その人物を知っている。
円卓賢人、第一席。
殺されるのだろうか。
征伐部隊では出来なかったから、今度はこんな大魔術師が送り込まれたのだろうか。
そうまでして王宮は私を殺したいのだろうか。
私を許してくれないのだろうか。
もう、いい。
殺したくない。
なら殺されよう。
静かに目を閉じた。
予感した死は……いつまでたっても訪れない。
それとは別の感覚。
目を開くと……第一席が、私の頭に手を乗せていた。
悪くない、とその老人は言う。
悪いのはこの世界だ、とその老人は言う。
赦されていい、とその老人は言う。
今のこの世界は私にはあまりにも残酷だ、とその老人は言う。
だから今はこの世界から逃げろ、とその老人は言った。
……これ、三部構成で足りるのか?
もしかしたら上中下じゃなくなる可能性があります。