4-9
「何故……?」
「……何故って、何が?」
「いったい何故……」
握り締めた拳から、血がにじむ。
悔しかった。
自分の情けなさが。
自分の力不足が。
魔術を解さない者と見下していたイェスに助けられた自分が。
そして……、
「僕を庇って、そんな怪我をするのですが……!」
――何より、イェスにこんな大怪我をさせた自分が。
†
無言のまま、大樹への道程をやっと半分ほど消化した。
あと半分……道は長いね。
横を見ると、シオンは肩を激しく上下させていた。
……まったく。
木の根が絡まり合ってできた橋とか、岩の上とか、ただえさえ歩きにくいところを走って来たのだから体力を消費するのはわかる。
魔術師は身体を鍛えるってことを知らないのかな。戦う人間は身体が資本だっていうのに。
「少し休憩しようか」
「そんな暇はありません」
言って走り続けようとするシオンの肩を掴む。
「なんですか?」
「休憩」
「だから、そんな時間はないでしょう。いつ天使が襲ってくるかもわからないのに……」
「その天使に襲われた時、そんな息荒げた状態で勝てるの?」
「……それは、」
「無理だよね」
この浮き岩に生えている樹の根元にシオンを力づくで引っ張っていく。
「自分の体調管理すら出来ないって異次元世界じゃ致命的だよ。常に最善の状況で臨めるようにしないと、死ぬからね」
「……けれど、こうしている間にもフェラインが、」
「逃げるつもりならもうとっくに逃げてるよ。今更慌てたって何も変わらない。だったら、別にゆっくり行ったっていいでしょ?」
それに……フェラインは私達が諦めない限り絶対にこの世界に留まる。
何故なら、きっとそう命令されているから……。
フェラインが何者かは知らないけれど、お姫様の元で動いている人物には間違いない。
だったら、ここで私達を置いて姿を消すなんてことはありえない。
「……だったら、五分。五分だけ休みましょう」
「それでいいよ」
渋々とシオンが条件を出し、私は素直に頷いた。
五分休むだけでも随分コンディションは変わるからね。
倒れこむようにシオンが木の根元に腰をおろした。
私は樹に寄りかかる。
正直、座り込むなんて信じられない行為なんだけれど、そこには目を瞑っておく。シオンは異次元世界にくるのも初めてらしいし、最初から厳しく言ったってしょうがない。そういうのは自分で身体に染み付かせていくものだ。
静かに、呼吸を整える。
……実のところ、私はそんなに体力を消費していない。
なぜなら、事前に身体強化剤を飲んでいたから。
アースで開発されたこの薬品は、飲むだけで服用者の身体能力を向上させる効果がある。
かなりの実績を持つ薬品なのだが、マギでは絶対に使用されない。理由はもちろん、汚らわしいから、だ。
まったく、こんな便利なものをどうして使わないんだろうね。
そのお陰で、私は今も軽く息が切れる程度の疲労しかない。もともと身体を鍛えているのもあるのだろう。
どちらにしろ、マギの思想が終わってるってことに変わりはないけれど。
……ほんと、駄目だよね。
特にシオンのような、悪意のない魔術至上主義は。最悪に性質が悪い。
悪意があるなら、まだ粛正すればいいだろう。
だが、シオンのようなタイプはそれでは駄目だ。
何故なら、悪意がないから、反省することがないのだ。反省がないのならそれが改善されることなどあるわけがない。
だから性質が悪い。
もしそれを正そうと思ったのなら……もっと深い場所にあるものを変えなくてはならないから。
根底から全てをひっくり返すような、そういう変革が必要なのだ。
……そう。お姫様がやろうとしていることのような。
だからこそ、私はお姫様に手を貸す。
別に正義心とかではない。
私が住みやすい世界にする為に、お姫様に与するのだ。
でも、本当にどうしてかな。
私はシオンが古い魔術師そのものに見える。
けれどお姫様はそんなシオンを手元に置きたいらしい。
意味が解らない。
何故こんな魔術至上主義者を?
むしろ私達とは正反対の人間なのに……。
――ふと、気になった。
シオンは本当に、魔術師というものについて純粋すぎる。吐き気がするくらいにどす黒い潔白だ。
一体どんな育ち方をすれば、そんな風になるのだろうか。
「ねえ、シオンはどういう生まれなの?」
「……どういう、とは?」
「そのまんまの意味だよ。家柄とか、交友関係とか」
「……代々王宮に仕えた政務魔術師の家系ですよ。両親はどちらも政務魔術師で、僕が生まれたのは王宮の中ででした。そして、そのまま王宮の中で、魔術と共に育ちました」
ふうん……。
道理で、世の中の汚さを知らないわけだ。
温室育ち。
純粋培養。
そんな単語が思い浮かぶ。
魔術師だけしかいない王宮内で生まれ育ったのなら、魔術に対する過剰なまでの盲信にも得心がいく。
つまり、子供の頃からずっと魔術の素晴らしさというやつを説かれて生きてきたに違いない。
「王宮の外に出たこと、ある?」
「数回だけ。任務で」
そんなんだから、こういう性格になったわけだ……。
なるほどねえ。
シオンの馬鹿さ加減の理由を把握して、私は小さく溜息を吐く。
彼も、マギのという世界の致命的歪みに影響されただけなのかな。
「イェスは、どうなんですか?」
シオンが尋ね返してきた。
「イェスはどういう生まれなんです?」
「私、か……」
答えに、少し詰まる。
私の生まれをそのまま正直にシオンに語ったら、ひと悶着あるのは間違いない。
……まあ、アース生まれってことだけ隠せばいいか。
「私は、貧困地域の町で生まれたんだよ。その町では大人達が子供を捨てていた。私もそういう、町角に捨てられた子供の一人」
「な……!?」
そんなに驚かなくても……。
「馬鹿な。自分の子供を、捨てる!?」
「そ。子供なんて食費ばかりかかるお荷物だからね。だったら捨てちゃった方が早いでしょ?」
これが日本とかなら堕胎させるのが一番楽だったのだろうけど、生憎私の生まれたところにそんなことが出来る医師も器具もなかった。
「そして捨てられた子供達は自分達の力で生きていくしかない。思い出したくもないけれどね、地面を這っていた虫を噛みしめたときの味なんて」
当時はそんな虫一匹でも御馳走だったわけだけれど。
「なんで……そんなことに……」
「決まってるでしょ? お偉いさんがお金を搾取するから、貧困層の人達はいつまでたっても救済されないんだよ。このお偉いさんが誰だか、分かる?」
「……っ!」
アースで言うなら、政治家とか、高い権力を持った人。
マギで言うなら……魔術師だ。
「王宮から各地を治める貴族に金が配給され、その金を貴族は手下の政務魔術師に分配、その政務魔術師が民の為に金を使って社会福祉などをして、それによって民は活気を得る。それが理想的な流れなんだろうけどさ、無理だよね、それ。だって魔術師が一連の行程に入ってる時点で、金は全部とられるって決まったようなものなんだから」
「馬鹿な! そんな魔術師が……」
「あのさ、シオン。一つだけお願いがあるんだ」
未だに認めようとしないシオンに、私は恐らく決定打になるであろう一言を口にした。
「それ、今にも餓死しそうな子供の前で言える? 肉が削げ落ちて、目がくぼんで、頬骨がくっきり浮かんで、肌には病気の黒い染みがあって……そんな子供にさ、魔術師は素晴らしいんだよ、魔術師のお陰でマギの人々は幸せなんです、って言ってきてみなよ。もしできたら、私は一生魔術に殉じて生きるから」
「っ……それ、は……!」
無理だろうね。
さすがに、ここで頷けるほど人でなしではないみたいだ。
「少しは分かった? これが現実ってやつだよ」
そろそろ五分かな……。
私は樹の幹から背中を離した。
「もう正直に言うけれどね、シオン。私は魔術が嫌いだよ。ううん、正確には魔術師が嫌い。だって魔術師は腐ってるから。もともと魔術なんてものは暴力で、技能の一つでしかないのにさ、それが全知全能みたいに崇めるなんて、おかしいとは思わない? 今より便利なものがあるなら使う。よりよいものを求める。それこそが生物の本来あるべき形なのに、魔術師、そしてこのマギって世界は、魔術だけだ。なにもかもが魔術。どんなことがあっても魔術は至高。正直、笑えるよ」
そんなのは、自分の拳は最強、って大声で言ってるような恥ずかしい自賛行為だ。
私の言葉に、シオンがこちらを睨んでくる。
ただしそこに込められた鋭さは、先程よりもずっと鈍い。
「その発言は、反逆ですよ。王宮に対する」
「反逆って、おかしなことを言うね。私は別に王宮に仕えてるわけじゃない。お姫様に仕えてるんだよ。だから、別に反逆でもなんでもない」
「同じです。姫はそんなことを言う者を許しはしないでしょう」
「どうだが」
肩をすくめる。
お姫様が私を許さない?
それはそれは、なんとも恐ろしい事だね。
「帰ったら、姫に今の言葉を報告させてもらいます」
「いいよ。好きにしなよ」
例え報告されたところで、私にとっては何ら痛手はない。
「それより、もう行こう。五分、とっくに経ってるよ」
†
魔術が暴力?
技能の一つ?
なんだというのだ、このイェスという愚か者は。
魔術がそんな低俗なものであるわけがないのに。
貧困な生まれだか何だか知らないけれど、だからって魔術を目の敵にしすぎている。
魔術師が人々を苦しめる張本人だなんて、あるわけがないのに。
……でも、もし。
もしそれが、本当だったら?
――馬鹿馬鹿しい!
自分の愚にもつかない思考を打ち払う。
魔術を疑うなんて、僕らしくもない!
なにをあんな戯言に惑わされているんだ。
そう小さく首を振った時だった。
キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
この、声は――!
空を見上げる。
そこに、いた。
十体の天使が。
「十体……!」
その数に、思わず唇を噛んだ。
まともに相手にするには、多すぎる数だ。
そうでなくとも、天使の血が天使を引き寄せると言うのなら、こちらから下手に攻撃を仕掛けることは出来ない。
逃げるしかない……!
そう決めた、刹那。
「上ばかり見ないで!」
背中に衝撃。
「な……!?」
肩越しに見れば、イェスが僕を突き飛ばしていた。
一体なんのつもりなのか。
それを問うより早く、一条の光が眼下の空から放たれた。
上だけじゃなく、下にも天使が……?
そうか。
イェスはこれに気付いて、僕を助けたのだ。
悔しかった。イェスなどに助けられた自分が。
「視野狭窄。戦場じゃ致命的」
「っ、分かって、います……!」
「分かってないから言ったんだけどな」
――と、
僕を突き飛ばしたイェスの身体が……崩れ落ちた。
「……え?」
見ると……地面に赤い水たまりが出来ていた。
……これは、血?
「っ……やば」
地面に倒れたイェスが、脇腹を押えながら呟いた。
その脇腹から、血が溢れている。
――まさか。
「僕を……庇って?」
「後ろ」
僕の言葉には答えずに、淡々とイェスが忠告を口にした。
咄嗟に、背後に炎を放つ。
それは背後で魔力を集めようとしていた天使の一体を包み込み、衝撃ごと灼熱に包み込んだ。すぐに炭化した天使の身体が下空に落ちていく。
「私の事はいいからさっさと天使、どうにかして」
「そんな暇はないでしょう!」
イェスの出血量は普通じゃない。
大きな血管を傷つけているのだろう。
このままえはすぐに失血死してしまう。
あと十体もの天使を相手にしていては間に合わない。
それ以前に、こんな状態のイェスを庇いながらでは、天使十体相手に勝てるとは思えない。
「偉そうなこと言うわりに、情けないね、シオンは。お得意の魔術でどうにかしてみせなよ」
こんな状況にも関わらず、イェスは笑ってみせた。
っ……。
無理、だ。
この状況を僕の魔術で切り抜けることなんて、出来ない。
炎で天使を焼き殺すの同時に二体が限界。そんなことを悠長にしていたら、隙をつかれてやられてしまう。
不意に懐の感触に気付く。
……あ。
これならば、という考えが浮かんだ。
しかし、そんなことをしてはいけない。
それは絶対に許されないことだ。
ならば……イェスを見捨てて自分だけ逃げるか? それならば逃げ切れるかもしれない。
――馬鹿な。
そんなこと、出来るわけがない。
イェスのことは、嫌いだ。
だが、だからといって見捨てていいわけがない。
だったら、どうすればいい?
形振りなど、構っていられるのか?
……っ!
気付けば僕は、懐から取り出したものを左手につけていた。
それは、手套。
インドラという、アースの穢れた武器。
だけど……だけどっ!
視線の先では、天使達が仲間を殺されたことで、怒りの声をあげながらこちらに飛んできている。
迷っている時間など、なかった。
軋むほどに強く奥歯を噛みしめながら、僕は左手を天使達に掲げた。
そして、親指と小指を触れさせる。
次の瞬間。
巨大な稲妻が、僕達に向かって殺到してくる天使達を一斉に焼き殺した。
なんか変な感じになっちゃったかも。
……イェス編全体的に書きにくいよ!?