4-6
小さな広場に私達はいた。
私は赤いコートに紺色のアンダーウェアとショートパンツ、あとはロングブーツといういでたちで、シオンはいつもの黒いマントに黒い法衣のようなものを着込んでいる。
「それじゃあ、転位よろしく」
「……」
私が言うと、シオンは訝しげな視線を向けてきた。
「なに?」
「いえ……まさか僕に君も送れとでも言うつもりですか?」
「うん」
「断ります。自分で転位してください」
なんか辛辣だな。
そんな私に当たられても困る。
別に私は何も悪い事はしてないのに。
……でもまあ、顔を見られただけで逃げられる、なんて状態でなくなっただけマシか。
一応、立ち直った――と言っても、まだまだ膝立ちくらい――みたいだね。
「自分で転位、と言われても……私、転位魔術なんて使えないよ」
「……は?」
何を言っているんだ、こいつ。という顔で見られた。
「私が使えるのは収束と解放のみ。転位は全く駄目なんだ」
「駄目って……転位なんて、高位魔術師なら簡単に使える筈です」
シオンの言っていることは間違いではない。
もともと転位魔術というのは、大量の魔力を使って空間に穴を開ける魔術だ。それにはまず、魔力を大量に掌握する制御能力が必要になる。
だが、逆に言えばそれだけの制御能力があれば、さして難しい魔術ではないのだ。
が……、
「私は本当に、収束と解放以外は才能がないんだよ。皆無、絶無。欠片の一つだってないから、二つ以外の魔術は使えない」
「……そんな特化、聞いたことがない」
「まあ、珍しいよね」
おじいちゃんも、ここまで究極的な特化は私とお兄ちゃんしか知らないって言ってたし。
「そういうことだから、転位はよろしく。円卓賢人ともなれば、集団転位くらい出来るよね?」
「……それは、まあ。二人くらいなら簡単ですけど」
「なら、よろしく。私を連れて行かないとお姫様との約束、破ることになるでしょ?」
「……」
渋々、とシオンが頷いた。
「では行きますよ」
「いつでもいいよ」
途端、周囲から色が失せた。
訂正。
色が失せたのではなく、塗り潰されたのだ。
それは、虹色。
ゆらゆらと水面のように揺れる虹色が、私達を丸く囲っていた。
そこからは膨大な魔力の気配が感じ取れる。
次いで、浮遊感。
既に地面という概念はない。
虹色の球体の中で、私とシオンの身体が漂っていた。
今、この虹色の膜の外には、次元そのものがある。
私達はこの虹色の膜に守られ、世界と世界を移動しているのだ。
もしもこの幕がなければ、私達の存在は永久にどの世界からも失われる。誰が実証したわけでもないが、それが一番有力な話。
そうじゃないとしても、誰もそれを自分の身で試そうだなんて思わない。怖いから。だから正確なことは誰にも分からない。
しばらくして、虹色の膜が徐々に色を減らしていった。青、赤、黄、と一色ずつ、虹の中から消えていく。
「到着?」
「ええ」
次の瞬間、シャボン玉が弾けるように、膜が消えた。
その向こうから現れた風景は、先程までいた王宮とは全く違った。
巨大な樹木。それが空中に浮かんでいる。
もっと詳細に言うのであれば……空中に巨大な岩が浮かび、そこから巨大な樹木が生えているのだ。
同じようなものがさらに、視界を覆うほどに点在している。
私とシオンが立っている場所も、その浮かぶ岩の一つだった。
そして、それらの岩から突き出た木の根は、別の岩から突き出ている木の根と絡まり、複数の道を形成している。
「……これが、異次元世界」
その現実離れした光景に、シオンが呆然と呟く。
「異次元世界は初めてなんだ」
ってことは、世界間の転移は今のが初めてだったんだね……。
失敗しなくてよかったよ。
「……ええ」
別に馬鹿にしてるわけじゃないんだから、そんな睨まないでほしい。
世間話でしょ。
……敵対意識持たれてるな。
「とりあえず、早速だけど捜索開始しようか」
「ええ。ですが、どこに向かうつもりですか?」
「そうだね……あの大きな木。あそこを目指してみようか」
指さしたのは、大分放れた位置に浮かんでいる、周りのものよりも二回りほど大きそうな樹。
「でしたら、早く行きましょう」
さっさとシオンが歩き出してしまう。
せっかちだな……。
私も、その後を早足で追った。
†
何本目か正確には数えていないけれど、最低でも二十本目以上の木の根の橋を渡りながら下を見ると、青空が広がっていた。
――空、と行っていいのかは分からないけれど。
どうやらこの世界では、上も下も、どちらもが空で出来ているらしい。
落ちたらどこにいくのかな……。
わざわざ危険を冒してまでそんなことを調べるつもりは毛頭ないけれど。
「もう少しですね」
シオンが言った。
見れば、なるほど例の巨木は目の前に来ていた。
ほう、とシオンが無事にここまで来れたことに安堵したのか、吐息をついた。
……そういうことすると、出るんだよね。
キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
――……本当に出た。
女性の悲鳴のような声とともに、私達の目の前に、突如として下空から飛んできた影が現れた。
形状は……基本は人と同じに思える。
ただし人間は四つの目を持たないし、口はあんなに裂けていない。胴体は捻じれた鉄板のような風体ではないし、そこから体長の倍はあろうかという長さの腕が生えてはいない。さらに指があるべき部分には球状の槌がついているわけもないし、脚は先端に行くほど細くなっているなんてこともない。
そもそも宙に浮かぶことだってないのだ。
一言で言って、醜悪。
美意識という単語をせせら笑うような無様さ。
それを前に、シオンが身構えた。
「っ、これが……」
――これが、天使。……なんとも皮肉のきいた名前だ。おおよそ、これは天使なんてものからかけ離れている。
「気を抜いちゃ駄目だよ」
忠告すると同時、私は右に飛んでいた。
と、私の身体を一条の光がかすめた。
その光は木の根の橋に大きな穴を開けた。
「な……」
シオンの驚愕の声。
「ま、魔術……!?」
そう。
今、この天使は……魔力を使って光を放ったのだ。
けれど、多分それは魔術じゃない。
「単に、一個の生命として魔力を運用する技術を持ってるだけだろうね」
だから翼もないのに宙に浮かぶ事が出来る。
「それより、ここで戦うのはマズいよ」
ちらり、と。根の橋に空いた穴を見る。
……このままいくつも穴を開けられたら、この橋が落ちるのは時間の問題だ。
「そっちの岩に移動しよう」
さらに打ち込まれる光の槍を避けて、私は駆けだした。
「っ……!」
シオンも私に続きながら、背後から飛んでくる天使に炎の塊を放った。
それは天使の目の前で弾かれ、散り失せる。
「な……!?」
魔力の障壁だ。
それも、牽制とはいえ円卓賢人の魔術を弾けるとなれば、それなりの強度はあるのだろう。
厄介だな。
舌打ちして……浮き岩に辿りつく。
と同時、身体を反転させて一気に魔力を収束させた――天使の顔面の目の前で。
そして、解放。
無理矢理に練りかためられていた魔力が解かれ、高威力の爆風となって天使を襲う。
天使の障壁を硝子のように砕き、それでもなお殺戮的な攻撃力を保ったまま爆風は天使に届いた。
びちゃっ、と。
天使の首から上が衝撃で細切れになり、飛び散った。
血の色は、無色透明。だけど、臭いはひどい。
まるで腐った果物のようだ。
「なんて、威力……」
シオンが呟いた。
「まだみたいだよ」
「え……?」
首から上のなくなった天使の身体が、びくん、と大きく痙攣した。
そして……胴体にぎょろりと大きな目玉が開いた。
「異次元世界の生物に自分の常識を当てはめない方がいい」
再圧縮した魔力を爆発させる。
その爆風を……天使は高速で避けた。
速い……爆風すら追いつけないなんて。
加速魔術と同じ要領かな。
だったら……、
魔力の爆弾を天使の周囲に複数散りばめた。
これならば簡単には逃げられない筈。
天使もこれには困惑している様子。
仕留めた。
そう確信して、爆弾を一斉に起爆させる。
無数の爆風にさらされて、天使の身体が四散した。
周囲に血が飛び散る。
……間違いない。
これだけ身体を粉々にされたんだ。いくらなんでも――、
ぞくり、と。
本能的に、私は屈みこんでいた。
髪をなにかが掠めた。
……後ろを向く。
「……」
流石に、苦笑した。
シオンなど、目を見開いて全身を緊張させている。
――確かに私は天使を殺した。
だが、
「天使が……三体!?」
まだこんなに天使がいるなんてね。
そのシオンの言葉と同時、天使達が動いた。
一斉に私に飛びかかってくる。
私狙い……か。
後ろに跳びながら、天使の目の前に爆弾を設置し、爆破する。だが、向こうもこちらの手は学習しているようで、しっかりとそれは避けられてしまった。
いくらなんでも三体も一気に殲滅するだけの数の爆弾は一気に設置できない。
一体一体倒していくしかないか……。
まず一番近くにいる天使の周囲に爆弾を設置する。
と……その爆弾が光の槍に貫かれた。
……まずい。
収束魔術は、いわば風船に空気を入れるようなものだ。外部からの刺激で、簡単に集めた魔力は霧散してしまう。
残った爆弾を起爆させるも、光の槍によって生まれた爆弾の隙を使って天使は攻撃を回避してしまった。
これは……思った以上に厄介だ。
今の私では、この三体を相手にするには実力不足が否めない。
「っ、二体は、僕がやります!」
すると、今まで呆然と突っ立っていたシオンが動いた。
炎の塊が、天使の内二体を襲う。
しかしそれは衝撃によって弾かれ……ない。
障壁に触れる直前、炎が広がり、障壁ごと天使の身体を包み込んだのだ。
さらに、炎の勢いが増す。
まるで焼却炉。
恐らく障壁の中は今の一瞬で、軽く鉄でも溶ける温度まで上昇しているのではないだろうか。
案の定。魔力障壁はすぐに消滅し、炎の中から炭化した物質が落ちてきた。それはそのまま、下空へと消える。
残りの一匹が、激昂したように甲高い声を発した。
どうやら天使というのは知能がそれなりに高いらしい。少なくとも、同胞が焼き殺されて怒る程度には感情はあるようだ。
その大きく開かれた口の中に、爆弾を設置。
天使自身がそれに気付くが、遅い。
身体の内側から天使が炸裂した。
「……やるもんだね」
「別に、イェスは天使とは相性が悪いだけでしょう」
「それはそうだけど、まあ素直に褒められとこうよ」
そんな風にきちんと状況や力量を把握できるのは、素直に好印象だ。
「それよりも早くここを離れましょう。まだ天使が来るなら、厄介です」
「そうだね……けど、遅かったみたいだ」
「……そうですね」
空気が変わった。
天使の一体や三体どころの話ではない。
これは……この気配は……、
風を切って現れたのは、やはり天使。
けれど、その数が問題だった。
およそ二十。
なんでこんなに……。
驚くより早く、私は魔力の掌握に入る。
「いける?」
「……」
シオンは、無言。
強がりも言えないようだ。
――こうなると、私も奥の手を使わなくちゃいけないのかもしれない。
正直、シオンには見られたくないのだけれど……。
しかし迷う暇はなさそうだ。
天使が一斉に魔力を集め始めた。
一気に私達を殺してしまうつもりらしい。
仕方ない――。
そう、覚悟を決めた時だった。
『そいつらは仲間の血の臭いを嗅ぎつける。殺せば殺すほど、報復に群がってくる――が、』
機械で加工された声。
それに聞き憶えがある。
他でもない、それは私も……。
世界が反転したかのような感覚。
なに……これ。
圧倒的な量の――私の最大掌握量を優に上回るほどの量の魔力が、一点に集っていた。
そちらに視線を向ける。
銀色の剣を真横に構えた、黒いローブに黒い仮面をつけた人物が、そこに立っていた。
魔力は、あの剣に集められている。
あれは……魔導水銀剣?
『過剰なまでの血臭は、逆に危険を知らせる合図となり、むしろ天使は近寄ってこなくなる』
そして――何が起きたのか、理解できなかった。
その人物が剣を驚くくらいにゆっくりと振るい……、
『こんな風にな』
天使達の身体が、千切れた。
腐臭の雨が、辺りに降り注いだ。
もう察しの良い人は気付いたと思う。