3-3
「また面倒なことになってるな」
「……そんな言い方、ないでしょ」
――人殺し、か。
なるほど。
それは落ちこむわけだ。
仕方がないだろうな。
天利は確かにSWだ。いくつもの戦いを乗り越えてきたこいつの精神年齢は同年代よりずっと高いだろうし、その考え方は常人とは一線を画するものもあるだろう。
けれど……その本質は十七歳の現代に生きる少女なのだ。
天利がSWをしている月日など一年と少し。これまで生きてきた時間の、ほんの一時にしかすぎない。
その黒部とかいう女の前で、よく耐えきったものだと感心する。
「一応言ってやるがな。天利、俺はお前が間違っていたとは思っていない。あの時お前があの男を殺してなかったら、死ぬ直前まで強烈な痛みに苦しめられただろうな」
「うん……それは、今でも後悔してない」
「そうか」
なら、いい。
これで後悔の片鱗でも見せようものなら殴ってやるところだ。
あの選択が間違いだった、などと。そんなふざけたことを言わせはしない。それは、あの男に対する冒涜だ。
死者への礼儀くらいは俺だってわきまえている。
死は不可侵であり、潔癖であるべきだ。小うるさく口を出していいようなものじゃない。
悲しむのも、恨むのも、惜しむのも構わない。けれど、後悔なんてふざけた感情で後からどうこう言うようでは駄目だ。
なら、天利はそんな後悔に満ちた曖昧な指でトリガーを引いて、あの男を殺したというのか?
馬鹿な。
そんなふざけたやつだったら、俺は天利となんてとっくに縁を切ってる。
少なくとも俺の知る天利ってやつは……隣に立っていても不快ではないと感じるだけの人間だ。
だから、俺は天利の味方でいてやろう。
黒部京子がどれほどの悲しみ、そして天利への怒りを抱いているのは分からない。
けれどそれは理不尽な怒りだ。天利は絶対に間違えてはいない。
例えば、助けるべきだった、とか。
例えば、殺すべきじゃない、とか。
例えば、どうにでもなった、とか。
なるほど、大層なことだ。そんな言葉なら誰にでも言える。万人向けの理想だ。
だが――あそこであの男を殺すことは誰にでも出来るか?
あの男を楽にしてやろうと、その為に迷うこともなくトリガーを引ける人間が一体何人いる?
正直に言えば……俺だって迷うかもしれない。
しかし天利はそれを引いた。殺した。
それがどれほど勇気のいることか。
それを欠片も理解できない馬鹿に、天利の行動をどうこう言う資格はない。
黒部京子は……間違っている。
彼女の言っていることは理想にすらならない、子供の我が儘だ。
俺は天利の味方でいるからこそ、そしてその天利自身が優しすぎるからこそ、黒部京子を全否定してやろう。
「天利」
「……ん?」
「お前は別に器の大きい人間じゃない」
「なに、いきなり」
天利だけに言えたことじゃない。本来、人間一人の器なんて、精々が自分一人収まるくらいだ。
そして、それ以上のものを抱え込もうとすれば、無理が出てくるに決まっている。
その無理はいつか身を滅ぼす。どんな形かは見ない限り分からないが……。
――天利は今、自分だけじゃなく、人の死までまるまる抱え込んでいる。
俺は枕を持つと、それを天利の顔面に押し付けた。
「ぶっ……な、なにするのよっ!」
「いいから」
天利が枕を引きはがしたので、再び押し付ける。
「少し吐き出せ。まるまる抱え込まなくても、死者のことを覚えているだけでいい。たまに、そういう男がいたな、ってことを思い出せるくらいでいい」
天利は、沈黙する。
「――……ここには俺しかいない」
その言葉で、堰を切ったように。
天利の身体が、枕ごと俺のベッドの上に倒れる。正確には、シーツ越しに俺の太腿のあたりに。
そして……枕から漏れ出す僅かな嗚咽と、肩の振るえが伝わってきた。
……ったく。
面倒なやつだな。
素直に自分の家に帰って、そこでひっそり泣いてりゃいいのに。
それすら出来ないくらいに強がらなくたっていいだろう。
なんで俺が言ってやるまで泣くことすら出来ないんだ。
本当に面倒なやつだよ、こいつは。
†
天利は泣き疲れたのか、あの姿勢のまま寝入ってしまった。
……天利が俺の太腿を下敷きに寝ているせいで身動きもとれやしない。
もうどれくらいこうしていたか。
さっき晩飯を持ってきた看護師が「お邪魔しました」とか言って飯も置いていかずに去ったから……一時間と少しくらいか。
「……迷惑だ」
呟くが、それは本当に小さな声で。
いくらなんでもここで天利を起そうとは思わない。
まあ……少しくらいは甘えさせてやらないこともない。
天利には、考える時間が必要だろう。それが夢の中であっても。
……どんな夢をみてるんだろうな。
ふと、天利が僅かに動く。
起きたか……?
いや、単なる寝相か。
おかげで枕から外れて、天利の表情が見えるようになった。
目の周りは赤い。
溜息が出た。
見ていて気持ちのいいものでもない。
不幸中の幸いなのは、その表情が辛そうではないことか。少なくとも悪夢を見ているというわけではないようだ。
「――しま、つき」
「ん?」
今、なんかこいつ俺の名前呼ばなかったか?
寝言、か。
「この守銭奴……人参は、そんな高くないわよ。だったら、キャベツにしときなさい」
……お前の夢の中で俺は一体なにをやってるんだ?
人参? 人参が一体どうしたというのだろう。
そして何故キャベツなんだ?
いろいろ意味が分からないぞ。
まあ、夢なんて元々意味がわからないものだけど……。
「やれやれ」
これ以上こいつの寝言を聞いていても仕方ない。
俺はゆっくりと目を閉じると、意識を五感の外に向けた。
魔術の訓練だ。
アースには魔力元素がないために魔術は使えないが、それでもイメージトレーニングはどこでも出来る。
自分の身体が水に沈んだ姿を想像する。俺の身体は真っ黒。
そして、水を俺の黒が急速に侵食していく。侵食した水が俺の一部になった錯覚。
これが……魔力の掌握だ。
黒はそのまま膨大な量の水を呑みこむ。
そして、次に掌握した魔力の制御。
俺の魔術は加速のみだ。
黒い水を自分を中心に渦を巻かせるように加速させる。
早く、速く、ひたすら疾く。
俺の魔術の訓練はひたすらにこれのみ。
どこまでイメージを加速出来るか。
自分の限界を突きぬけて、あらゆる法則をぶち抜いた先を見つめる。
すなわち、漆黒。
光すら消滅する特異。
俺やじじいの言うところの、エウリュディケ。
魔術が至るべきものの一つだ。
加速一つでここまで至ってしまった俺は、じじい曰くとんでもないイレギュラーらしい。
事実、じじいですらこのエウリュディケは大量の魔術を複合させることでしか生み出すことが出来ないらしい。
加速と、圧縮と、強化と、回転と、反転と、作用と、効果と、炎と、氷と、雷と、風と、水と、転位。
まあ、そんな感じだったはず。
俺はそられ全てを加速一つで代替しているわけだから、なるほど異常だ。
そこで、昔聞いたことがある。
代替できるなら、加速で他の魔術――例えば転位は使えないのか、と。
結果から言えば無理らしい。
あくまで代替は代替。それが転位などの効果を持つわけではない。圧倒的な威力で補っているにすぎないのだ。
どれほど究めたところで加速魔術が転位魔術のようなものになることは有り得ないのだと言われた。
単身転位が出来れば便利だったんだがな……。
ちなみに、じじいは百人近い人間を集団転移させられるだけの魔術師だ。
流石は王宮魔術師第一席、円卓の最上といったところだろう。
もっとも、聞いたところによると円卓も現在はおおよそが形骸化しているって話だが。
……それは俺には関係のないことだけど。
加速のイメージを緩める。
渦が溶け、水は黒から透明へと戻る。
そして俺は、眼を開いた。
――こちらを見上げる天利と目があった。
「なんだ……起きてたのか」
「あ、うん」
天利が頷く。
「嶋搗は、何か考え事?」
「まあ、そんなところだ……それより」
天利の顔の下にある枕を引き抜く。
「いつまでそうしてるつもりだ。身体を起こせ」
「え……っ、ご、ごめん!」
そこでようやく天利は自分の姿勢に気付いたらしい。
慌てて俺の太股の上からどく。
……脚は既に痺れていて感覚がない。
「邪魔だった?」
「当然だろうが」
遠慮なしに肯定する。
「そんなはっきり言うことないじゃない……デリカシーないわね」
「それは俺に期待することじゃないな」
「まったくね」
こいつ、自分で言い出した癖になんて言い草だよ。
別に気にしないけどな。事実だし。
「まあ、私と密着出来たんだから、役得?」
「自意識過剰も甚だしいぞ」
鼻で笑ってやった。
「……時々、あんたって性欲があるのか心配なときがあるわ」
「女が言うようなことじゃないだろ、それ」
いきなり何を言い出すかと思えば。
俺だって男だぞ。性欲の一つや二つくらいある。
「私になんにも感じなかったの?」
「全く」
「……」
なんだその顔は。
まるで「こいつもう駄目だ」みたいな。
「あんたって、ロリコンとか熟女好きとか?」
「なぜ俺をそんな性癖に仕立て上げたいんだ……別に、普通に同年代が一番だろ」
「……私は?」
「論外だな」
即答した。
「……えー」
若干頬を引き攣らせて天利が頬を掻く。
「自分で言うのもなんだけど、顔は整ってる方よ?」
「へえ」
まあ、そうだな。そこは認めてもいい。
「家事能力も実は万能よ?」
「ふうん」
そうだったのか。意外っちゃ意外だが、まあこいつも女の一人暮らしだったんだ、そのくらいは出来て当然だろう。
「あんたと同じSWで、理解あるわよ?」
「そうかい」
別にSWであることを理解されようなんて願望はないけれどな。
「――もう、いいわ」
なんで崩れ落ちる。
よく分からないやつだな。
「あの女に似てる容姿は疎ましいけれど、不思議ね。こうまで無反応だと傷つくわ」
「ご愁傷様なことだ」
「誰のせいよ」
「さて、知らないな」
ナースコールを押す。
飯はまだ残っているだろうか?
なかったら病院を抜けだしてどこかに食べに行こう。
「それより、もう面会時間はとっくに過ぎてる。帰ったらどうだ?」
「え……もうそんな時間?」
「ああ」
ちなみに何故そんな時間まで天利がここにいて誰にも文句を言われないのかは……多分、気を使われたんだろうな。
「やばっ。今日は私が夕食の当番だったのに……!」
慌てて天利が立ち上がる。
……天利は今、アイと同居している。
アースでの身よりなどないアイを、天利が半ば無理矢理に自分の家に引きずり込んだのだ。
「それならアイのことだから、勝手に飯を作ったりせずに、耐えて待ってるだろうな」
そして帰ってこない天利のことを心配しているだろう。
「ああ、もう。なんでこんな時間まで起こしてくれなかったの!?」
……なんで俺、文句言われてるんだろう。
俺は天利を気遣って寝かしたままでいさせてやったのに……やっぱり俺、気遣いとか向いてないのか。
「人になにか言う前に、さっさと帰ってやれ」
「言われるまでもないわよ」
そして、天利は病室を飛び出していった。
……まあ、いつも通りの天利だな。
少しは立ち直れた……のだろうか。
だったらいいけど。
どちらにしろ、俺に出来るのはここまでだ。
ここから先は天利一人でなんとかしなくちゃならない。じゃないと、いつまでも天利はそこで足踏みするだけ。
そうなったら……もう無理だろうな。
天利はSWを続けられないだろう。
その時は――いや、その時のことなんて、考えるだけ無駄かもしれない。
「あいつなら問題ないか」
それに、あいつには俺だけじゃない。
他にも何人もの味方がいるんだ。
それでも立ち直れないような柔なやつじゃない。
と……ドアがノックされた。
返事をする前にドアが開く。
その姿に、思わず溜息。
よりにもよって来るのがこの人とは……ナースコールなんてするんじゃなかった。
「……ちゃんと患者の返事を確認してから入ってきたらどうだ?」
俺のこの言葉は日本語ではない。
――マギの言語だ。
じじいに魔術と剣に並行して叩き込まれたので、結構流暢に喋れる自信はある。
その俺の言葉に返されたのも、当然のようにマギの言葉。
「礼儀を知らない貴方に礼儀をもつ理由が分かりませんね」
ぴしり、とした声。
日本語を使う時とは違う。どこか引き締まった態度で、彼女――シスターは手に持っていた盆をサイドテーブルに置いた。
「看護師達が騒いでいましたよ。貴方達二人が濡れ場だった、とか」
「阿呆か。なんで天利と濡れ場なんてしなくちゃならない。看護師の教育がなってないな」
「安心しなさい。ちゃんと粛正しておきましたから」
その粛正が何なのかは聞かない方が身のためか。
「それよりも私が気になるのは、今しがた跳び出した天利さんの表情ですね」
「聞くだけ聞くが、どう思った?」
シスターの意見なら、聞いておいて損はない。
「非常に危ういかと」
「……そうか?」
「《黒》を頂いているとしても、やはり貴方も子供ですか。少しは人の機微に気をつけなさい」
「性分で、そういうのは向いてないらしい……というか、なんで《黒》のことを知ってるんだ。そりゃ非公式の筈だぞ」
「深淵翁から聞いています」
「……あのお喋りじじいが」
「安心なさい。マギの魔術師と違って、私はそんな魔術に入れ込みもありません。貴方が《黒》だろうとも、さして気にもなりませんよ」
まあ……それもそうか。
むしろあんたは魔術嫌いだろうに。
だからこそ魔術の治療に、大金を巻き上げるんだろ?
そうすれば魔術の治療を望む人間が減るから……自分が魔術を使わないで済むから。
「ならいいけどな。あんたの魔術は俺でもくらいたくない」
「……それ以上言うなら、お望み通りにして差し上げますが?」
その眼差しに寒気がした。
「患者を殺す気かよ」
まったく恐ろしい。
流石は元征伐機関長、惨殺の魔女様だ。
……でも、その魔女様に一つ訊いてみるとしよう。
「天利のどこか危ないと思うんだ?」
「今はもう大丈夫なようですが……彼女は人殺しの眼はしていません。全ての問題はそこでしょう」
「それは、経験論か?」
「……そうですね。あれは昔、鏡越しに見た私の眼です。いずれ人を殺すという現実に押し潰される者の」
なるほど。
そりゃ……説得力がある。
「だが、SWは人殺しじゃない」
「ですが、今回は殺したのでしょう?」
「そうだな。でも、それでもSWは人殺しじゃない」
「――貴方もまた、人殺しの眼はしていない、ということですか」
……。
「ですが、そうですね。もう彼女に人を殺める機会が訪れないのなら、この心配も杞憂でしょうし。……それに彼女には味方がいるようですから、案外平気かも知れません」
どこか天利を羨むような声色。
「あんたには、味方はいなかったのか?」
余計なことを聞いた、と。言ってから悔やんだ。
「……ええ。私のやり口はご存じでしょう? あんな有り様では、味方など端からつきませんでしたよ」
自嘲的な笑みで、シスターは俺に背中を向けた。
「《金》であっても……私の魔術は、酷く醜悪ですから」
「……そうかい」
病室をそのまま出ていくシスターを見届ける。
彼女が、いつも修道女の服を着ている理由。
それが償いの印なのだと、じじいが言っていたのを思い出した。
何故シスターにこんな深い設定を作ったか?
意味などありません。それが作者クオリティなのです。
きっとこの設定からなにかが広がっていくはず……と信じたいものです。