1-2
荒野の真ん中。
手元の小さなモニターに映ったスコープ映像に、私は全神経を集中させた。
距離は悪くない。コンディションも比較的良い方だ。これなら、あとはタイミングだけ……かな。
トリガーに指をかける。
……三秒前。
空気が止まったかのような錯覚。
全ての動きがスローモーションのように思える。
……二。
モニターの中では、鳥のような生き物がこちらに向かって飛んできている。だが、その大きさは距離的に考えると、全長二〇メートルはくだらない。
……一。
トリガーにかけた指に力を込める。
狙いは完璧。
……ゼロ。
私の指が、引き鉄を引いた。
同時。
雷光が弾けた。
閃光が青空を貫いて、一瞬で巨鳥までの直線を描く。
そして――命中。
巨鳥の右翼の根元が吹き飛んだ。苦悶の声を上げながら、巨鳥は地面に落ちていく。
よし。
私は脇に抱えるように構えていたソレを下ろす。
ソレを一言で言い表すのであれば、長さが一メートルの細長い箱、だ。
後部に展開していた支柱を収納して、私はベルトでソレを肩に担ぐ。見かけほどの重量はない。加えて、身体強化剤を飲んでいる状態の私ならば、さして苦もなく扱うことが出来る。
レールガン。私がメインで使用する武器。
正式名称は、MA社製小型電磁砲d-02型。遠距離から中距離の狙撃に優れているが、値が張るということと、幅を取るという二つの理由から使う人間はそう多くない。
そのせいで今では製造中止になってしまった。
……使いやすいのになあ。
まだ熱を持つ銃身を撫でて、私は高台を下りた。
そこに、サイドカー付きのバイクが一台止まっていた。バイクのシートには黒コートを着込んで暇そうな顔をしたやつが座っている。
「やっとか」
「やっとって……これでもかなり早い方でしょ。運が悪い時なんて三時間待っても見つけられないレアものなのよ?」
「はいはい」
欠伸を噛み殺して、そいつ――嶋搗はバイクのサイドカーを叩いた。
「それより早く行くぞ。死体に死肉狙いが群がったら面倒だ」
「近距離戦はそっちの仕事だから、私は面倒じゃないけどね」
「そーかい」
私がサイドカーに乗り込むと、エンジン音を鳴らしてバイクが走り始めた。
「というか、お前はいちいち運転手に俺を呼び出すのは止めろよ」
「仕方ないじゃない。私はバイクの免許持ってないんだから。別にいいでしょ、戦利品はイーヴンにするんだから」
「……そもそも、こんな世界でもバイクに乗るのに免許が必要ってのがおかしいんだ」
「それもそうだけどね」
言うまでもないことだけれど、荒野に私達以外に人間の姿はない。ロットで言えば000000000042070のこの世界には、現在のところ恐らく人類が私達二人しか存在していない。
なら、バイクの運転なんて最低限前進出来ればいいのだ、交通事故の心配なんて皆無なのだし。
なら、それにどうして運転免許の所持をいちいち求められなくてはならないのだろう、と思わなくもない。
「ま、今はバイクの運転について話し合うより、さっさと回収しにいきましょ。あの鳥の肉ってとんでもなく美味しいんでしょ?」
風に揺れる髪の毛を後ろに払って、私は嶋搗に尋ねた。
「ん、ああ。前に一度食ったけど、美味かったぞ。なんか、淡泊なんだけどジューシーっていうか……柔らかいのに歯ごたえがあるっていうか、不思議な肉だった」
「そ。なら少し持ち帰って食べてみよ。コック長、料理してくれるかな?」
「あの人は食材があれば何でも料理するクッキングジャンキーだから心配ないだろ」
「それもそうね」
ああ、楽しみだな。
最近あんまり美味しいもの食べてなかったし。前回食べ物を美味しいって感じたのは……そうそう、金殻海老だったな。あれは本当においしかった。あの時はコック長はパスタにしてくれたのよね。
ほんと、SWっていい仕事だと思う。大金を稼げて、美味しいものを食べれて、なおかつストレス発散に最適だなんて。いやまあ常人から言わせればこれは異常なんだろうけど。
「見えたぞ」
そうこう考えているうちに、撃ち落とした巨鳥の死骸が地平線から現れた。
「……げ」
その死骸に群がっている複数の小さくて丸っこい影を発見して、思わず変な声を出してしまう。
「ハイエナモグラだな……」
嶋搗も私と同じ、心底嫌そうな顔だ。
近づくにつれて、死骸に群がる影の詳細が確認できるようになる。
モグラだ。アースにもいるようなモグラによく似た生物なのだ。けれど、大きく異なる点が一つ。
口がでかい。しかもサメみたいに歯がびっしり並んだ口だ。
連中はあの口で地面を掘り進み、血を臭いを嗅ぎつけては死肉を貪る。この世界のハイエナなのである。
ああいうのは、厄介だ。
「ったく、仕方ない。さっさと収集してこいよ」
嶋搗がそう言って、肩に背負っていた中型のサックを私に放り投げた。
「私も手伝おうか?」
「俺だけで十分だ」
「そ」
三十メートルほどまで近づいたところで、ハイエナモグラの群れがこちらを一斉に見た。
嶋搗がバイクを止める。
「じゃ、行ってくるわ」
「はいよ」
バイクのスタンドを立てて、嶋搗は腰の左にかけてあったペットボトルくらいの大きさの筒に手を伸ばす。その筒からは一本の棒がつき出ていた。
勢いよく嶋搗はその棒を引き抜く。
現れたのは、筒の形状からは到底想像できない――一振りの剣だった。
銀色にきらめく両刃の長剣だ。
MA社製魔導水銀剣。普段は液状で収納性に優れるが、ひとたび戦闘の際には特定の振動を与えることで固形化する特殊な材質の剣だ。常に振動しているということで刃の部分が分子レベルでチェーンソーのようになっていて、とんでもなく切れ味がいい。
それが嶋搗の愛用している武器だ。私のレールガンと違って、これはSWでもかなりの人気を誇っている商品である。
ハイエナモグラ達が動いた。
私達を敵と認識したのだろう。一斉に地面に穴を掘って潜る。
逃げたわけではない。
連中が厄介な理由。それは――しぶとさ。自分達の獲物を独占しようという強欲さだ。
一歩、横に移動する。
一瞬前まで私の経っていた地面から、ハイエナモグラが飛び出した。私はそれを事前に飲んでおいた強化剤で強化された動体視力で捉え、上段蹴りを放った。
「見事な蹴りだことで」
蹴り飛ばされたハイエナモグラはそのまま宙に弧を描いて、嶋搗の振るった刃に真っ二つに切断される。
さらに次々に地面の中から飛び出すハイエナモグラ。それを地面の僅かな揺れから出現位置を判断して回避しながら、嶋搗は次々に死肉の山を築いていく。
私はハイエナモグラ達がそちらに集中している隙に足音を立てないように素早く巨鳥の死骸に歩み寄る。
綺麗な鳥だった。右翼が千切れ、腹をハイエナモグラに食い散らかされているが、それでも翡翠色の羽毛に覆われた死骸は一つの巨大な宝石とすら思える。
私はその美しさに目を奪われながらも、鳥の嘴にスカートの内側、太股にある鞘から抜いたナイフを突き立てた。もちろんただのナイフじゃない。常に赤熱している特殊金属のナイフだ。
高熱によって、嘴が綺麗に切り落とされる。鋼色の嘴は、これだけで価値は三百万前後のものだ。魔充銀というかなり貴重な鉱物が含まれているのである。
それを私の大型サックに詰め込んで、次に翼から巨大な羽根を毟る。嘴と三十枚ほどの羽根で私のサックは一杯になってしまった。
次に嶋搗のサック。こちらには羽根を何枚か詰めてから、金属の箱を取り出す。サッカーボールが一つ入るくらいの大きさだ。
逆の腿にある鞘から普通のナイフを抜いて、巨鳥の腹にそれを突き立てた。
ぶちぶち、とグロテスクな音を立てて皮が裂け、肉が露出する。
……一年前は、こんなの見たらすぐ吐いてたんだけどなあ。
こうも平然と作業が出来るようになった自分を、改めておかしくなっていると認識する。
まあ、後悔はしてないけど。今は今で楽しいし。
肉をナイフで抉る。それを箱に詰めて――ふと思い直して、ちょっとだけ肉を減らして、代わりに皮を詰めこむ。
鳥の皮、好きなのよね。
しっかりと箱の蓋を閉じて、金具を固定する。
嶋搗のサックにそれをしまうと、それで二つのサックがいっぱいいっぱいになった。
う、重い……。調子に乗って詰め込みすぎたかも。
強化剤飲んでるからって、レールガンに加えてこれは、流石に私のキャパシティを超えている。
どうしよう。
少し荷物を減らすか、それとも一度片方だけ向こうに置いてまた取りに来るか。
「なにしてるんだ?」
そこに、嶋搗がやって来た。
「あれ、もう終わったの?」
「ああ。しつこいんで、穴に手榴弾投げ込んで終わらせた」
「珍しいわね、あんたが消耗品を使うなんて」
手榴弾は手榴弾でも、様々な異生物を相手に使用する目的のものだ。普通のものと違ってかなりの火力を持っていて、地中で使えば小さなクレーターが出来るくらいだ。値段もその威力相応に高い。
守銭奴の嶋搗は、滅多にそういうのは使わないんだけど。
「安全第一だし、それに今回は入りがいいし、そこは景気よくていいだろう」
それもそっか。
「で、なにやってんだ?」
「見て分からない? 重くて動けないの」
「威張って言うことじゃない」
呆れた溜息。
うーん。この嶋搗の溜息を見るのにも慣れちゃったのは、ちょっと不本意かも。つまりいつも私は呆れられているってことでしょ?
今回は自分でもちょっと呆れるけどさ。仕方ないでしょ、出来るだけ持って帰りたいし。
「ほら。俺のサックをよこせ」
「ん、ありがと」
「俺のサックなんだから俺が持つのは当然だ」
受け取って、さっさと嶋搗はバイクに歩き出してしまった。
……素直じゃないやつ。
最近、やっと嶋搗がどんな人間だが見えてきた気がする。
とにかく捻くれた性格なのだ。良いところも悪いところも全部ひっくるめて。
言い換えれば、恥ずかしがり屋?
そう考えるとかわいいもんよね。
「なにしてる、早くこい」
「はいはい。さっさと帰って夕食にしましょ」
ゆっくりと歩き出す。あっちは今頃午後七時ってところか。
うん。ちょうど夕食時。
さてと。じゃ、珍味の吟味といきますか。
†
三八階建マンションの三七〇二号室。それが俺の住居だ。
高校生の一人暮らしには不釣り合いなその部屋は、単にベランダからの景観がいいという理由だけで選んだ。
分譲で半年くらい前に一括購入したのだが、値段は覚えてない。そのころにはとうに金銭感覚なんてものは狂っていたのだ。後見人の叔父には「俺よりいい部屋住んでる……!」と嘆かれたものだが、こっちは命を張って仕事しているんだから、このくらいの贅沢は別に構わないだろう。
帰宅早々冷蔵庫から缶のコーラを取り出して、プルを押し開ける。
煽ると、喉を炭酸の刺激が通り過ぎた。この刺激は、頭がすっきりして嫌いじゃない。
リビングのソファーに腰をおろして、リモコンでテレビの電源をつける。チャンネルは常にニュースに合わせている。それ以外ではほとんどテレビは点けない。
丁度、コンビニ強盗の事件が報道されているところだった。死傷者八名のけっこう大きな事件らしい。
けど、俺からしてみると、どうにもぴんとこない。
……八人か。
SW人口はアースで約三十万人程度と言われている。その中で毎日二百近い人間が死亡か、あるいは行方不明になっている。
それを身近に感じる俺にとって、八人という数はほんの小さなものに思えた。
そういうところが、世間からのSWへの批難の理由なんだろうな。人間性の欠如とか、犯罪者予備軍とかって。
事実、それは間違いじゃないと思う。
犯罪者予備軍かどうかはともかく、人間性が欠如していることは間違いない。それは俺自身も常々感じていることだ。
人間性とは、その多くが社会性で成り立っている。SWはその社会からはみ出した異端なのだ。人間性なんて端からあるわけがない。
だからといって犯罪者予備軍などと言われたら、それは違うのではないだろうか。
あくまでも人間性が欠如しているだけ。それがイコール人を傷つけるということにはならないはずだ。
俺だって平日は普通に高校に通っているし、そこでの交友関係の薄さを除けば、極めて平凡な学生としての生活を送っているのだ。人間を傷つけたいと思うことなんてないし、傷つけたこともない。
そんな俺は犯罪者予備軍だろうか?
世間じゃSWを散々に言ってくれるが、俺からしてみれば報道機関の根拠のない発言に扇動される連中の方がよっぽどどうかしてるんじゃないのかとも思う。どうして他人の意見で自分の行動を決めてしまうのだろうか。自分の意思とか、そういうのはないのか?
まあ、こんなことを実際に口を出したら、それはそれでやっぱり世間から批難を受けるのだろうけど……まったく、世知辛いもんだ。
そういう妙に縛られてる世の中ってのは、本当に大嫌いだ。まるで喉が詰まっているかのような感じになる。
コーラを飲み乾して、空き缶をテーブルの端に置く。そこには既にコーラの空き缶のピラミッドが出来上がっている。
面倒だけど、今度片さないとな。そのうち崩れるぞ、これ。
ふと、胸ポケットの中から電子音が鳴り響いた。携帯電話だ。
取り出してみると、どうやらSWの知り合いからの連絡らしかった。
「もしもし?」
『ああ、シーマン?』
思わず眉間を抑えた。
「その人面魚みたいな呼び方はやめろって言ってるだろ」
『でもシーマンはシーマンだし?』
「そうかよ……それで、何の用だ?」
まさかこんな夜中に用もなく電話してきたわけじゃないだろうな。もしそうなら今すぐ切ってやる。
『あー、それなんだけどな。シーマン、明日ヒマ?』
「明日?」
カレンダーを見る。
明日は日曜日。特に用事があるわけでもない。
「まあ、暇っちゃ暇だな」
『ならさー、設置部隊に入らん?』
「はあ……いきなりなんだよ?」
設置部隊というのは、政府から依頼されて、まだロットに登録されていない世界に次元屈曲装置――世界と世界の移動の際の《門》と呼ばれる――を設置しにいく部隊のことだ。これはSWが自主参加する形で編成される。報酬はさほど高くないが、好奇心に惹かれて参加するやつは少なくない。
俺も一度だけ参加したことがある。つまらなかったので、以来参加はしていないが。
『それがなー、実はオレは今回知り合い二人と行くつもりだったんだけど、そいつら二人とも急用で来れなくなっちまってさー。流石に一人は寂しいじゃん?』
「だから俺か?」
『そゆこと』
「断る」
さて。電話を切るか。
『ま、待ってくれシーマン!』
「喧しい」
耳から離しててもはっきり聞こえたぞ。
『実は面白い話があるんだぜ』
「面白い……?」
『ああ。聞きたいか?』
ふむ……まあ、聞くだけならタダか。
「言うだけ言ってみろ」
『素直じゃねーなー』
「別に今すぐ通話を終えてもいいわけだが?」
『冗談じゃんかよー』
都合のいいやつだな。
「で、どういうことなんだ?」
『んー。それがな、驚くなかれ。なんと文明の存在した痕跡があったらしい。それも、かなり高度っぽい』
自分が見つけたわけでもない癖に妙に自慢気な言葉に、しかし俺は少しの間思考が止まっていた。
「……なんだと?」
文明だって?
もしそうなら、それはかなり大きな発見じゃないか。マギ、アースに続いて第三の文明世界だ。
『まあ、既に荒廃しちゃってるらしいが』
「そうなのか?」
『少なくともかなりの範囲で人が見つからなかったらしーな』
「ふうん」
それは少し面白くない。
新しい文明ってのに、少しは興味があったんだけど。
『それでも一見の価値はあると思わねーか?』
「……」
確かに。
すでに荒廃したとはいえ、名残はいくらでも見つけられるだろう。それなら暇つぶしには十分かもしれない。
「そうだな……行ってみるか」
『マジで? よっしゃ』
俺が言うと、電話越しに相手が年甲斐もなく飛び跳ねて喜んでいるのが伝わって来た。ガキかこいつ。
「それで、いつ集合だ?」
『明日朝八時に《門》の前だぞ』
「分かった。じゃあ、また明日」
『えー。もう少しおしゃべ――』
ブツ。即座に通話を終了した。
あいつに付きあってたら朝まで喋りかねん。
携帯をテーブルに置いて、立ち上がる。
明日の八時か……なら、もう風呂入って寝るかな。
タンスから寝間着を取り出して、風呂場に向かう。
あ……そうだ。明日のに天利を誘うか?
――いや、なんで俺はあいつを誘おうなんて思ったんだ……?
いかん。最近あいつに引っ張り回されていたせいで、すっかりあいつと行動するのが癖になってる気がする。
なんてこった。
いつの間にこんなことに……一年前にあいつの審査官になってからか。
やっぱ、あの時に馬鹿高い違約金を払ってでも断わっておくべきだったかもな。今更言ってももう手遅れだけど。
とりあえず、明日は天利を誘わないことにしよう。そうしよう。それがいい。
別に天利が嫌いってわけじゃない。コンビを組むにも相性がいいしな。だが、だからっていつも一緒なんて、それはなんだか束縛されてるようで嫌だ。
そこらへん、ちょっとよく考えていく必要があるかもな。
ま、今は風呂だ風呂。
一日の疲れはここで癒すに限るね。